スターリン秘録
著者:斎藤 勉
産経新聞論説委員による新聞連載をまとめた単行本が2001年に、そして2009年に文庫本が出版されているが、足元のプーチンによるウクライナ侵攻なども踏まえ、2024年4月新装文庫本の発売となったものである。
スターリンとソ連の革命史から第二次大戦、そしてその後の冷戦に至る歴史は、学生時代に散々学んできた。人類の平等と解放を唱えたマルクス主義が、現実政治の中で何故変質し、とんでもない独裁国家と悲劇的な歴史を辿ることになったのかという私の学生時代の素朴な疑問は、その後はソ連の崩壊と共に過去のものとなったが、それでも、かつてのような露骨な「独裁」と「大量虐殺」は表向き少なくなったものの、プーチンのみならず世界の至るところに同様の独裁や権威主義国家は健在で、むしろそれが足元は国際政治で存在感を増している。そうした現状で改めてその過去を復習するという観点から手に取った。
50年前の記憶を辿りながら進めることになったが、確かにその間に、当時はなかったスターリンに関する多くの資料が見つかったーそれは特にソ連崩壊に伴う新たな資料開示とそれらによる新たな研究が要因であったーこともあり、至る所にそれが使われている。全体は3部構成で、第一部は第二次大戦前後、第二部は戦後の冷戦期、そして第三部は独裁過程での権力闘争と独裁完了後の大量粛清が主題となる。以下、夫々について特記事項だけ残しておく。
第一部では、独ソ不可侵条約からドイツ軍のソ連侵攻に至る過程での神経戦が詳細に説明されている。スターリンがヒトラーに懸念を抱きながらも、英国チャーチルの警告を英国による独ソ離反の陰謀と見做し、日本のゾルゲからの警告も無視したこと、あるいはソ連との「中立条約」に向けての日本の松岡外相の動き等は、良く知られている通りであるが、改めてそれに触れると、危機における各国の国際政治上の複雑な思惑と行動を再確認できる。ウクライナを巡る現在の動き等、もちろん背景は異なっているが、冷徹な国際政治上の決断を見る上での参考になることは間違いない。
1941年6月の独ソ戦勃発に伴うレーニンの遺体と関係者の密かな西シベリアへの移動、革命後弾圧していたロシア正教会の復権とそのスターリンへの協力、ドイツ軍捕虜となった長男ヤコフ(長女スベトラーナの兄)を見捨てたのみならず、その妻や縁戚一同を逮捕・処刑した様子、スターリングラード戦で撤退する兵士をジューコフ将軍が皆殺しにしたこと、チチェンでの民族大量虐殺・移住とそれに伴うチチェン・イングーシ(モスレム)共和国の廃止等々はあまり記憶に残っていない話である。またヤルタからポツダムに至る英米との交渉や対日参戦に至る経緯、日本を巡る領土交渉は、よく知られた話ではあるが、改めてその詳細が臨場感ある筆致で描かれている。
第二部はその戦後冷戦時期の東西関係を中心としたスターリンの動きであり、これまた私が学生時代に散々勉強した歴史の復習である。1949年12月、その2か月前に共産中国の成立を宣言したばかりの毛沢東が、初めての海外旅行で、スターリン70歳の誕生祝賀式典参加のためにモスクワを訪れるところから始まる。第二次大戦中は、対日戦から中国国民党の蒋介石を支持し、毛沢東を無視していたスターリンは、冷戦の開始と共に態度を豹変させ、また毛沢東も、この祝典で他の東欧諸国首脳たちと共に、スターリンを絶賛した様子が描かれる。その中ソ蜜月が、スターリンの死後激しい対立に至るのは言うまでもないが、この祝典は、スターリンの権力の絶頂でもあった。原爆開発を巡る、ドイツの研究者や核物質争奪での米国との熾烈な戦いの様子、そしてそれを主導したのが、その後フルシチョフらにより粛清されたベリアであったことも、今回初めて知った。その結果、1949年8月、ソ連は最初の核実験に成功するが、その経緯が、19年に渡りこの計画に参画したサハロフの回想も交えて語られる。また北朝鮮の金日成を担いだ過程も説明されているが、この「金日成」は、元々別の抗日戦の英雄の名前であり、スターリン指導部が、北朝鮮国民の信頼と支持を得るため、この英雄とは別の若者を「金日成」として仕立てて国民の前に登場させたというのは、今回初めて知った。また当初はこの金日成による南進を躊躇していたスターリンが、最後はそれを承認し朝鮮戦争開戦に至った経緯も生々しい。この朝鮮戦争が休戦するのは、スターリンの死後の1953年7月であるが、その北朝鮮兵士が現在はウクライナでロシア軍に参加して闘っていることを考えると、70年経って、再びロシア・北朝鮮連合が強化されたことが伺われる。
戦後の冷戦開始とコミンフォルム創設等による東欧諸国の属国化過程、その中でのチトーの叛逆はよく知られた歴史であるが、そのチトーの暗殺計画が策定されており、スターリンの死によって中止されたというのは、確かにあり得る話である。1948年のベルリン封鎖の内幕も、フルシチョフやグロムイコらの回想録が引用され説明されているが、この危機が、英米の目をくぎ付けにして中国での共産党による国民党に対する勝利を手助けした、という評価はやや穿った見方である。文学や音楽分野への社会主義リアリスムを強制する「ジダーノフ旋風」や、戦時中協力得るために組織したユダヤ人反ファシスト組織から始まるユダヤ人弾圧も知られた歴史であるが、その中で妻がユダヤ人であったモロトフが一旦解任されたが、スターリンの死後復権されたのは彼にとっては幸運であった。その他、戦争中ソ連に亡命していた徳田球一ら日本共産党幹部への武力革命の指令や戦後の「国際法違反」であるシベリア抑留は、トルーマンにより北海道占領を拒否されたことへのスターリンの報復であったという議論などが語られている。
そして第三部は、スターリンによる大量粛清と「収容所群島」という悲惨な歴史の復習である。既に1918年、革命直後彼が送られた南ロシアのツァリーツィン(その後、独ソ戦の転換点となった「スターングラード」を経て、現在はボルゴグラードと名称が変わっている)で、彼が既に大量虐殺に手を染めていたことから始まり、そうした大量虐殺は既にレーニンの時代から始まっており、スターリンは彼からそれを学んだと説明されている。そしてトロツキー追放から、その際の盟友であったジダーノフとカーメネフ、そしてブハーリンの粛清に至る有名な権力掌握までの陰謀と、権力掌握後の、全国規模での「収容所群島」(白海に浮かぶ、現在は風光明媚な観光地になっているソロベツキー島が、この強制収容所の第一号であったというのは初めて知った)の成立は、まさにおぞましいソ連現代史である。演出家メイエルホリドや彼と共謀したとされる杉本良一等も登場。またゴーリキーやレーニンの妻クループスカヤの死は「不審死」であったこと、あるいはメキシコでのトロツキー暗殺の実行者ラモンが、メキシコでの20年の刑期を終えて1979年の死去した後モスクワ郊外に「ソ連邦英雄」として葬られたこと等。その他政権幹部から、名前も知られない膨大な数の一般民衆に至るまでの悲惨な歴史は、あまり繰り返して読みたくない部分である。そしてこの「秘録」は、スターリンの生い立ちも回顧した上で、その1953年3月の死去の描写で終わることになるのである。
いやいや何度も繰り返すが、とんでもない歴史である。もちろん、戦後だけを見ても、中国共産党や東南アジアーカンボジアやインドネシア等々―、そしてアフリカなどでもこうした歴史は繰り返されている。そして現代ロシアや中国では、そのような赤裸々な暴力支配は表面化することはなくなったが、テクノロジーの発展により、監視社会はより強化され、また反対派の巧妙な弾圧―場合によっては暗殺等―は今でも時折発生している。プーチンは、こうしたスターリンと比較すれば、まだ生ぬるいと言われるだろうが、それでも、ある部分はロシアの伝統を引き継いでいることは間違いない。今後のウクライナ戦争の帰趨を見ていく上で、このスターリンの歴史がどれほど参考になるかは分からないが、少なくとも今のロシアの近い過去にこうした歴史があったことは改めて心に刻み込んでおく価値はありそうである。
読了:2025年4月23日