アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第十一章 その他
エロイカの世紀
著者:樺山 紘 
 かつて彼が跡付けた「ドルチ−ノ」伝説に触発され、冬の北イタリアで、ミラノを起点に友人とセジア川をアルプスに向かい遡航していった。13世紀から14世紀初頭、暗黒と無時間性が支配した時代に変化が胎動し始めた、ルネサンス開始直前の中世イタリアの蠢きを紹介した若き西洋史家の作品は、異国での新しい体験に胸震わせ興奮していた20代の私を触発したのだった。遡航そのものは自己満足に終わっただけであったものの、彼の作品は、そうした経験を通じ、私のルネサンス体験の原点となった。それは、その後の多くのルネサンスとの邂逅−フィレンツェ・ウフツィからベニスの裏通りに至る、そして塩野の作品等を通じての再会−の中でも色あせることのない体験として私の心の中に刻まれている。

 しばらく名前を聞かなかったこの歴史家の新書が発売された。かつての「バイブル」であった「ルネサンス周航」から20年を経て彼と接することができる。しかも、今回はイタリアではなく、私の「第三の故郷」となったドイツ近代を中心とする時代の読み解きである。新書とは言え、あの20代の読書体験の再来を期待した、といったら大袈裟だろうか。しかし、既に60歳を越えたこの歴史家には、かつての刺激はなくなっていた。そこでは落ち着いて近代を大局的に眺める大人の冷静な視線が支配し、かつての異端者の心の奥底に分け入ろうという気迫は垣間見ることはできなかったのである。

 「エロイカ」。ベ−ト−ベンの「第三交響曲」は、ナポレオンに捧げられる予定であったが、彼が皇帝に戴冠するという「世俗的」行為を行ったために、急遽一般名詞としての「英雄」と名付けられたという。この作曲家が生きた1770年から1827年という時代は、西欧近代の中で初めて「英雄」が登場した時代である。しかし「英雄」はそれを支える幅広い民衆に依存する存在である限り、それは「登場」するのではなく、「作られる」のである。現代ではマスコミがそうした「ヒ−ロ−」作りの演出し、そして自らの移り気で、すぐさま「虚像」を倒していくのだが、そうした「英雄」の原型が形成されたのがこの時代の欧州であった。そうした「英雄」誕生の背景にある時代を伝えるのが著者の意図である。

 こうして欧州大陸の近代史に入っていくが、記載の多くは歴史教科書を整理復習している部分が多いことから、細部に入ることはしない。政治的にはアメリカの独立からフランス革命とナポレオンの登場という、近代市民社会が誕生したこの時代。特に中世的「神聖ロ−マ帝国」のもとに領邦国家が分立し、また南のハプスブルグ帝国と北から台頭しつつあったプロイセンの抗争が続き、その結果として政治的には低迷期が続いていたドイツでは、その衝撃は大きかった。哲学界では、これを目撃したヘ−ゲルが、「世界精神」「絶対精神」による歴史哲学を構想し、文学界では同じく同時代人であったゲ−テが「世界史の新しい時代が始まる」と看破した。これら知識人の思想の展開は、その思想の広がりという観点から見ると、欧州近代の啓蒙期の「賢人」に留まらず、民衆を超越した才能を持つと共に、それによって彼らを率いていくカリスマ力を有する「天才」を待望する時代の雰囲気を象徴することになる。そしてこの政治的に分裂したドイツのみならず、欧州全域をいっきに支配下に収め、そして占領地を略奪するのではなく、そこの文化も吸収した上で新しい文化を広めていったことにより、ナポレオンは単純な占領者とは異なる畏敬の念をもって欧州知識人から迎えられたのであった。

 ナポレオンが没落し、ウィ−ン会議を経て表面的には旧体制と伝統主義が復活したように見えたものの、1789年から1814年に至る革命の25年がもたらした変化−「市民の確立」−はその後も後退することなく次世代に受継がれていく。音楽のみならず、絵画や文学においても、その後急速に古典主義から個人の主観を正面から表現するロマン主義に向けての転換が行われる。1948年までの30年間、ウィ−ン体制のもとで伝統主義に基づく政治的安定が続いたものの、精神面ではもはや古典主義や啓蒙主義に戻る契機は失われ、19世紀末から20世紀に向けての新たな精神の胎動を促す基盤が形成されたのである。ベ−ト−ベンが生きたのはこうした欧州近代の決定的な精神世界の変革期であったのであり、それが彼の作品には色濃く刻印されているのである。

 この作品は、そもそもはベ−ト−ベン全集に掲載したものをまとめたものであるという。その意味では、クラシックのCDに歴史家がこれだけの分量のライナ−ノ−ツを寄稿したという点では、音楽の企画としては力の入ったものであったことは間違いない。しかし歴史書として見ると、著者のかつての作品のように、細部の力を持って迫ってくる力は感じられず、歴史教科書のような大雑把な表現に、物足りなさだけが残ることになってしまった。結局、ベ−ト−ベンの音楽を聴きながら味わう、少々知的なライナ−ノ−ツという位置付けが適当な作品であった。

読了:2002年2月9日