欧州複合危機
著者:遠藤 乾
世界は刻々と動いている。米国ではトランプが、移民制限やオバマケアー見直しで司法や議会の抵抗に会い、政策執行能力に疑問符がつく中、昨日は中国習近平との初めての米中首脳会談に臨むと共に、その最中に、化学兵器を使用したことを理由に、シリア・アサド政権に対する巡航ミサイル攻撃に踏み切った。欧州では、先月末、英国がEU離脱につき正式な通告を行い、2年後の離脱に向けた正式な交渉に入り、フランスでは4月24日に迫った大統領選挙(第一回投票)で、極右ルペンと中道独立のマクロンが先頭を走っている。モスクワは、米国のアサド政権攻撃を非難しているが、その最中に地下鉄テロ事件が発生し、テロ対策では欧米と同じ立場にある。そして極東では、今週以降予定されるいくつかの政治的記念日を前に、北朝鮮がミサイル発射による挑発行動を繰り返している。
世界が大きな転換点に立っていることは、今や誰の目にも明らかである。そして、その中で、第二次大戦後、不戦の誓いという倫理性と、地域経済統合という冷徹な打算から生まれたEUも大きな試練に晒されている。先般読んだE.トッドは、この欧州の分離傾向は人口動態や宗教・民族学の観点から見て、起こるべく起こっている必然的事態として捉え、その中核であるドイツ・フランス双方の指導力につき諦めに満ちたグチを繰り返している。そして同じテーマを扱うこの新書は、我々を取り巻く世界の変化を念頭に置きながら、現在の欧州が直面している困難とその要因分析、そしてそこからの脱却の道を、より理性的・合理的なロジックで探ろうとしている。
著者は、EUの現状を、@世界的なリーマンショックを契機とする、ギリシャ債務問題で顕在化した通貨としてのユーロ危機、A国際化するシリア内戦等を契機とする欧州難民危機、Bウクライナ問題や域内でのテロの続発という安全保障上の危機、そしてC英国のEU離脱に象徴されたEU解体の危機が、相互に連関しながら同時に多層で勃発している「複合危機」として捉える。そしてその問題を理解する鍵は、「グローバル化ー国家主権―民主主義のトリレンマ」であるとしている。
其々の危機の内容については、復習の部類なので、簡単に見るに留める。まず通貨としてのユーロの危機であるが、これはギリシャを筆頭とする南欧諸国の社会・経済実態とドイツを筆頭とする緊縮派諸国との「経済合理性」についての哲学の差に起因するのは言うまでもない。そして現在は難民問題などによりいったん表面からは退いているが、依然問題が解決した訳ではない。
難民問題については、北アフリカ難民がイタリアに上陸し、北ヨーロッパを目指した2015年以前(南北問題)から、シリア難民を中心にトルコからギリシャ、そしてハンガリー等の旧東欧諸国を経由する2015年以降(東西問題)で様相が異なってきたという。特にドイツ、メルケル首相が難民を受け入れるスタンスを明確にしてからは、ハンガリー等は自らが「(ドイツの)道徳的帝国主義」の被害者であるかのように振舞い、難民はそのまま通過させるようになる。その後国内で難民に関連したとされる犯罪やテロが頻発するようになり、欧州全体での反自由主義的で排外主義的な政治勢力が伸長していったことはいうまでもない。そしてこの問題は、域内での自由移動を定めたシェンゲン協定がシステムとして機能していないことをあからさまに示すことになったのである。これを受け、難民の通過国であるトルコとEUの間で、経済援助と引き換えにトルコでの管理を強化する協定が結ばれたとのことであるが、そのトルコ自体が2016年7月のクーデター未遂とその後のエルドアンの強権支配強化、そしてそれに対する批判の高まりと不安定な内政状況が続いており、難民の抑止力となるかは予断を許さないという。
安全保障問題は、ロシアによるクリミア併合やウクライナ・シリア内戦への干渉という「新たな冷戦」の発生と、難民問題と関連するテロの頻発であるが、前者は、個人的にはEUの危機を深めるというよりは、むしろ結束を促す要因と思われる。しかし、次の英国のEU離脱は、まさに直接EUの未来に関わる問題である。
2016年6月に行われた英国国民投票が、英国保守党内での残留派と離脱派の争いに決着をつけるための、キャメロン首相の賭けであったことが示される。そして、難民問題やテロ懸念に対する一般民衆の不安が、EU離脱の経済的デメリットに勝るという結果となったのは、米国大統領選におけるトランプ勝利と同じ構図である。即ち、政治家や企業家、知識人といった既往エスタブリッシュメントに「没落しつつある中間階級」がレッドカードを突き付けたということである。特に、1980年末以来親EUであった労働党支持の労働者層が、大きく離脱に動いたのは、米国で民主党支持層であった労働者のトランプ支持への変貌と重なる。著者の言葉を借りると「〈移民=EU=グローバル化〉を介して高揚したナショナル・アイデンティティと主権=自決意識が、労働者の疎外感ともあいまって、EUメンバーシップに向けられた。(中略)こうした〈ナショナリズム=民主主義=国家主権〉の「三位一体」を乗り越える正統性はEUにはない。」ということになる。
これらの事実を踏まえた上で、EUの危機を理論的にどう捉え、その問題と克服の道を探るのが以降の課題である。著者が理解するところ、戦後のヨーロッパ統合の規定要因はドイツ問題と冷戦であった。冷戦、というのは、米国が西欧の一体化を望んだということであり、私の理解する「欧州の存在感の維持・向上」という主体的な意思とはややずれるが、まあそれは良しとしよう。その上で、現在の位相は、ドイツ問題は程度の差こそあれ残っているが、冷戦はロシア問題で若干復活しているが、そのイデオロギー的側面はジハード主義の興隆に取って代わられていると見る。
こうした中で、上記のとおりEUの正統性が問われている、というのが現在の最大の問題である。それは、もともと「民主主義的正統性」が弱い中で、統一通貨ユーロのように、実際の生活面での使い勝手が良い、といった「消極的な、機能的正統性」で何とか支えられてきた。シェンゲン協定も従来は、この「機能的正統性」で問題となることはなかった。しかし、90年代以降、EUの集権化が進み、緊縮的な財政政策や難民・テロによる域内安全保障などが身近な問題として一般民衆に意識されてきた時に、再びその「民主主義的正統性」が問われることになる。しかし、上記のとおり、「〈ナショナリズム=民主主義=国家主権〉の「三位一体」を乗り越える正統性はEUにはない。」著者は、こうしたEUの位相変化を、「解決としてのEU」から「問題としてのEU」という枠組みで捉えている。そしてそこでは、著者が引用しているハーバーマスの指摘のとおり、「公共空間は今までのところ国民国家のレベルで分断されたまま」なのである。
しかし、そうした問題性にも拘わらず、EUはしぶとく生き延びている。著者はその要因を3つのP、Peace(平和)/Prosperity(繁栄)/Power(権力)としているが、これは言わばEUの神話を、実利的な観点から冷静に眺めたものである。特に、3つ目のPowerは、私の認識するEUの大きな動機であるが、これは例えばリー・クアンユーがASEAN共同体の意味合い(レバレッジ効果)としても指摘したものである。これらの要因から英国が離脱しようとも、EU解体がなし崩し的に進むとは考えにくい。著者が最も懸念しているのは、実際今年は独仏で国政選挙が予定されているが、この結果独仏のような中核国で、排外主義的な勢力が権力を握るような事態が発生する、ということであり、これも現実的には考えにくいという。そうであると、結局EUは、従来何度もあった危機に対応してきたように、今回も新たな問題に対し、実務的に解決の道を模索しながら生き残りを目指すことになる。そしてそれは場合によっては、「集権化の意思を持つ中核的な加盟国が再結集し、EUの枠内でいっそうの統合を推し進める」といった「EU再編」となるかもしれない、と見る。こうした見方は、E.トッドの、決定論的なEU崩壊論よりも私にとっては受入れ易い。そして、EUが更なる発展を遂げるには、冒頭に指摘された「グローバル化ー国家主権―民主主義のトリレンマ」、なかんずく「グローバル化」で置き去りにされた中間層の利害を調整するような政策が、EUの主導で、夫々の国家で遂行されることが必須となると考えている。英国の離脱のみならず、米国でのトランプ政権の成立も含め、これは決してEUだけの問題ではなく、例えば日本も一国内では同じ問題を突き付けられているのである。もちろんEUの場合は、「国や世界の秩序を、人為により理性的に改編できるとするリベラルな政治(理念)」という日本にはないロマンを抱えている。それ故、一国単位のグローバリズム対応に比してもその困難は計り知れないことは間違いない。しかしまさにそうしたロマンを追い求める「シーシュポス」の姿こそが、私がEUに期待するものである。その意味で、この新書は、現在のEUの危機を分析するだけでなく、これを乗り切り、またその問題を昇華させ、新たな未来を築いていく可能性を模索している点で、私にとっても、E.トッドの作品よりも圧倒的に親和性の高い著作であった。
読了:2017年4月8日