アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
ポスト社会主義の政治
著者:松里 公孝 
 大学時代に、スターリン時代の農業集団化等、ソ連社会主義政権の政策を詳細に分析した渓内譲教授のゼミで、F.フェイトの「スターリン時代の東欧」と「スターリン以後の東欧」という2つの著作を読んだことがあった。それはスターリン時代に、ソ連の「衛星国家」となった東欧主要諸国と、スターリン後のその地域での「反ソ連」的な動きとその挫折等を中心に追いかけた作品で、当時、チェコスロバキアの1968年運動等、東欧諸国のソ連離れの動きを個別に追いかけていた私は、それらの諸国の現代史について包括的に学ぶことができた。その後冷戦が終了し、ソ連崩壊、そしてそれらの国々の独立と「民主化」、あるいは内戦の歴史を経て現在に至っている訳であるが、その動きは、ここのところは、新聞やテレビを通じた情報が中心で、「政治学的」に立ち入った書籍に触れることはほとんどなかった。この1960年生まれの東大教授による著作は、まさにこうした渓内らのロシア帝国史やウクライナ等旧ソ連諸国の現代史研究を学問的に引き継ぐものである。著者は研究上の恩師として篠原一を挙げ、渓内には言及されていないが、おそらく彼の研究も参照していることは間違いないだろう。

 上述のフェイトの著作では、どちらかというと主要な東欧諸国である、東ドイツやポーランド、ルーマニア、ブルガリア、そして独自の社会主義を打ち立てたチトー率いるユーゴスラビア等が主要な対象であり、ソ連を構成していたベラルーシやウクライナといった国は取り上げられていなかった記憶がある。それに対し、本書では、ポーランドを除くと、分析の対象は、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドバといった旧ソ連から独立した諸国となっている。ソ連崩壊後、バルト三国や所謂「汗」諸国を含め、多くの独立国家が誕生したこと、そして夫々の国が夫々の複雑な地政学的、民族的、宗教的な事情を抱えていることから、一区切りに「東欧諸国」といった括りはできない状況になっている。またポーランドやチェコ等、かつての主要「東欧諸国」は、NATO加盟を通じて、最早「東欧」という概念で捉える必要もなくなっている。そうした中で、上述のとおりここで取り上げられているのは唯一ポーランドを除けば、そうした旧ソ連を構成していた諸国である。そしてその中では、現在ロシアとの戦争の最中であるウクライナを除くと、ほとんどメディアに取り上げられることのない国々であることから、私が初めて接する政治家たちの名前も多い。半面、その結果例えばリトアニアの詳細な現代史叙述は、ほとんど頭に残らない結果になってしまう。こうした諸国を追いかけている学者がいる、ということ自体に驚きを感じてしまったくらいである。そんなことで、ここでは著者が取り上げている5か国について、あくまで私が関心を抱いた部分だけを書き留めておくことにしたい。

 まず、かつてのソ連・東欧地域には、今日28の承認国家、3つの半承認国家(コソヴォ、アブハジア、南オセチア)、4つの非承認国家(沿ドニエストル、ナゴルノ・カラパフ、ドネツクとルガンスクの人民共和国)が挙げられているが、これだけの国や地域の動きを一体として見ていくのは難しいことをまず実感させられる。その意味で、この地域の研究は、以前のソ連及びその衛星国を見ていた時と比べ物にならないくらい複雑である。そしてその中でも数多く存在する承認・半承認・非承認国家の政治体制を見る上で、鍵になるのが大統領制・準大統領制・議会制、という制度枠組みである。2020年10月現在、エストニア、ラトビア、ハンガリー、アルメニアの5か国が議会制、トルクメニスタン、ナゴルノ・カラバフ、ドネツク人民共和国の3か国が大統領制を採用している他は、27の旧社会主義国家が準大統領制を採用しているという。その多くの国が採用している準大統領制は「国民が選挙で選ぶ大統領と、首相が併存する体制」であり、またその中でも大統領の首相任命権や罷免権、それにおける議会の権限などで、様々な類型があるとされる。著者は、こうした体制で、大統領と首相、そして更には議会との権力関係が、ソ連崩壊以降の夫々の国の固有の政治展開を進めてきたことを、5つの国の例を詳細に辿りながら示すことになるのである。また「社会主義体制崩壊後の約30年の政治史は、だいたい2008年を境に前半と後半に分けられる」として、前半の「移行期」と、コソヴォが独立宣言し、これを米英仏独日等が承認した2008年以降の、旧共産圏の非承認国家問題が流動化した後半に分けて見る、というのは、今回初めて意識することになった。

 こうしてまず取り上げられるのはポーランドである。言うまでもなく、社会主義時代から「連帯」の活動を中心に個人的にも追いかけてきた国で、独立後もワレンサ大統領のカリスマの下で政治運営が行われてきたところまでは見ていたが、ワレンサ引退後の動きはほとんど関心を払ってこなかった。ここでは、この国がそうした「移行期」を経てある種の混乱に陥り、模索を続けることになったことが示されることになる。

 民主化後のポーランドでは、ワレンサ大統領下での「移行期」が進む過程で、「首相大統領制」を採用することになったが、ここで、「普遍的矛盾」が顕在化する。「行政機能の内閣への集中が進んだため、大統領公選廃止まで行かずとも、公選大統領の存在意義がしばしば問われる」ことになったという。そして民主化前は、カトリック色の強い労働運動と反社会主義の世俗的知識人が共闘していたが、民主化と共にこの両者の間の溝(人的には、前者がワレンサとカチンスキ、後者がマゾヴィエツキに代表される)が表面化し、それが制度設計にも影響していくことになったとされている。

 まずは「ポピュリスト」的なワレンサ大統領とカチンスキの連合が、「合理主義的経済改革者」のマゾヴィエツキの勢力を駆逐するが、次にはワレンサとカチンスキが対立する、といった構図は、革命後のソ連での権力闘争を連想させる。ただ異なるのは、前述のように、ワレンサが次々に任命する首相の憲法上の位置付けを巡る論争が繰り広げられたということである。そこでは大統領「独裁」を抑制する、勢力均衡や権力チェックという議論が行われることになった。ハイパーインフレや失業、そして農工業の衰退といった経済危機が続く中、ワレンサは首相の任命やその政策への干渉等、様々な政治工作を行ったようであるが、1995年の大統領選挙でクワシェネフスキに敗れ、その結果、議会=首相の権限がより強い、「首相大統領制」を鮮明にした憲法改正が行われることになったという。この辺りが、民主化後のポーランドの政治過程での一つの大きな転換点であったということになる。そして2000年代に入ると、この国の政治勢力は左にリベラリスト政党(トゥスク首相)と右のポピュリスト政党(カチンスキ兄弟)という「二大政党制」に移行していくことになったとのことである。カチンスキ大統領、トゥスク首相というコアビタシオン下では、様々な暗闘があり、また2大政党もその後再編を繰り返すことになったということではあるが、それなりに「首相大統領制」が安定し、トゥスクは全欧的な名声を確定し、その後欧州理事会議長に転身することになる。

 現在のポーランドは、2015年から大統領を務めるポピュリスト系のドゥダ大統領(2020年7月に再選)と2017年から首相を務めるモラヴィエツキ首相(2019年11月再任)の体制が続いている。一時はアフリカや中東からの難民問題で、EUに抵抗する等ポピュリスト的傾向が強まったことがあったが、現在はウクライナ危機で、EUの最前線的な役割を果たしているようであり、それなりに民主化が成功したケースと考えられる。

 著者が次に取り上げているのはリトアニアである。何故同じバルト3国の中で、エストニアやラトビアではなくリトアニアなのか、というのが当然の疑問であるが、著者によると他の2国(議会制と採用)よりも基幹民族であるリトアニア人の比率が高く、民族対立が目立たなかった(他の二国は独立後、ロシア系移民の選挙権・市民権を剝奪した)ことから準大統領制を採り、大統領が指導力を発揮し易かったという点が異なるとされている。その結果、議会では時折有権者の不満を体現するポピュリスト政党が席巻することがあるが、それを「劇場政治」的に大統領が安定させていくという流れになり、政治の安定化に寄与しているという。たださすがに、著者は細かく見ているこの国の内政を今後も追いかけていこうという気にはなれない。

 次はアルメニアである。この国を見る上では、ナゴルノ・カラバフを巡るアゼルバイジャンとの、ソ連時代を含め歴史上長く続く紛争を抜きに語ることはできない。こうした隣国との緊張関係が大統領権限の強化となるが、それが時として「独裁」批判となり、1999年には大規模な議会テロを引き起こしたという。また外交面では、歴史的にロシアの影響力が強かったが、2001年の欧州評議会加盟以降、「議会を強めよ」という圧力に晒され、大統領の権力を制限する首相大統領制への移行と、「政党政治における一等優位性の建設」が同時に進められることになったという。最近ではまたナゴルノ・カラバフを巡りアゼルバイジャンとの軍事衝突が発生しているようであるが、この辺りがまた内政に影響している可能性もあるのではないかと思われる。

 そしてウクライナである。言うまでもなく、現在のロシアとの戦争で、ゼレンスキー大統領が連日メッセージを発信し、逆にそれ以外の政治家や政治勢力はほとんど表に出ることがない状態になっている。そもそもこの国の政治体制はどうなっているのか、そしてロシアとの戦争が避けることができなかったのかが、個人的な関心であった。しかし、結論的には、この作品がロシアによる侵略前の2021年3月の出版であることもあり、特に後者については特段深く触れられることはない。

 それでは前者のこの国の政治体制の推移はどうだったのだろうか?著者は、まずこの国についての偏った見方を修正することから議論を始める。その誤解の一つは、この国が、親ロシア的な東南部と親欧州的な西部の文化的分裂にあり、それが今回のロシアとの戦争の原因とする見方である。しかし、この国の歴史を見るとそれほど単純ではなく、この国の領土は、ロシア帝国時代に3段階に渡ってロシア帝国に組み入れられた東南部と、第二次大戦に前後してポーランド、ルーマニア、チェコスロバキアからソ連に組み込まれた6つの地域からなり、夫々に「進歩・保守」の対立があったとされる。東西対立軸は、その他の対立軸がない時に前面に出てくる傾向があり、2004−5年のオレンジ革命以降、「かなり人工的に作り出された」ものであるという。またこの国は、ソ連時代は農村地帯という誤解があるが、ソ連時代はコメコンの地理的中心にあったことから、軍需・宇宙産業の中心地となり、ロシアはむしろウクライナに原材料を輸出していた。ところがワルシャワ条約機構崩壊後は、こうしたウクライナで生産された兵器を買う相手が消滅したことから、経済的な困難に直面したことが指摘されている。この点ではベラルーシが、ソ連時代に民需品生産に特化していたことから、冷戦後の資本主義にそれなりに適応することができたことと比較されている。

 それではこの国の1991年12月の独立以降の政治体制はどうであったのか。結論的には、1996年憲法により権力分散的な「準大統領制(理念を担う大統領と、実務を担う首相)」が生まれたが、その後の何人かの大統領と首相の権力闘争という紆余曲折を経た結果、オレンジ革命の最中に生まれた2004年の憲法改正によりこの権力の分散(大統領と首相の権力闘争)がいっそうひどくなり、2013年には「ユーロマイダン革命」と呼ばれる諸政党勢力による武力衝突も発生することになる。ただ現状では、この2004年憲法が有効になっている。そして2019年3−4月の選挙で誕生したゼレンスキー大統領の下で、現状は彼の「人民の僕」等が議会も抑えていることから、実質的には「大統領議会制」に近い形で政権運営されているという。そしてこうした体制下で、「社会経済政策の失敗をごまかすために言語,正教、歴史評価といったアイデンティティに関わる問題をアピール」するユシチェンコ大統領の行動に、ウクライナ東部での地域党の勢力拡大や、それに危機感を覚える民族主義者の活発化、更には「2008年以降のロシアと西側の地政学的な競争の激化」が加わり、この国の政治は迷走、結果的に2014年のロシアによるクリミア併合を経て、今回の侵攻に至ることになるのである。こうして見るとやはりウクライナは「失敗国家」であり、プーチンの行動は、それを見越した対応であったと考えられなくはない。しかし、今度はそれがゼレンスキーの下での民族感情の一体感をもたらしたというのも皮肉である。そう考えると今回の侵攻が一段落しても、この国の体制の安定化に至る道は厳しいと考えざるを得ない。

 そして最後に取り上げられるのは、ウクライナの西に接し、沿ドニエストルという「非承認国家」問題を抱えるモルドバである。この国も冷戦終了後は、大統領と首相・議会の間での抗争が続いたようであるが、ここで私の誤解があったのは、その沿ドニエストルは、ウクライナ南東部のように、ロシア系人口が多いのではなく、むしろルーマニア系が主体であるという点。この国ではロシア系はむしろ全土に散らばっていることから、それが地政学的な問題にはならないようである。それでもロシアが今回の侵攻に当たって沿ドニアルトルも視野に入れているのは、このルーマニア人主体とは言え、その分離主義を自国の勢力拡大に利用しようという意図と思われる。いずれにしろ、ウクライナよりも更に貧しいこの国は、ロシアの侵略という脈絡だけでの関心なので、ここで深入りすることはしない。

 以上の様に、ソ連崩壊後の旧東欧、旧ソ連地域に独立した幾つかの国家の流れを見てきたが、基本的には、どの国も大統領と首相・議会の権限を巡り試行錯誤を繰り返し、その過程で多くの紛争を経験してきたということが共通している。革命による破壊は容易であるが、その後の建設は困難、という命題を地で行くような歴史である。その意味で、かつてソ連時代に私がこの地域を見ていた頃とは、大きく視点が変わっているのを感じる。中央アジアや中東と併せて、この地域はまだまだ国際政治における「火薬庫」的な存在であり続けることになるのであろう。冷戦やソ連による支配時期は、それが力で抑えられていた。それから解放された後、そこでは新たな混沌が支配することになったのである。そうした地域を丹念に追いかけている著者の活動には敬意を表するが、正直、これらの国のすべてを追いかけることは現在の私には難しいと感じさせられた著作であった。

読了:2022年12月22日