アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
プーチン幻想
著者:G・アンドリー 
 ウクライナ・キーウ出身の若手国際政治学者による、2019年3月出版の反ロシア、反プーチン論である。著者は1987年生まれで、2010年から早稲田大学での日本語研修から始まり、京大で博士課程を終えた後、日本語の懸賞論文などを受賞し、現在は講演・執筆活動などを行っているようで、このデビュー作以降も、「ウクライナ人だから気がついた日本の危機」とか、「ロシアのウクライナ侵略で問われる日本の覚悟」といった著作を刊行している。日本ウクライナ文化交流協会の政治担当部長も務めているということで、現在のウクライナ危機でもっとメディアに出ても良さそうな人物であるが、そこで全く見ることがないのは、そのあまりに反ロシア、反プーチン的な議論が、日本のメディアや、その背後にいる政権関係者に危険視されているからなのか、と勘繰ってしまうくらい「過激」な議論を展開している。しかし、その日本語能力は、編集者の手が入っているとは言え、なかなかのものである。

 著者の視点から見ると、日本ではプーチンに対する多くの幻想が生きているという。それらを整理すると、プーチンは、@(柔道を習っていることなどから)親日である、A反中国である、B「伝統的な家族観、宗教観、国家観を持つ」保守主義者である、Cグローバリストの対極にいる「国家主権や国益を守ろうとする」ナショナリストである、D国際金融資本と闘う勇者である、そしてE強権的な指導者であるが、彼がそうした権力を行使するのはやむを得ない場合だけである、という6点であるが、著者はそれが大いなる「プーチン幻想」であるとして論難していくことになる。

 この議論を進めるにあたり、著者はまずは、プーチンが権力を握るまでの経緯と、権力掌握後の強権的手法の数々をおさらいしているが、これは前に読んだ「独裁者プーチン」(以降「前著」と略す)とほとんど重複している。ただそこでも彼の権力獲得の大きな契機となったと触れられている1999年9月の「チェチェン・テロリスト」によるモスクワ等でのビル爆破事件が、FSBの陰謀であったという説や、2006年11月のリトビネンコの暗殺等を、より明確な事実として主張することになる。そして面白いのは、前著と異なる議論として、こうしたプーチンの強権支配を許している責任の半分は、西欧諸国、特に米国にあるとして、ロシア革命直後から、第二次大戦中のソ連への支援や、ソ連崩壊後のロシアへの融和政策など、米国は何度も自滅しかけていたこの国の政権を、様々な形で支援し救ってきたという議論を展開するのである。それがようやく変わったのが2014年のクリミア侵攻以降であるが、それ以降も、ドイツによるロシアの天然ガス輸入のためのバルト海パイプラインの敷設等「ロシアマネー」に目をくらませ、結局西欧の対露政策は、「ロシアがすでに暴走の行きに達する」まで、「自国の安全保障の感覚を失った」ままであったとするのである。こうした「権威主義」国家が、政治の安定と国民の生活水準上昇で「民主化」するだろう、という欧米の期待は、ロシアのみならず、中国でも裏切られてきた発想であるが、その要因は、やはり夫々の社会構造上の特性を無視した「上から目線」の外交政策の限界と言えるのであろう。そして現在のプーチン政権に関して言えば、西欧諸国で勃興しつつある新右翼―フランスの「国民戦線」、イギリスの「英国独立党」、ドイツの「ドイツのための選択肢」、オーストリアの「自由党」、イタリアの「北部同盟」と「五つ星運動」等―が接近し、プーチンも彼らを利用するという、西欧での反民主主義的な流れをつくることにもなっているのである。

 こうしたプーチンの支配構造を踏まえて、著者は、冒頭に指摘した日本における「プーチン幻想」を一つ一つ論難していくことになる。柔道を嗜むから「親日」、とんでもない。それはアニメが好きな指導者や国民がいるからその政権が「親日」とは限らず、実際現代ロシアでの反日教育は、中国や韓国のそれと大差はない。ロシアのそれが、中国や韓国と比較して目立たないのは、ロシアにとって現在の日本の脅威が小さいー外交上の優先度が低いーからであり、第二次大戦末期の日ソ不可侵条約を反故にしての参戦の様に、機会があればいつでも日本への侵略はあり得る。ましてや北方4島の返還など、夢のまた夢であると見るのである。

 ロシアが、「反中国」である、というのも幻想である。中露の経済関係や軍事同盟は強固であり、ロシア国内でのメディアは中国を誉めそやしているとされる。この点は、ウクライナ侵攻以降、益々納得できる状態になっているが、他方で以前に読んだ廣瀬陽子の著作でも指摘されたとおり、「中露はそれぞれ大国意識が強く、両者間には、勢力圏争いともとれる動きがしばしば見られる。ロシアが中国の勢力圏拡大およびロシアの勢力圏の侵害を警戒している。そして(ロシアの勢力圏での)政治・経済はロシア、経済は中国という分業のバランスが崩れる恐れ」があり、特にロシアが独占してきた中央アジアでの石油、天然ガス権益を巡る中露の争いは激しくなっているという留保は意識しておく必要はあろう。またウクライナ侵攻についても、中国がロシアに軍備の提供を含めた支援を行っていることは明らかであるが、表向きは、中国はあからさまな支援が表に出ないよう注意して対応しているという点も踏まえておく必要はあろう。

 プーチンは、「伝統的な家族観、宗教観、国家観を持つ」保守主義者であるどころか、自らの権力維持のためには反対派の殺人も厭わない独裁者で、「安定的な発展を理想とする保守主義者」などではない。またグローバリストの対極にいる「国家主権や国益を守ろうとする」ナショナリストであるどころか、例えば中国との関係では、やはり権力維持のためには「中国によるロシアの属国化」さえも厭わず、「ロシア国家の存亡が将来的に危うくなること」などどうでも良い。国際金融資本と闘う勇者であるどころか、自らの息のかかった国際資本は保護し、また自分や側近の膨大な資産隠しに国際金融ネットワークをフル活用している。そして暴力の行使は「やむを得ない場合だけである」どころか、日常的な彼の手法である。こうして日本での「プーチン幻想」は、全く的が外れているということで、日本も反プーチンの戦略を巧妙に仕組むべきであると主張するのである。

 その関連で、日本の北方領土返還に向けての交渉、なかんずくプーチンとの個人的親交を通じて局面の妥結を図ろうとする当時の安倍政権の姿勢を批判すると共に、最終的には軍備を含めた国力強化により、4島をロシアから奪い取る準備を周到に進めるべきとしている。この辺りは、確かに冷徹な国際政治の現実を踏まえた提言として一聴の価値がある。最終章で、著者は、ソ連時代に、米ロに次ぐ核大国であったウクライナが、ソ連解体時に米国の圧力もあり、ほとんど条件を付けず全ての核軍備をロシアに引き渡したことを「クラフチュク大統領を始めとする当時の無能なウクライナ政権幹部の無能が引き起こした大失策」と酷評しているが、そこには、その後のロシアによる侵攻も含め、歴史的に陸続きの近隣大国の脅威に晒されてきた小国の苦難が凝縮されている。そして著者から見れば、日本外交の「能天気さ」は我慢が出来ないものであろうが、他方で、海に囲まれた日本はそれなりに地政学的に幸運に恵まれていたことを痛感する。しかし、近代兵器の発展と共に、日本も何時までもそう言っていられないのも事実であろう。ウクライナ侵攻で、ある意味単純な著者の反ロシア、反プーチン姿勢が益々説得力を持っていることは確かであり、冒頭に触れた、今回の侵攻後の状況を踏まえた著者の議論も機会があれば是非読んでおきたいところである。同時に、状況がそうである故に、日本は、対中外国を含め、冷静な状況分析が益々必要になっていることも忘れてはならないだろう。

読了:2022年12月11日