アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
サイクス=ピコ協定 百年の呪縛
著者:池内 恵 
 欧州統合への参加が長く議論されているトルコの地勢学的問題を含めた中東問題に関わる著作ということで、ここに掲載しておく。

 2016年出版の中東情勢についての分析である。著者については、中東研究の若手のホープということで、2014年に、「イスラム国」台頭について書かれた新書を読んでいるが、それ以来の作品である。今回の「アラブの春」以降顕著になった中東の混乱は、ある意味、「サイクス=ピコ」の時代の再来であり、しかし、当時以上に、大国がこの地域の帰趨に影響力を持ち得なくなっている状況下での混迷であるとして、この協定からの約100年のこの地域の歴史を整理している。選書版ということもあり、あまり細部に立ち入らず、分かり易い解説書になっている。

 サイクス=ピコ協定は、第一次大戦中の1916年5月に、イギリスとフランスの間で、敵国であるオスマントルコの支配地域について、戦後の両国の勢力圏を申し合わせた協定で、言わば「現地の民族・宗教・宗派の分布」を無視して、西欧列強が勝手に地域の分割を行ったものとして、いろいろな機会に批判されてきた。しかし、そもそも「現地の民族・宗教・宗派の分布」は複雑で、その後の歴史は、そこで成立した「現地」の政権もそれを克服することはできず、また時として、少数民族の地域からの排除のため大規模な人口移動(民族浄化)を強要したことを物語っている。あるいは、そうした地域に西欧列強が「近代の国民国家という概念や制度を持ち込んだ」ことが問題で、「前近代の帝国、特にオスマン帝国の『穏やかな専制』に大きな期待をかける」議論もあるが、それは「民族間・宗教間の平等や個人の基本的人権の保障」という現代の基準から見れば、はるかに前時代的な体制であることは間違いない。その意味で、この協定は、むしろこの地域が抱えている歴史的問題に対する当時なりのギリギリの対応であったとも考えられる。そして著者は、冷戦時代に、一時的に落ち着いていたこの地域のそうした潜在的・根源的な問題が、冷戦後の新たな世界体制の中で、特に2011年の「アラブの春」のより地域の強権的な政権が崩壊した後、再び現れてきていることから、もう一度この協定の時代に帰って、この地域の現状と将来を検討するべきとするのである。

 結局のところ、シリアやイラク、あるいはリビアやイエメンなどの内戦や紛争に沈む国々では、「民族と宗派がモザイク状に展開している」ことから、その一部が政権を担っても持続せず、不安定化するが、そうした際に「域外の大国のそれぞれの内政の変動や、大国間の勢力均衡の変動が、現地の勢力の浮沈をかなりのところまで決定づける」ことになる。そして著者によれば、それを考える際には「露土戦争」と「東方問題」という2つの言葉が鍵になると考える。前者については、2014年のロシアによるクリミア併合が、かつてのロシア帝国の「南下政策」とそれを契機とする「露土戦争」(数え方によっては歴史上数10回に及ぶトルコとの戦争!)の再来を想起させる。そして、この地の少数民族であったクリミア・タタール人は、スターリン時代に強制移住の対象となったが、これは民族的なルーツを共有するトルコ人の感情を刺激する問題であり、またロシアのクリミア進出はボスフォラス・ダータネルス海峡という戦略的な地点への圧力を増すことになる。そして後者は、そうしたロシアの動き(それは、地域的には南北コーカサスやバルカン半島、そしてシリアやアフガン等の中東を含む)を牽制するために、欧米が介入し、地域紛争を複雑且つ大規模にすることに繋がりかねない。また問題を難しくしているのが、かつて「ヨーロッパの病人」等と呼ばれたオスマン帝国と同様に、現在のトルコも、欧米諸国から見ると、「欧米にとっての脅威との間の最前線に位置する重要な同盟国」であり、またシリア等からの難民・不法移民問題でも、西欧諸国にとっては、「人権や福祉に配慮しない」、使い勝手の良い「下請け先」であるという点である。他方でエルドアンの強権的な体制やクルド人対策等は、「同盟国としての信頼性」に欠ける。他方、トルコにとっても、そのクルド人対策や第一次大戦初期に行われた「アルメニア人強制移住・虐殺」についての批判は受け入れられない。そのクルド問題は、シリアの内戦で、益々複雑な様相を呈することになる。

 シリアでは、そもそもアサド政権と、反体制勢力、そしてイスラム国家(IS)が三つ巴の闘いを繰り広げていたが、それに2016年3月、北部で「自治政府の設立」を宣言したクルド人勢力が加わることになる。ロシアやイラクはアサド政権を支援し、欧米やサウジ等は反体制勢力を支援する。ISは、双方にとっての敵であり、クルド人は、この戦いでは重要な勢力であるが、アサド政権も反体制勢力も、このクルド人「自治政府」は認めていない。トルコも、もちろん国内のクルド人の分離独立を阻止する必要から、同様の立場である。しかし、ロシアは、「シリア介入の足掛かり」とするためクルド人勢力に接近し(モスクワでの事実上の大使館開設)、他方米国は反ISでの支援は行いつつも、「自治政府」については「曖昧な姿勢」を取っているという(欧州諸国の対応については、ここでは触れられていないが、米国と同様、トルコに配慮し、シリアのクルド人勢力に対する明確な支援は控えていると思われる)。こうした国内の民族・宗派の分裂に加え、周囲の列強の国内情勢も考慮した地域戦略が、シリア問題を複雑にしていることは間違いない。そしてそれは、最後の問題である難民問題へと繋がっていく。

 著者は、前記のアルメニア人強制移住や、第一次大戦後のトルコとギリシア間での「住民交換(「民族浄化」をマイルドに言い換えただけではないか、と著者は言う)」を紹介している。「サイクス=ピコ協定は国境線が民族の居住範囲と一致していない」と批判するならば、こうした「強制移住=民族浄化」は、それに対する最も有効な解決策であり、モザイク国家の安定化のためには必要であるということになってしまう。そして現在のシリア難民を含め、「難民が流出することで、結果的に、ある領域には、その時の支配勢力に従うか、従う以外に生きる術がない人々が残る。それは、善悪の問題を別にすれば、ある程度均質な社会を出現させるという意味で、問題の『解決』に近づく」ことになってしまう。それは「ナチス」の「最終解決」を想起させる危険な発想であるが、もちろん著者はそれを是認している訳ではない。しかし、こうした解決も辞さない強権国家が、冷戦後のこの地域の安定に寄与し、それがひいては「第二次大戦後の西欧の復興と繁栄」を促してきたという。しかし、「『アラブの春』によって中東の諸国家が次々に揺らぎ、領域の管理が弛緩することで、西欧の安定と繁栄を可能にしていた条件」があからさまになったことは間違いない。そうした「壁」の崩壊を前に、西欧諸国はトルコを含めたこの地域への介入を強めるかどうかが、「かつての『東方問題』と似通った構図の国際政治になろう」と著者は結ぶことになる。

 この本では触れられていないが、今年に入り激化している、ナゴルノ・カラパフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの戦闘も、この地域の同様の問題の一つである。民族的にはアルメニア人が多数を占めるこの地域が、アゼルバイジャンの中に存在することが、この紛争の主因である(この地域が歴史的にどのような経緯で誕生したのか?また前述のトルコによるアルメニア人強制移住と関係があるのかは、また機会があれば調べてみたい)。スラブ系のロシアはアルメニアを支援し、モスレム系のトルコはアゼルバイジャンを支援するが、これもこの地域における「露土戦争」の再来である。現状、欧米がこの紛争に積極的に介入している様子はなく、まずはロシアの調整に任せている様子である。おそらく欧米は、シリアやアフガンだけで、現状は手一杯ということなのであろうが、これも一歩間違えると欧米ロシアを巻き込む構図になりかねない。さようにこの地域からは、引続き国際政治にとって目を離せない。欧米ロシア其々の、宗教・民族問題、左右勢力による国内分断、更にはコロナへの対応といった国内事情の影響を受けながら、終わりのない駆け引きが続くことになり、そこで直接の被害を受けるのは一般の庶民であるという歴史の悲劇は続くことになる。著者がこの本の最後で触れている、アラビアのロレンスの物語は、映画を含めてこうした地域とそこで動く人間たちの「複雑性」を表現している、という指摘に、妙に納得してしまったのであった。

読了:2020年11月4日