アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
プーチンの戦争
著者:N.アンドリー 
 この直前に読んだ楊逸(ヤン・イー)の「反習近平、反中国共産党」と同様、在日ウクライナ人による「反プーチン、反ロシア」の徹底的な主張である。著者は1995年、まさに現在ロシアとの激戦が繰り広げられている東部ハルキウ市の生まれで、2013年からウクライナで親欧米側の学生運動に参加した後、2014年来日。日本語学校から始まり、大学で経営学を学んだ後、現在は外交評論家として活動している。楊逸と同様、20歳前後に、始めて本格的に学んだ日本語でこれだけの本を書く力には驚かされる。

 そして内容であるが、楊逸の中国批判と同様、プーチンの暴挙に対する徹底的な批判と、それが日本にとっても、特に中国との関係において「他人事」ではないことを、これでもか、これでもか、と繰り返すことになる。2022年5月の出版ということで、まさに2月にプーチンが本格的な侵攻を初めて数か月経った時点であるが、2014年のクリミア併合以降も、ドンバス等のウクライナ東部では戦闘が繰り広げられており、そこでのプーチンによるデマの拡散や実際の虐殺などが克明に告発されている。この辺りは、まさに戦闘の前線を知り、且つ現在もその母国の状況を刻々と知らされている著者ならではの臨場感があり、十分な説得力がある。そしてこのロシアの侵略は、欧米日本などの西側諸国が、クリミア併合を含めたプーチンの暴挙に対し、口先だけ、あるいは実効性の弱い経済制裁だけに留めたことで、プーチンに甘く見られたことが主因であるとして、プーチンとロシアに対する西側諸国の本格的な武力行動が必要と論じる。「軍事力なき外交は、ロシアや中国には通用しない」それは今後の中国の動きに備える上でも、日本も十分考えておかなければならないとするのである。

 こうしたロシアや中国といった権威主義的独裁国家に対する著者の批判と、それらの諸国に対し、欧米日本が、「平和ボケ」から目覚め、軍事力に裏付けられた強硬路線を取るべき、という主張は、それなりに説得力がある。もちろんロシアに対する欧米の対応は、最近のドイツ製戦車のウクライナへの提供といった、より踏み込んだものになっているのは、こうしたウクライナ側からの強い要望があった結果であるのは間違いない。そして、スターリンのソ連による、第二次大戦終了直前の日本への参戦や北方領土占領といった歴史を踏まえながら、日本に対しても、経済援助等を通じてのロシアや中国からの「平和的な外交」は期待できないこと、従って日本も相応の軍事力を強化して「力」を示さなければならないとしている。実際、日本でも、こうした議論は、今回の岸田政権による軍事費のGDP比2%への引上げといった政策の背景にあることは間違いなく、著者の主張がそれなりに日本の政策にも影響力を及ぼしていると考えられなくもない。その意味で、日本語でこれだけの主張を展開する若いウクライナ人は注目に値する。

 しかし、彼が日本の政策について更に立ち入った主張を行っていくと、やや違和感を覚えることになる。自身の、苦学した上での日本での就労ビザ獲得の経験を踏まえた、入管法を中心とした日本の移民政策―難民や「特定国籍者」への優遇等―への批判あたりは、まだ聞くに値する。しかしトランスジェンダーといった「マイナリティーへの過剰な配慮」が広がる欧米の風潮を日本は警戒すべき、といったあたりから、あれ、といった感覚が広がる。そして、権威主義国家への軍事力強化による対応という主張が、そのまま日本の平和憲法の改正―特に自衛隊の憲法上の公認―、そして靖国参拝への賛同といった議論に進んでいくと、ちょっと待ってくれよ、という気持ちになる。そしてこの本の後半は、ほとんど日本の「左翼・リベラル系」野党批判と安倍政権や自民党への賛美が続くことになり、個人的には全く共感できないことになってしまったのである。

 もちろん、日本の家族文化への敬意や日本人の中での不必要な「反日」への批判は、ある程度私も賛同する。しかし、それは少数者の権利保護の軽視や、付和雷同的な政権擁護に転じてはならない。「安易な「自民党嫌い」から反日政党に投票する」ことへの著者の批判は、むしろ、自民党への無条件の賛美は、それこそ日本を危機に晒す、と返したくなる。そして偶々新聞広告で気がついたのは、著者が保守系の雑誌の寄稿者になっている、ということ。最近の寄稿は、「日本はサイバー攻撃に備えよ」といったテーマであった。もちろん、それ自体は、ロシアや中国への対応での正論ではあるが、掲載されている雑誌の傾向から見ると、著者のウクライナ人としての経験は、明らかに日本の保守論壇に格好の素材を与えていると考えざるを得ないのである。

 繰り返しになるが、著者の祖国での経験は貴重であり、また議論も非常に明晰であることは間違いない。ただ、それが日本の一方の政治勢力に利用されているのを見るのはあまり気持ちの良いものではない。今後も彼の議論は追いかけていく価値はあるが、それが一方的な政権擁護とならないことを祈りたい。

 尚、昨年末に読了した「プーチン幻想」(別掲)の著者のウクライナ人は、G.アンドリーであり、姓はこの著者と同様である。ただこの著者はN.アンドリーであるが、生年月日や経歴は異なっている。偶々同じ姓のウクライナ人による、反プーチン論であったということであろう。

読了:2023年1月25日