アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
ウクライナの未来 プーチンの運命
編者:クーリエ・ジャポン 
 新年最初の読書は、以前にも何冊か読んだ「クーリエ・ジャポン」という日本語翻訳ニュースの会員制ネット配信会社が編集した、ウクライナとロシアの戦争に関わる世界の知識人12人の発言を集めた新書である。新年早々の北陸大地震と羽田での航空機事故により、ウクライナやガザを巡る報道が極端に少なくなっているが、これらの地域が今年も引続き国際問題の主要な課題であることは変わらない。出版は2022年5月であるので、2月末にロシアの侵攻が始まってまだ間もない時期である。そのため、それなりの人々の言葉であるだけに、現在でも心に留めておくべきものはあるものの、全体としては、現在から見ると楽観的な分析や発言も多く、その解決の道筋は全く見えてこない。

 まず登場するのは、私も「サピエンス全史」等の主要著作を読み多くを学んだユヴァル・ノア・ハバリであるが、彼はウクライナが、ここのところ欧州で広がっていたナショナリズムとリベラリズムの乖離を埋めるのに貢献していることを強調している。確かに、侵攻前のウクライナは、民族問題に加え、こうした欧州で広がるナショナリズムとリベラリズムの対立を抱えていたが、ロシアの侵略により、ゼレンスキーはこの軋轢から解放されたことは間違いない。また西欧諸国にも、ハンガリーなどのロシア寄りの国は残っているが、夫々の国でのウクライナ支援に反対する極右勢力の力は一時期弱まったことも確かである。しかし、こうした楽観的観測は、戦争の長期化と共に、再び厳しさに直面してきているのが現状であろう。そうした中で、「ウクライナの人々は、全世界の未来の輪郭を描いている」という彼の希望もまた試されている。

 次のニーアル・ファーガソンという英国の歴史学者は初めて聞く名前である。彼は第二次大戦前の状況と比較しながら、プーチンの表明した「越えてはならない一線」を巡るNATO側の攻勢を批判的に見ている様な印象を与える。しかし、今やプーチンは「開戦の理由を準備しているだけ」とも述べ、戦争が不可避となっていることを認めることになる。そしてプーチンが目指しているのは、ソ連の復活などではなく、ピョートル大帝時代の勃興期のロシアである、と断言している。そこではピョートル大帝が、侵入するカール12世率いるスウェーデン軍と「ポルタバの戦い」に臨み、大勝利している。そうした歴史を再現しようとしている、というのがこの歴史家の基本的見方である。ウクラナのEU加盟を巡る問題―ウクライナが加盟基準を満たしていないが、ウクライナは、「ルーマニアやブルガリアも交渉開始時点ではこの基準を満たしていなかった」との主張。そして欧米によるロシアへの経済制裁は、ロシアよりも特に西欧に大きな損害をもたらすだろうとするが、それはこのインタビューから2年以上を経た現在ひしひしと感じられる状況になっている。

 この時点で93歳を越えたチョムスキー。この異端の反逆者も、「ロシアの侵攻は重大な戦争犯罪」と断った上で、この戦争は「人類への死刑宣告」に等しいものであることから、プーチンに土産を与えてでも早急な停戦を実現しなければならない、という常識的な見解を述べるに留まっている。コソボ、リビア、イラク、シリア等で欧米も同様の国際法違反を行ってきたことを認めつつも、こうしたコメントで収めなければならないところに、今回の戦争解決の難しさが示されている。

 戦争で潤う各国の軍需産業の特需についての英国学者の短いコメントを経て、プーチンについての様々な識者の見解が紹介される。そこでは彼の「KGB礼賛」、「ユーラシア主義」、「ロシア宇宙主義」、「ロシア独裁者の系譜」、「ロシア正教の政治利用」、「(暗殺や感染症への懸念から)ロシアで最もガードが堅い人物」等々のコメントが寄せられているが、この辺りは今までも多くの著作で接してきたもので、あまり新鮮さはない。

 そして今後の我々の対応。まずは、ピケティの「新しいタイプの制裁=国際金融資産台帳に基づくオリガルヒに対する集中的制裁」を行うべきで、それは中国に対する制裁にも使えるという議論。現代資本主義批判の先頭に立つ彼ならではの提案であるが、彼が意図しているのは、ロシアや中国の富裕層に対するだけではなく、欧米の富裕層をも念頭に置いたものであることから、こちらからの抵抗が予想されるだろう。

 続いて、テイラー・コーエンという、初めて聞く米国の経済学者は、この戦争により食糧確保に問題が生じている途上国への食糧支援と国際的な人材配置のための移住計画の策定を主張している。前者は言うまでもないが、後者の、ロシア、ベラルーシ、ウクライナを去ろうとしている優秀な人材の受入れは、逆にこれらの国々の成長を阻害することをどう考えるか、という問題を含んでおり、単純に受け入れられるものではない。

 フランシス・フクヤマは、「人々が、やや倦怠感を感じていたリベラリズムが復権」し、「ロシアは完敗する」と言うが、それは彼の主著「歴史の終わり」での「民主主義の最終勝利」と同様、余りに楽観的である。同様に、ハンガリー出身のジョージ・ソロスも、自身のロシア等での財団設置を通じ、「ロシア帝国解体の動き」を支援してきたと言いながら、「プーチンは正気を失ってしまった」ので敗北するしかない、と言う。彼は中国習近平に、中国での同様の財団設立を妨害された経験もあることから中国にも批判的であるが、これもあまりに楽観的な見方に思える。それに比べると、米国「ネオコン」の代表的論客であるジョン・ボルトンは、この戦争が「ルールに基づく国際秩序」にもたらした脅威や、ロシアと中国の同盟強化を懸念しているのは正しいだろう。しかし、それは懸念の表明だけで、解決策を提示できている訳ではない。それはロバート・ケーガンという米国の歴史学者の懸念でもある。そして「この本の最後は、ワシントン・ポストに掲載された、プーチンによる核使用―それも広島に投下された核よりも低出力の小型核兵器の使用―を行う可能性を示唆する小論で終わることになる。

 ウクライナ戦争の現状は、間違いなく欧米の「支援疲れ」が広がり、プーチンに有利に展開しているように見える。加えてガザでのイスラエルとハマスの戦闘が、欧米政権のみならず、こうした知識人の立場も難しくしているように思える。ここ日本では、冒頭に述べた通り、正月に発生した北陸地震と羽田での航空機事故の報道ばかりで、ウクライナのみならずガザのニュースも伝えられることが少なくなっている中で、恐らく今年は米国での大統領選挙も絡め、ウクライナでの戦争にも何らかの転換点が起こる可能性は大きい。そして際に、こうした欧米知識人がどのような反応を示すのか興味深いところである。

読了:2024年1月1日