欧州ポピュリズム EU分断は避けられるか
著者:庄司 克宏
慶応大学の教授で、EUの専門家による欧州ポピュリズムの分析であるが、今まで読んだようなポピュリズム運動の単純な紹介ではなく、EUの構造が、欧州におけるポピュリズム隆盛の内在的な要因になっているとして、EUの法制度や政策の課題を提起している。基本的な視点は、欧州のポピュリズムが、何故EU批判を強めることで勢力を拡大しているのか。また、EU加盟後反リベラルな立場を明確にした主として旧東欧の政権が、何故そうした立場を取りながらEUに留まり続けているのか。そして、人権・民主主義・法の支配というリベラリズム的な理念に基づくEUの未来は。著者は、こうした疑問にEUの構造問題を指摘しながら、その分析・展望を提示することになる。
2009年の欧州債務危機を契機に、ギリシャやスペインでは急進左派のポピュリスト勢力が、また2015年以降深刻となった難民・移民問題ではオランダ、ドイツ、フランスを含めた多くの欧州国家で急進右派のポピュリスト勢力が興隆し、そして2016年の英国ではEU離脱をめぐる国民投票で、ポーランド等からの移民に批判的なポピュリスト政党が、BREXITを選択するという結果に大きな役割を果たす等、夫々性格は異なりながらも、この動きが欧州全般で拡大していることは言うまでもない。こうしたポピュリズムでは、一般的には「多数派の一般大衆と特権的エリートの対抗関係」が前提とされ、多数派の支持を得て政治的な正統性を主張するのが一般的である。そしてそれは「移民排斥を主張する排外主義・ポピュリズム」と「司法権の独立などを否定しようとする反リベラル・ポピュリズム」に大別できるとされるが、特に後者は、西欧近代が築いた秩序の基礎となっているリベラル・デモクラシーを脅かすが故に、特に注意する必要がある。
ここで著者は、「リベラル・デモクラシー」の不安定性から議論を始めている。リベラルの柱は「法の支配」であり、恣意的な権力行使から個人を守ることがその目的であるが、デモクラシーの柱では「最高権威は法ではなく、人民にある」ことが求められる。この緊張の中で、デモクラシーの側からは、権力分立に起因する司法権やメディアの多元主義や独立が、「エリートの計略であり、責任を曖昧にする巧妙な装置である」という批判が投げかけられる。政治・経済・社会的危機が発生し、リベラルが「人民の自治と社会的結束を損なうまでに拡大」すると、このバランスが崩れ、「デモクラシー」からの反動が拡大する。そして、EU、特にその中での独立した「非多数派機関」であるコミッション(欧州委員会)、EU司法裁判所、欧州中央銀行といった機関が、エリート官僚により運営され、過度なリベラル政策がとられているとして、デモクラシーからの批判の標的となる。現在の欧州でのポピュリズムの拡大は、その意味で、EU自身の持つ矛盾が、EU全体及び夫々の国民国家ベースで現れたものであると見做すことができる。「ポピュリストは、自国における影響力と権力を強化するという究極目的のための手段として、欧州統合に反対する。」これは欧州統合が、その出発点から有している最大の難関で、国民国家の主権をどこまでEUに明け渡すかという永遠の課題である。
EUの専門家として、著者は、「主権を共有」するという形で統合を進めてきたEUの理念と制度を俯瞰しているが、それについては、EUがもともと「物・人・サービス・資本の自由移動を意味する単一市場」を構築するということで始まったが、時間の経過と共に、そこから派生する@共通通商政策、共通外交・安全保障政策、A「第三国民を含む『人の自由移動』(難民保護、移民に関する共通政策を含む」、そしてB「経済通貨同盟=共通通貨としてのユーロ導入」と政策領域を広げてきたことを確認しておけば良いだろう。またこの過程で、「モネ方式」と呼ばれる、「『統合による経済的利益を加盟国に配分することにより、市民からの支持を確保する』が、その先にある政治統合は『政治的および経済的エリートが法的手段と管理手法を用いて、欧州の人々の積極的な参加なしに達成することができる』」という考え方があったという(欧州統合の国内政治からの「隔離」=「許容のコンセンサス」)。しかし、こうして拡大してきた領域の問題が、まさにEUエリートへの不信となり、EU懐疑論の主要な攻撃対象となっているのである。しかも、当初は、EUの利点を享受することを求め、EUの基準を満たすことでこの統合に参加しながら、その後にポピュリストの台頭を許し、その理念を逸脱するような国内体制を構築するハンガリーやポーランドのような例が現れることになる。債務危機の際にも議論されたように、加盟基準は定められているが、加盟後の違反についての制裁のメカニズムが不十分であるために、ポピュリストが、EUに残存し、その経済的利益を享受しながら、国内的な支持を得るためにEUを批判対照としているという図式が生まれることになる。
他方で、ここで著者は、EUに対するデモクラシーの柱から批判が高まりながらも、「EUレベルで何らかの形で大衆民主主義的なコントロールが導入されていないのは何故なのか?」と自問し、それは、国家にとっても国民にとっても必要な政策であるが、有権者に不人気となるような政策を遂行するためにEUの枠組みを使う、ということが想定されているからだ、としている。その結果、「加盟国の政治家たちは自国民に不人気な政策を行うことができ、かつ、その責任をEUに押し付けることができる」という。しかし、繰り返しになるが、そこでは民衆の人気を背景に、リベラル・デモクラシーに反する政策を行う政治家が、EUを攻撃することで、益々国内的な権力基盤を固めるという悪循環を生んでいる。また移民・難民問題のように、EUと国内政治が「隔離されていない」領域では、ポピュリストは、加盟国の政権とEUの双方を標的にすることができる。
こうした構造問題を抱えながら、EUはどこへ向かうのか?考えられるシナリオとして著者は、@現状の維持・進化、AEUレベルの協力を単一市場にとどめ、それ以外の権限を加盟国に返還(「アラカルト欧州」。ポピュリスト勢力の好み)、B「有志連合」による「二速度方式」、CEUの一部権限の強化と、それ以外の権限の加盟国への返還、Dすべての分野でのEU権限の強化、を挙げている。そして著者は、BREXITの国民投票で敗れたために結局日の目を見ることがなかった英国のキャメロン元首相によるAの試みを紹介している。またBについては、特に旧東欧諸国を中心に、「二流国の烙印を固定化する」という理由での反対はあるものの、既にシェンゲン協定のような例もあり、個別政策では実行される可能性が高いと見ている。そして大衆民主主義の欠点を回避し、「専門的・技術的知識を通じて長期的な利益に基づく結果を出す」というEUの基本的理念を念頭に置き、欧州ポピュリズムを克服するためには、「統合領域を限定化してEUによる国内政治からの『隔離』空間を縮小する」ことが必要と論じる。それは、Bの「二速度方式=『地理的』限定」とAの「アラカルト欧州=『機能的』な限定」の折衷により、EUの理念を維持しながら、ポピュリストの主張を吸収する現実的な手法であるというのが著者の結論である。いずれにしろEUは変わらねばならず、「欧州統合は大きな転換点にある」として、著者はこの新書を結んでいる。
繰り返しになるが、この著作は、ポピュリズムの動きを紹介・分析するよりも、それを通じてポピュリズムが標的としているEUの課題と展望を浮かび上がらせようとしたものである。その意味では、まさに私自身が90年代のドイツ滞在時に追いかけていた欧州統合の最新の動きと課題を整理することができる作品である。人間の理性に基づく国家や社会建設の試みであったマルキシズムやそれに基づくソ連建設が、大いなる失敗に終わった現在、この欧州統合は、そうした人間理性の営為による残された最大の実験である。そしてそれはもちろん、今私が生活している東南アジア統合においても大きな前例となり、常に参照されている。欧州統合が、それが抱える内在的な矛盾に対し、今後どのように対応し、克服していくかは、東南アジア地域の統合の将来を見る上でも、引続き追いかけていく価値があることは間違いない。
読了:2019年2月27日