アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
ルポ プーチンの破滅戦争
著者:真野 森作 
 1979年生まれの毎日新聞による、2023年1月出版のウクライナ戦争のルポである。出版時点では著者はカイロ支局勤務であるが、それ以前にロシア留学を経てモスクワ特派員も務めたことから、今回の戦争前後にカイロからウクライナに派遣され、そこで多くの人々の取材をし、今回の戦争の昨年(2022年)末までのリアルな姿を伝えている。

 取材時期は、モスクワ特派員時代の2013年から2017年春までと、カイロに移った後、今回の開戦前後の2022年2月と5月。前者は言うまでもなく2014年のロシアによるクリミア併合を挟む最初の危機であり、後者は今回の決定的な時期である。前者については、既に2018年に「ルポ プーチンの戦争―「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか」という新書を出版しているということであり、本書は今回のロシアによる本格侵攻を受けた続編である。そんなことで、歴史的な事実を踏まえながら、実際の現地からの最新報告に溢れた本書は、大局観と現場の臨場感の双方を備えた説得力のあるものになっている。

 もちろん大枠は日々届けられるメディアからの情報で概ね知っていることが多いが、何よりも現地で多くの人々―それは著者が以前から懇意にしているインテリであったり、街で出会った一般の人々であったりするーの声を聞き取り伝えているのが本書の最大の特徴である。2014年の取材でも、著者が到着した国際空港が自動小銃を手にした覆面の兵士―ロシアの特殊部隊―に制圧されていた様子や、東部の東部ドネツクでの親ロ派を支援するロシアから来た男たちの動きが報告され、それがドネツクやルガンシクの一方的な独立宣言とウクライナ中央政府との「あいまいな形の戦争」となっていったことは知られている通りである。またその地域紛争時に、独仏の仲介で、ウクライナ政府と当該地域の親ロ派との間で「ミンスク合意(2015年)」が結ばれていたが、実質的に機能しないまま現在に至っていたということである。そしてそのウクラナ、キーウに著者は、侵攻直前の2022年2月15日に到着し、取材を始めることになるのである。

 ロシアの侵攻が近い、という米国政府の異例の発表にもかかわらず、その日のキーウは普段通りの生活が営まれていた。著者がインタビューした一般の人々も、若者を中心に侵攻を真剣に捉えていなかった人々が多かったようである。また識者を含め、例え戦争が起こったとしても東部紛争地域に限定されたものになるだろうとの見方が大勢であった。また識者のゼレンスキーについてのコメントの中で興味深かったのは、彼が2019年春の大統領選挙で、対ロ強硬路線でいきづまったポロシェンコに対し、むしろロシアとの対話を重視する「庶民派」路線で勝利したが、その後ロシアとの交渉で成果を上げられず支持率が低下したことで、一転強硬路線に転じたという経緯があった点が挙げられる。その後の戦争開始以降の彼への支持率急騰を考えると、彼がそこで路線を転換したのは、やはり国民の側からの強い反ロ感情に敏感に気がついたという「政治的嗅覚」があったことを物語っている。

 緊張が続く中、著者はキーウ市内で多くの一般人に取材を試みることになるが、そこでは強い反ロ感情が共通のコメントになっている。民間人に対して行われている「地域防衛軍」の軍事訓練参加者への取材も行っているが、そこには一般人の女性等も参加している。しかし、2月18日、バイデン大統領がロシアの侵攻とキーウも標的となる可能背がある、と異例の発表を行ったため、著者は2月20日に一旦西部リビウに移動し、そこで数日取材を終えたところで、24日朝、プーチンの開戦演説が公表されたところで、ポーランドに向けて脱出することになる。その出国経緯はスリリングであるが、他方で開戦直前のリビウでも普段通りの生活が営まれていたということにも留意しておこう。人々はやはりロシアによる全面侵攻を予想していなかったことを物語っている。

 著者が再びウクライナに入りキーウに戻るのは、開戦から2か月余りが経過した4月末である。そのタイミングを選んだのは、当初の全面侵攻とロシア軍のキーウへの接近が食い止められ、ロシアの主たる攻撃が東部に移ったことを確認したからである。そしてキーウ到着後、直ちに「虐殺の地」ブチャを訪れることになる。そこで、占領時も怪我人の治療を続けた病院の医師や、焼け焦がれた商業施設や家に近い共同墓地で埋葬を行う人々等に触れることになるが、そこで聞かれるのはもはやロシアに対する怨念以外の何物でもないのは当然である。この地の戦闘で破壊された戦車等が集められている「洗車の墓場」も訪れている。2か月に及んだロシア占領時期の生活と犠牲者たちの最後についての多くの話が語られる。占領下もこの地に留まったウクライナ正教会の教会神父からは、プーチンとべったりのロシア正教会のキリル総主教に対する強い非難を聞くことになる。占領下での拷問・殺人、そしてレイプ等は、その後欧州連語などにより戦争犯罪として調査が進むなど一般メディアでも多く報道されているが、その具体的な例の数々がここでは紹介されることになる。

 そして次に著者は南部の拠点都市ザポリージャに移動して取材を行っている。そこには南東部の激戦地であるドネツク州マリウポリからの避難者の多くが集まっている。国内最大の水力発電所や原子力発電所がある産業都市で、16−7世紀にコサックの活動の中心地でもあったこの街は、当時のロシアの前線まで数10キロしかなく、緊張感は高まっていたという。そこの避難民支援拠点で、マリウポリの状況をヒアリングすることになるが、そこでのウクライナ部隊の最後の拠点となったアゾフスターリ製鉄所の話は一般メディアでも多くの報道がなされていたとおりである。著者は、そこで、ウクライナ軍と共に交戦している内務省傘下の「アゾフ大隊」(ロシア側が「ウクライナでのネオナチの典型と非難している部隊である」)について解説すると共に、ロシアにより徹底的に破壊されたマリウポリから生き延びて避難した人々の話を報告することになる。またその支援拠点で取材をしている日本人写真家にも出会ったということである。因みにマリウポリの戦闘は2022年5月に、ウクライナ側が製鉄所に籠城した部隊に撤退を命じたことで幕を閉じ、それ以降現在に至るまでロシアの占領下にある。

 著者は、5月9日のロシアにおける対ドイツ戦勝記念日前にウクライナの取材を終えて出国。そして最後に「展望はあるのか」と題した章で、2022年末時点での関係者の様々な見解を紹介しているが、これについては、その後の展開も踏まえ刻々と変化していることもあり、この時点での展望をまとめる必要はない。いずれにしろ、欧米からのウクライナ武器支援もあり、戦況は一進一退を繰り返し、停戦の展望は依然全く開けていない状態が続いていることは言うまでもない。つい最近も、中国の習近平が「和平提案」を行うと共に、今回の戦争開始後初めてモスクワを訪問したりしているが、それは内容の伴わないパフォーマンスを出るものではない。そして昨日(2023年3月26日)は、プーチンが、同盟国ベラルーシに核配備を行う、といった発表も行い、欧米側からの非難を受けているが、もちろんプーチンは臆するところはない。NATOを巻き込んだ「第三次世界大戦」になる懸念は依然残り、他方万一プーチン体制が内部崩壊した場合も、後継政権がより強硬な対応を行う、あるいはロシアが混乱し、かえって情勢が複雑化する懸念も残っている。その意味で、展望は開けないし、また予想外の展開をした場合の危機管理も複雑である。

 そうした不安要素は多々あるが、いずれにしろこうしたジャーナリストの現地取材は、たいへん貴重な情報源である。そうした記者魂が溢れた戦地の渾身のルポであった。

読了:2023年3月26日