アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
ウクライナ戦争はなぜ終らないのか
編著者:高橋 杉雄 
 ウクライナ戦争勃発の要因考察から始まり、その終結に至る可能性を論じた新書で、戦争勃発から1年ちょっと過ぎた2023年6月の出版である。編著者は、1972年生まれの防衛省防衛研究所の研究者で、他に笹川平和財団や中曽根康弘世界平和研究所(そんなのがあったのか!)といった組織の研究者が執筆している。その顔ぶれをみると、政府筋に近い防衛関係研究者による共同執筆で、その意味では政府の防衛政策に近いところにいる論者達の見解と考えられる。そしてその議論は、非常に常識的である。

 まずは、この「古さ(機甲部隊による重火力戦闘や塹壕戦)」と「新しさ(宇宙・サイバー空間も関わる先端技術の投入)」が同居する戦争がどうして始まったか、そしてそれを事前に留めることができなかったのかについての議論が展開される。

 前者については、冷戦終結後しばらくの間は、欧米諸国はロシアをG8に示されるように「新たなパートナー」として迎える戦略を取り、ロシアも当初はそれを受入れていた。しかし、それは「(東欧圏に続きロシアも)ヨーロッパの一部」となるという発想であり、2000年代にロシア経済が資源価格上昇等で復活してくると、プーチンのもとで「旧ソ連的な勢力圏」確保というアイデンティティが強まってくる。こうした環境下では、旧東欧圏がNATOを含め「ヨーロッパの一部」となることはプーチンにとっては耐えられず、それが2014年のクリミア侵攻に始まるウクライナを「旧ソ連的な影響圏」に留める強い動機となっていったと見るのである。そして筆者は国際関係のパワーバランス維持の戦略としての「バランシング」と「バンドワゴン(尻馬に乗る)」を使い、東欧諸国が「バンドワゴン」的に西欧に乗ったのに対し、中国の台頭と中米関係の悪化を受け、ロシアは「バランシング」のために中国に「バンドワゴン」するという戦略を鮮明にしたということになる。そうしたロシアにとっては、「バンドワゴン」として西欧側に乗ろうとしたウクライナは許せるものではなかった。もちろん議論の組み立てに違いはあるが、ロシアの変貌については一般的に言われている議論である。そしてクリミア侵攻や東部ドネツクでの戦闘が続く中、欧米は(特に米国は、中国を最大の脅威と見ていることもあり)ロシアと決定的な対立を躊躇することになり、それがロシアに、ウクライナに本格侵攻したとしても、欧米の介入は限定的だろうという期待を抱かせたというのも広く言われているとおりである。

 一方で何故ロシアが、2022年2月の時点で本格侵攻に踏み切ったのか、という点については、@ロシア情報部で「インテリジェンスの政治化」が起こり、ウクライナが直ちに瓦解するという確信をプーチンに抱かせたこと及び、A一旦国境付近に集結させた軍隊を維持、撤退させるコストを考慮した結果であるとしている。この判断はウクライナ側の抵抗で誤っていたことが証明されたが、一旦始まった侵攻を止めるという選択は、自身の国内での立場を危うくすることから、もはやプーチンにはなくなっていたのである。

 続いて別の筆者による、この戦争が台湾有事に向けてどのような教訓を示唆するかという議論に入る。まずウクライナ戦争が抑止できなかった要因として8つのポイントを指摘しているが、これは理解しやすいので一部省略して確認しておく。それは

@ 「力に基づく一方的な現状変更」であった。
A 政治体制が個人意思=国家意思
B 侵攻前に国際情勢が現状変革に有利と判断
C 侵攻前、核を含む戦略兵器のバランスも有利と判断
D 現地の軍事バランスも有利と判断
E 現状維持側の「探知による抑止」は有効でなかった
F 経済制裁という「領域横断的抑止」は有効でなかった
G 「戦争の終わらせ方」についても現状維持側に混乱がある

この中で、@、Aは中国も同じ体制であることから、中国による台湾進攻の抑止を考える上で重要なのはBからFであることは言うまでもない。特にC、Dについては、米国が戦略兵器でのロシアとのバランスに配慮するあまり、通常兵器でのバランスがロシアに有利であり、且つ米国による核を含めた直接参入がないと判断されたことが、プーチンによる全面侵攻決断の大きな要因となったとされている。またEについては、ロシア側の動きは略正確に捉えられ、且つ直前には侵攻も公表されていたが、「物理的対抗手段」なくしては不十分であった。そしてFは、長期的にはそれなりの効果をもたらすが、短期的に「懲罰的な抑止効果」をもたらす上では不十分である。

 以上を指摘した上で、筆者は「ウクライナで抑止破綻を導いた要因は台湾海峡にも存在しており、実際に抑止の破綻が起こる可能性は無視できない」と結論している。台湾については、まさにそのとおりであり、こうした危機感が日本政府のみならず米国にも共有されていることは間違いない。それ故に、現在米国が台湾侵攻時の直接介入について明言していない(曖昧戦術)のは、特にDを考慮した結果であろうし、Eについては、ウクライナの教訓を受けて、何らかの「物理的対抗手段」を示唆することが必要となってくるのだろう。そして日本については、実際に台湾海峡有事が発生した際に、自衛隊の戦闘への直接参入を含めて、米国の要請にどこまで答えるかという問題は常に残っている。「ウクライナの問題は、明日の東アジアの問題である」という意識は我々も常に持っていなければならないだろう。

 以降、第三章、第四章は、ウクライナ戦争の「新しさ」としての「宇宙戦争」や「サイバー戦争」についての論考であるが、このあたりは、今年7月に読んだ「ウクライナのサイバー戦争」等でも詳細に紹介されているとおりである。ただ宇宙戦略に関しては、中国はロシアよりはるかに進んでいると見られることから、台湾有事にあたっては、この分野でもより激しい攻防が行われる可能性が高いことだけを留意しておく必要はあろう。

 そして本書の最後は、編著者による「ロシア・ウクライナ戦争の終わらせ方」についての論考であるが、これについては、プーチンの失脚、あるいはそこまでのインパクトはないが、ロシアの同盟国ベラルーシでのルカチェンコの失脚といった「ワイルド・カード」シナリオを除けば、短期的な予想は難しいという結論になる。もちろん筆者が指摘している通り、戦争の行方は、DIME(外交、情報、軍事、経済)の複合要因で変わるが、現状ではそれが戦争終結に至るという見通しはない。そして足元では、この本の発表時には予想されていなかった米国でのトランプの復帰が、彼が豪語している様な停戦をもたらすかが大きな関心であるが、これも彼が言うほど簡単ではないのは明らかである。こうしてこの戦争は一進一退を繰り返しながら長期化し、場合によってはロシアによる戦略核の使用といった最悪の事態ももたらす可能性も否定できないということになる。そうした間に東アジアでは台湾有事という「第二戦線」が発生するというのが、これまた最悪シナリオとなる。まさに2025年の世界は、益々予測不能な緊張が進むことになるのであろう。戦争がはるか遠い世界で、平和な人生を送ってきた我々日本人にとっても厳しい時代を迎えるであろうことを改めて確認させられた次第である。

読了:2024年12月2日