日本はもうドイツに学ばない?
著者:川口マーン惠美
ピアニスト出身でドイツ・シュトゥッガルト在住の著者(昭和31年生まれなので、私と略同世代である)による、2016年1月出版のユーロ論を、2016年に読んだ後、それを忘れ昨年(2021年12月)再読し、評まで二重に掲載してしまった。この新書では、ギリシャ債務問題や難民問題の2016年時点での状況を、著者は、現地での各種報道等を基に、当初予想した以上に鋭い視線から分析、報告していた。そして今回図書館で見つけて読んだのは、それよりも前の2009年2月に刊行された単行本である。「20世紀の戦争をどう克服すべきか」という副題がついているが、ドイツの戦後処理を中心にしたその関連の議論のみならず、当時のドイツが直面していたその他の外交問題や、ドイツ統合の後遺症、そしてゴミ処理や教育といった日常的な話題も取り上げている。既に10年以上も前の著作であるが、不思議に古さは感じない。むしろ改めて著者の冷静な視点と分析に大いに共感するところがあったくらいである。
著者はまずは、日本とドイツの戦後史の類似性と相違を、世代論の観点から分析することから始める。それは「青春期に敗戦を迎え、価値観の急激な変化を肯定的に捉え、その後に続いた経済復興の波の中で立役者として活躍した人たち(第一世代)」、そしてその世代に反攻した子供たち(第二世代)、最後に戦争意識はなく、「政治に興味を失い」淡々と日常生活に勤しむ「しらけ世代」としての、第二世代の子供たち(第三世代)。ここでは、直前に読んだ、同じくドイツ在住の女性評論家クライン孝子の本でも紹介されており、私も次に観る映画として考えている「バーダー・マインホフ・コンプレックス」が取り上げられているが、第一世代の戦争責任を追及する第二世代の反体制運動が、双方の国で極左テロリズムを生み、それをもってその運動が収束していったことが語られている。著者は「自分は遅れてきた第二世代」と呼んでいるが、まさにその意識は私が青春時代に感じたものと同様で、今回改めてノスタルジックな気持ちでその表現に接することになった。そして著者は、そうした第三世代が直面している時代―もはや大きな経済成長は望めないどころか、経済は停滞し、そうした中で高齢化や少子化といった問題に直面する時代―に、ドイツと日本がどのように対応しようとしているかを論じていくことになる。
その最初は、ドイツとポーランド関係の中に、日本と近隣アジア諸国との関係との類似性と相違を探る論考である。敗戦国である両国が失った地域から放逐された人々の苦難は共通するが、陸続きのドイツでは推定1400万人が難民となり、特にソ連の東方拡大の代償として、ポーランドに編入された東プロイセン等からの避難民の悲劇はよく知られているところである。これは戦後満州やあるいは北方領土などからの日本人引上げ者数と比べれば規模は全く桁違いである。そしてその新たなドイツ/ポーランド国境をドイツが最終的に承認したのは、壁の崩壊とドイツ統一後の1990年であったことも良く知られているとおりである。ドイツにおけるこの東方からの引上げ者に対する政治的配慮とそれを巡るポーランドとの軋轢は、日本の同様のケース以上の歴史的重みを持っているのは言うまでもない。ただ、ドイツはこの国境を、近隣国と協議の上、一応国際的に確定させたが、日本は、尖閣や北方領土といった国境問題(もちろん、尖閣の場合は、「国境問題はない」というのが日本政府の立場ではあるが・・)が依然現在進行形の課題となっていることは注意する必要がある。
戦後の賠償問題については、著者は、国家間で合意される「戦時賠償」と個人に支払われる「補償」に分け、後者はナチ被害に対するユダヤ人団体などへの膨大な「補償」を行ったが、前者の「戦時賠償」は、東西ドイツへの分裂や冷戦環境の中で結局ほとんど行わなかったことを改めて強調している。そして「ホロコーストと戦時賠償未払い」という日本にはないドイツの二つの負い目が、戦後ドイツの近隣外交の基盤となったとしている。この点で、「(戦争犯罪に対し)ドイツは謝罪や賠償を行っているが、日本はしていない」というのは誤りとしているが、その見解は私も全面的支持したい。
そのポーランドが、2007年頃は、カチンスキという双子兄弟が大統領と首相を分け合い、彼らがEUに参加した後も、EU憲法である「新基本条約」の改定などで「大太刀回り」を行ったが、結局メルケルに押し切られた経緯、あるいは選挙で弟の首相が辞任し、「退屈な男」トゥスクが首相に就任し、大統領の兄と権力抗争を繰り広げている様子等が語られている。その後カチンスキの兄である大統領が、カチンの森虐殺記念式典に向かう途中飛行機事故で死亡したり、「民主派」トゥスクがEU大統領になったことで首相を辞任。以降はカチンスキを引継いだ大統領のモラヴィエツキが「独裁色」を強め、相変わらずEU憲法の一部条項への批判を繰り返したりしているが、現状はロシアのウクライナ侵攻により、EUもとポーランドの関係は相対的に安定している。当然ながら、ポーランドは、過去に両側にあるソ連(ロシア)とドイツには何度も苦しめられてきた歴史を有しているが故に、双方のバランスに配慮した政策をとらざるを得ないということである。
続けて、フランスとトルコ間での「アルメニア虐殺」を巡る論争や、それに関連してトルコのEU加盟問題や、キプロスでのトルコとギリシャの対立等を解説しているが、それは省略し、ドイツによるエネルギー供給でのロシア依存についての論考を見ていきたい。何故なら、これは、まさに現在ロシアのウクライナ侵攻を巡るロシアと欧米の対立でも、大きな課題となっているからである。
ここでの主要な登場人物は、当然ながらロシア側はプーチン、ドイツ側は社民党政権時代の首相シュレーダーである。特に1997年、シュレーダーが「緑の党」との連立政権で首相となり、続いて1999年プーチンがエリツィンの後継者として大統領になると、シュレーダーがプーチンに急接近していった様子が報告されている。当時のシュレーダーの主要政策が、@バルト海の海底の天然ガスパイプライン(ノルドストリーム)の建設と、A原子力発電所の段階的廃止で、まさに前者が、その後、ドイツが天然ガスを始めとするエネルギー資源のロシア依存を高める契機となったのである。そして前者については、まさに2005年シュレーダーが総選挙で事実上敗北(CDUとSPDの大連立であった)する直前に、ガスプロム社を始めとする関係企業との調印を完了し進められることになった。確かに、この時点でも、ロシアへのエネルギー依存を高めるとか、天然ガスの価格が一気に引き上がるといった懸念は出ていたが、シュレーダーはそれを強行し、更に首相退任後、このガスプロム社の監査役会会長に就任したのである。そしてシュレーダーは、その後、贈収賄の疑惑をうまく逃れたのみならず、メルケル政権がロシア問題に批判的に向き合う中、プーチンを擁護する発言を繰り返したのみならず、中国にも接近し、2007年には中国外務省の顧問にまで就任したという。そして2007年メルケルがダライ・ラマと会談すると、時のシュタインマイヤー外相(SPD)と一緒になって、メルケル批判を繰り広げたという。もちろんメルケルはそれを耐え抜き、今年の退任まで17年間の長期政権をまっとうしたということではあるが・・。
最近のノルドストリーム経由の天然ガス供給が、点検を理由に一時停止される等、これを巡るロシアの圧力が強まっているが、ここではもはやシュレーダーの名前が出てくることはない。もはや彼はロシアにとっても使い勝手がない存在になっているのだろうか?
そのドイツでは、2007年の小泉首相の靖国訪問を巡り、自国が過去に真摯に向き合っているのに対し、日本では過去の戦争についての反省がない、という論調の記事が、保守的な新聞にも溢れていることについて、著者は懸念を表明している。この日本人政治家の靖国参拝については、当然ながら日本でも賛否両論があり、またその論点も多岐に渡っている。しかし著者によると、ドイツでの報道は、単に中国や韓国の見方をそのまま伝えているものばかりで、この問題についての日本での客観的な議論が踏まえられていないものが多い。そしてそれは、日本が、南京虐殺や慰安婦問題などを含めた日本の戦争責任への対応について、きちんと対外発信をしていないことが最大の問題だとしている。私も政治家の靖国参拝は反対であるが、最近の韓国との慰安婦や労働者の強制徴用問題に関する文在寅前政権の対応などは問題であると考えているので、こうした著者の懸念と日本政府への提言は十分納得できる。この辺りは、著者が言う、日本の平和ボケの際たるものであろうが、間違いなく現下の欧州や東アジアの緊張激化の中で、ドイツを含めた欧州の日本への見方も変わってきていること、そしてこの機会を受けた日本政府の積極的なアピールを含めた対応を期待したい。
その他、著者は東独時代にホーネッカーが作ったベルリン郊外の核シェルターの見学記や、先日観た映画「グッバイ、レーニン」でも描かれていた旧東独への郷愁(オスタルギー。「オステル」という、それを体験できる安ホテルの話は面白い!)について、あるいは2006年に、戦後民主主義の闘志G.グラスが元親衛隊員であったことを告白した問題、更には、冒頭でも触れたドイツのゴミ処理や教育問題に関する短い論考も、それなりに面白いが、詳細は省略する。
以上、ドイツ人と結婚し、そこに長く滞在する著者ならではの現地情報と、それを受けた、日本人の立場も踏まえた考察は的確で、共感できるところが多い。繰り返しになるが、一時期は、貿易やエネルギー供給を主目的に、ロシアや中国に接近したドイツであったが、今やそれは大きな転換点に差し掛かっている。そうしたドイツ、あるいは欧州の10数年前の姿と、既にその頃から内在していた現在の問題の萌芽を十分認識することができた著作であった。そして表題の「日本はもうドイツに学ばない?」にある「?」は、個人的には、「依然学ぶべきことは多いが、あくまで批判的に学ぶ姿勢が必要である」というように理解したいと思うのである。
読了:2022年9月8日