老人支配国家日本の危機
著者:エマニュエル・トッド
新年最初の読書は、日本に関わる諸問題を中心に、今まで何冊も読んできているE.トッドへのインタビューや彼との対談をまとめた2021年11月出版の新書である。しかし実際に収録されている各章は、2013年9月―2021年1月に跨っており、夫々発表された時期の情勢が背景となっていることから、特に古いものでは、昨年末読んだ欧米知識人の提言集と同様、現在では古さを感じさせるものも多くなっている。トッドは歴史人口学者として何冊かの学問的大作を発表しているようであるが、私はそれらには今まで触れたことはなく、時事的な新書だけしか読んでこなかった。しかしこの新書では、彼本来の歴史人口分析の片鱗も垣間見られ、時事的な部分よりも、こうした学問的な部分が面白く感じられることになった。
時事的な部分は、時節柄新型コロナへの日本や欧米各国の対応について、あるいは米国トランプを巡る自由貿易主義と保護主義の対立といったテーマが中心になる。コロナについては、この感染拡大が「グローバリズムに対する最後の審判」である、というコメントが目を引く。グローバリズムによる生産ネットワークの拡大が、コロナにより寸断されたことが感染拡大に繋がったとして、保護貿易重視の観点からこうしたサプライチェーンの見直しを推奨することになる。
しかし、こうしたサプライチェーンの複雑化とその寸断の問題は、コロナにより鮮明に意識されることになったことは確かではあるが、それ以上に、中国のような権威主義国家に生産が集中していることの方がより大きな問題である。当然ながら民間企業もこのリスクには気がつき、その分散化を進めていることは言うまでもない。
また人口学者としての分析から、英米のような「絶対核家族」やフランスのような「平等主義的家族」で死亡率が高く、日独韓のような(権威主義的な)「直系家族」では低い、という議論を展開し、これは後者が保護主義的傾向から国内産業の空洞化を抑え、国内の生産基盤と医療資源を維持できたから、としている。しかし、例えば中国も後者に入るのであろうが、死亡率の統計自体の信憑性を考えると、単純にそう言っていいかは疑問である。
「日本は核を持つべきだ」という2018年発表の章は全く問題外。続いて日本への移民受入れを推奨する次の論考も常識的な範囲なので飛ばし、トランプを評価する幾つかの論考を見ていこう。
トランプの個人的性格や突飛な発言・行動については皮肉りながらも、彼が進める保護主義的政策は、英国のブレクジットと共に、現在まで主流であったグローバリズムと自由貿易主義を修正し、ネーションを復活させる契機になる、ということで評価する。彼にとっては、ユーロに象徴される地域統合とグローバリズムは、その中での強者(例えばユーロ圏ではドイツ)の覇権を強化するだけで、その陰でその他の国の産業力を弱め、国民生活の水準を悪化させる結果となる。そしてそうした、ユーロのエリート官僚ら「エリート」が頭で主導する政策が、各国でのポピュリズムを促し、国内の政治状況を不安定にさせているということになる。そして、米国で民主党バイデンが勝利し、トランプの再選が阻止された2021年1月の論考でも、「保護主義」、「孤立主義」、「中国との対峙」、「欧州からの離脱」といったトランプが掲げた課題が、今後30年の米国のあり方を方向付けることになるだろう、としている。
確かに、そうした議論は、現在の欧州や世界が直面している問題をそれなりに的確に指摘している。しかし、地域統合が、ネーション間での決定的な対立を避けるという「理想主義」は、その役割を終えた訳ではない。むしろこうした統合やグローバルな交易による統合を進めながら、そこから発生する課題を一つ一つじっくりと対応していく、というのが正しい姿勢なのではないだろうか。著者が指摘している懸念としての米国社会の分断―「アングロサクソンの絶対核家族に潜在的に備わっている個人主義的で、不平等に寛容なイデオロギーが、あまりにも現実化されてしまった」ことがその主因である、という議論は面白いーや、中国、ロシアといった権威主義国家との緊張も、そうした脈絡で議論されるべきなのであろう。当然ながら、今回のロシアによるウクライナ侵攻が、ユーロやNATOの拡大に対するロシアの懸念から発生していることも、念頭に置かなければならないだろう。
こうした著者の反EU,反グローバリズムといった議論は私の賛同するものではないが、本書の最後に収められた日本の歴史人口学者二人との対談は結構面白い。ここでは著者のそれまでの時事的問題への発言とは別の、著者が「新ヨーロッパ大全」や「家族システムの起源」といった専門分野での著作で分析してきた世界が議論される。そしてその中で日本についても結構触れられることになる。
そこで日本について議論されるのは、鎌倉時代に起源を持ち、江戸時代に確立されたと言われる日本の「直系家族システム」が、現代日本の会社システム等にも影響を及ぼしているということ、そして他方では、社会が危機に瀕した際に、薩摩藩等、そうした家族システムと異なる地域の出身者が革新的な役割を果たしてきた、といった点である。これは「日本的家父長制」の問題と捉えられると思うが、現代の「核家族化=米国型家族社会」への移行が、その変革の兆しになるかという課題と結びついている。日本人の対談者の一人は、「意識や価値観は直系家族のままですが、実際の家族は核家族化が進むどころか、生涯未婚者が増えて、今や「非核家族化」が進行している」のが日本の少子高齢化の一因としている。
こうした仮説が現状の的確な説明になっているかどうかは、私は直ちに判断することはできないが、著者や、ここで対談している日本の歴史人口学者二人(磯田道史と本郷和人―もちろん私は初めて聞く名前である)が、夫々の研究対象の古文書を丹念に探し、読み解くような作業を続けていたことには大きな敬意を払う。そしてトッドについては、こうした専門分野での確かな実績を踏まえて、上記の時事問題についても独自の観点から議論を進めていることについては、その内容は必ずしも賛同できない部分も多いものの、やはりその博識ぶりにはいつもながらの刺激を受けることになったのであった。
読了:2023年1月1日