ウクライナ戦争の200日
著者:小泉 悠
まさに、ロシアの侵攻から丸2年を迎えるタイミングでこの新書を読了した。それを受けてテレビ等では、足元の戦闘の情勢を中心に、両国の現状や国際社会の対応につき様々な報道が行われている。それはまずは、戦闘が膠着する中、一時期はロシア占領地の奪還を目指したウクライナの進撃が止まり、むしろ東部アウディーイウカやバフムトの奪還など、ロシア側の反転攻勢が強まっている様子である。欧米による様々な経済制裁にも関わらず、ロシア経済は持ちこたえており、それを背景にした豊富な物量作戦が、ロシアによる攻勢を支えている。他方、ウクライナ側では、戦争長期化に伴う疲労感に加え、欧米での支援を巡る慎重姿勢の高まりー特に最大の支援国である米国議会での支援予算の議会通過が、トランプを意識した共和党多数派の反対で厳しい情勢となっているーが、ウクライナ側の武器不足をもたらしている。両国の国内情勢としては、ロシアでは、反体制派の指導者であったナワリヌイのシベリア獄中での突然死やスペインでの亡命ロシア人パイロットの暗殺を巡る疑惑が、国際世論の反ロシア感情を強めているが、5月の大統領選挙でのプーチンの勝利を揺るがすまでには至っておらず、他方ウクライナでは、国民に人気のあった軍のザルジニー総司令官が、ゼレンスキー大統領との軋轢から解任され、シルスキー陸軍司令官が後任に任命されるといったように、国内での政治的不協和音も顕在化している。それらを考えると、足元戦争はロシアに有利に進んでいるというのが一般的な見方となっている。もちろんそれが直ぐにロシアの全面的勝利、ウクライナの敗北という事態をもたらすものではないが、メディアによるウクライナ支援継続の大合唱にも関わらず、ウクライナはジリジリと追い詰められているのは確かである。
そうした中で、今回読了したのは、最近も様々なメディアでインタビューに応じている著者による2022年9月出版の対談集である。ロシアによる全面侵攻から約半年。この時点では、当初のロシアによるウクライナ全面占領➡傀儡政権の擁立、という戦略が、ウクライナ側の「予想外」の善戦で覆された状態の下で、「軍事オタク」の著者が、こうした軍事関係の専門家のみならず、社会思想家、自衛隊出身の小説家や映画監督といった、一見分野を異にする人々も交えた対談を行っている。上記の様に、出版時点と現在では戦況は異なってはいるが、現在の状況を予測するコメントも多い。
冒頭は、社会思想家、東浩紀との対談であるが、ここでは、コロナ感染の拡大や今回のロシアの侵攻で始まった戦争は、人類が進歩していないことを赤裸々にし、またそれらへの対応も結局古典的な対応とならざるを得なかった、あるいは世界の文化の多様性を示したという程度の指摘が中心で、余り新鮮なコメントはない。また次の自衛官出身の芥川賞作家砂川文次との対談では、軍事組織の実態を知っているもの同士による、火力使用を巡る部隊間の対立や、ウクライナによる非対称戦略等が具体的に説明されているが、その程度である(因みにこの作家が芥川賞を受賞した作品「ブラックボックス」は、私も2022年2月に読んでいるが、これは衝動的に暴力行為に走る性格の男が、脱税調査にきた税務署員らに暴行を加え、刑務所に収容される顛末を描いたもので、余り軍隊とは関係ない。しかし彼はその後軍隊を描いた幾つかの作品を発表しているという)。
これが3人目の防衛庁の研究所員である高橋杉雄との対話(その後もう一回行うことになるので、二つ併せてコメントする)になると、如何にも軍事専門家の二人らしい意見が交錯することになる。まずは、圧倒的な物量を要すると見られていたロシア軍が、いっきなキーウ制圧等に失敗した理由が議論される。
これについては、戦闘単位を小さくする「コンパクト化」が米露等での部隊編成の傾向になる中で、突然今回のような「20世紀的な重戦闘」が起きたので、ロシア軍が即応できなかった、という分析が行われている。また都市攻撃と軍事目標攻撃が分散され中途半端であったことも、当初のロシアの戦略の失敗とされる。他方、ウクライナ側は、2014年のクリミア侵攻以降、軍改革も行われ、将来の侵略に備えた将来予想される戦線での要塞化を進めてきた。また米国から提供された対戦車ミサイル「ジャベリン」が、こうした古典的戦闘で威力を発揮したとされる。
しかし、当初の攻勢に失敗したロシアも、5月に入ると戦線を立て直したという分析が続くことになる。特に激戦が続いた東部戦線でロシア軍は主導権を取り戻しており、その要因は特に、それまではウクライナの動きを考慮せず「自分たちの計画を実行することだけを考えていた」のに対し、ロシアが優勢な地域に集中してー即ちウクライナの動きを見てー戦力を集中する戦略に転換したことにあるとみる。その背景には、ロシア軍の現場総司令官の交替や、それまで「戦争のグランドデザイン」を策定していた情報部門が戦略失敗の責任を取らされて、担当部局が変更されたといった点もあるのではないかと推測している。この時点ではウクライナが支配しているセベロドネツクという東部の町の攻防戦が鍵になるという分析が示されているが、位置からすると、ここは現状では既にロシアの支配下に入っているように思われる。その他、ロシアによる限定的核使用の可能性も議論されるが、流石にそれは現状ではほとんど現実性がなくなっている。
またこの本の最後に収められている、この二人による2つ目の対談では、それまでのこの戦争が総括されている。改めて、当初のロシアの全面侵攻が失敗した要因として、侵攻のスピードが速すぎて補給路が長くなり、底をウクライナ軍に突かれたとされるが、これはロシアがウクライナの抵抗を甘く見ていたことに尽きるだろう。前述された「ジャベリン」を抱く聖女像の壁画が各地で描かれたというのも面白い(その写真も掲載されている)。他方、当初の失敗を受けたロシア軍の鮮やかな撤退も注目されている。ここでロシア軍が損害を最小限に留めたことが、その後の反攻に繋がったようである。
「水」を巡る攻防で、ドネツ川の攻防が、第二次大戦時と同様、激戦の舞台となった、という指摘も、この21世紀になっても古典的な戦闘が全体に大きく影響することを物語っている。ドローンの発達が、川の渡航作戦をますます難しくしているとされるが、それは双方にとっての問題であり、戦線膠着の主因なのであろう。また古典的な「高地制圧」が依然重要である、あるいは平地戦では「双方の火力のパワーバランスが帰趨を決める」といった指摘も、テクノロジー発達の裏で続いている、こうした戦争の変わらない側面を示している。こうした古典的戦闘に動員する武器については、ロシアは旧式の兵器の膨大な蓄積があり、それが予想に反したロシアの耐久力の源泉となっていると見ており、これはまさに欧米からの武器に依存し、その不足から厳しい状況に陥っているウクライナの現在の姿を、この時点で既に予想したものであると言える。
こうした軍事専門家以外に、著者は、アニメ映画監督である片淵須直や漫画家ヤマザキマリとの対談も行っている。前者では、この監督の代表作である「この世界の片隅に」で描かれている第二次大戦時の広島や呉を舞台にした日常生活と戦争双方のディテールというコメントが気になり、早速この映像を観てみたい気にさせられた。このように、日常生活と戦争の同時並行という現実にこだわるこの監督が、今回のウクライナ戦争でも、多くの素材を集めているというのも気になるところである。またラトビアの監督が制作したアニメ映画「My Favorite War」や、2022年公開のウクライナ映画「ドンバス」という作品も紹介されている。またヤマザキマリとの対談では、独裁者とその末路、といった観点から、ネロに始まり、プーチンやベルルスコーニに至る類似性が語られるが、プーチンが簡単に失脚、あるいは暗殺を含めて死ぬ可能性は現在では低く、今後の戦況を見る上では余り参考にはならない。そして対談集は最後に、ドイツと中国から見たこの戦争という県談で終わることになる。
これを書いている最中の2月25日(日)に、戦闘開始2周年を期したテレビ番組の一つとしてNHKで「戦場のジーニャ」という特番が放映された。この新書の中でも言及されているが、スマホの普及で、前線の戦闘がいとも簡単に撮影され、メディアを通して戦争から遠く離れた茶の間にも臨場感が伝えられる状況になっているが、まさにこの番組は、徴兵に応じて最前線に向かったウクライナの兵士が撮影したスマホ映像を基に、前線の戦闘の過酷さと、そこで普通の人々が殺人を厭わない兵士に変貌していく様を赤裸々に綴った印象深い番組であった。
そこでは、2023年6月に始まるウクライナの反転攻勢の一環として東部サボリージヤという町の奪還作戦に参加した、一般人から志願された兵士がスマホで撮影した映像を中心に、@地雷、A塹壕、そしてBドローンという区分で戦闘の生々しい様子が映されている。兵士は、元々はテレビカメラマンであったジーニャを始め、元フィットネス トレーナーやギタリストといった人々。@では、反転攻勢に向かったジーニャたちが乗る装甲車が、ロシアの仕掛けた地雷を踏み爆発する様子が、装甲車内のリアルな映像で伝えられる。そしてAでは前線での塹壕掘削とそこでの生活、そして数10メートルしか離れていないロシアの塹壕兵との銃撃戦、Bではドローンを使った敵の塹壕の攻撃の様子等。まさに古典的な闘いとドローンのような先端技術を使った前線での「殺し合い」が、スマホの映像を通じて届けられることになるのである。そこでは兵士が地雷を踏んで傷つく瞬間の映像などもあり、まさに前線の悲惨な姿が生々しく伝えらえているのである。結局この反転攻勢は失敗し、現状はむしろロシアが支配地域を増やしており、他方、一般市民から志願して前線に出て殺人も厭わなくなったウクライナ兵士たちは、ある者は戦死し、またジーニャ等は生き残るが傷ついたり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことになるのである。最新の報道ではウクライナ側の兵士の死者が31,000人と発表され、もちろんそれに一般市民の犠牲が加わる。ロシア側での戦死者はもっと多いと言われている。
その映像を見ながらこの新書での著者らの対談を反芻すると、それは安全地帯にいる傍観者がみた戦争、という思いを感じざるを得ないが、それでも、それ以上に戦争から遠いところにいる我々にとっては、貴重な情報であることは間違いない。ロシア侵攻から丁度2年を過ぎ、メディアでは、徐々に関心が薄れているこの戦争のことを忘れてはならない、というコメントが多くみられるが、またしばらくすると、報道も少なくなっていくのであろう。それでも戦闘は続き犠牲者は日々増加していく。そして停戦の可能性はまだほとんど見えない。この新書とテレビ番組の双方に接し、21世紀になっても変わらない人間の性に、改めて暗澹たる気持ちを感じざるを得ない。
読了:2024年2月23日