アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十一章 その他
魔女とカルトのドイツ史 
著者:坂本 隆志 
 ハワイでの休暇中の気晴らし、その2。ドイツ及びヨ−ロッパ文化論の専門家による「ファナティックなドイツ」の系譜である。11世紀に始まる、中世ドイツにおける集団妄想症候群としての「子供十字軍」、「異端審問」、「舞踏病」、「鞭打ち苦行」、「死の舞踏」、そして14世紀のペスト蔓延時の「ユダヤ人虐殺」や「魔女裁判」などが、現代日本での「オ−ム事件」と同様に「典型的なカルト現象」であり、特にドイツではその「徹底性」という国民性故に、欧州の中でも特に規模が広がることになる。そして、20世紀のドイツの悲劇としての「ナチ」現象も、こうして波状的に発生したドイツ的集団妄想の延長に位置付けられる、とする。その場合、著者がキーワードとするのは、「ゲルマンの基層文化にまで遡る、北方の厳しい気候風土が生み出した荒々しいゲルマンの神々につながる」デモ−ニッシュ(悪魔的・超自然的)な「ドイツ的内面性」や「非合理主義」という概念である。

 こうして個々の集団妄想が紹介されていく。1096年に始まる十字軍自体が、異教徒、異民族に対する略奪と侵略の特性を併せ持っていたが、それ以上に「純真な子供の宗教性と向こう見ずな未熟さ」の結果として、子供十字軍(フランス・オルレアンのステファンとドイツ・ケルンのニコラウスという2人の少年に率いられたケ−スが紹介される)はいずれも不幸な結末を迎えたという。

 異教徒狩りは、1227年のグレゴリウス9世の就任と共に始まったとされるが、ドイツにおいては、マ−ルブルグのコンラ−トという異端審問官の活動が紹介されている。最後は地方豪族との戦いに敗れ破滅するこのコンラ−トには、後に聖女となるエリザベ−トも迫害を受けたが、教皇はあくまで彼を支持した、というのは、前に記載したピエウス13世のナチ支援と重なって見える。

 14世紀に登場した鞭打ち苦行は、ペストの大流行と関連しているという。ペストにより罪業の重さを思い知った多くの人々が、死の恐怖と不安に慄きながら贖罪の巡礼に参加し、その際に十字架に掛けられたキリストを思い苦行すれば救済されると信じたことが、この集団妄想の原因であったというのである。そしてこうした集団が膨張すると統制が効かなくなり暴徒化する。フランクフフトでは、まさにこの「鞭打ち苦行者」の集団によるユダヤ人襲撃の記録が残されているという。

 ハ−メルンの笛吹き男伝説についても、著者はこのドイツ的集団妄想の一例として、一章を割いて説明しているが、これについては阿部謹也の詳細な研究があるので、これはまったくの大雑把な復習。いちおう著者は、「ヴェ−ラ−の夏祭りでの子供達の集団事故死説」をとっている。ヒトラ−も「わが闘争」の中で、わずかながら「笛吹き男」に言及している、という。

 ドイツでの最初の魔女裁判は1508年、ウルムで起こされ、その後各地で魔女告発「委員会」が設置され集団妄想となっていく。天候不順、不作、家畜の病気などが発生した際のスケープゴートであり、集団のカタルシスとしての性格は明らかである。魔女裁判の形式や処刑方法、ヴュルツブルグでの犠牲者の記録など、ややマニアックな詳細が記されている。このヴュルツブルグでの魔女狩りは、30年戦争の勃発と共に終息に向かった、というが、これは後にナチが戦争勃発によりユダヤ人虐殺のアクセルを踏んだのと異なり、まだ牧歌的であったことを示している。しかしドイツ全体としては、魔女狩りは18世紀、啓蒙思想が誕生するまで続いていたという。

 啓蒙思想の誕生した18世紀のドイツ的神秘主義・非合理主義として著者が取り上げているのは、フリーメーソン(特に保守的な南ドイツで広がった、黄金・薔薇十字団とイルミナティ)、体操の父ヤ−ンによる「国粋主義的運動」としてのブルシェンシャフト(学生組合)運動、そしてワンダーフォーゲル運動などである。もちろん、これらは暴走し、悲劇をもたらしたものではないが、著者は、これらをヒトラ−のカルトに向かう前奏曲として位置付けている。

 そしてナチス。祝祭(キリスト教の祭祀をベースとした、ゲルマン化という古代回帰のユ−トピアの提示)、「催眠的作用の虜」(アラン・ブロック)、アウシュヴィッツと「魔女の館」の欺瞞的スロ−ガンの類似性等々が説明されるが、特段の新鮮さはない。

 宗教学者エリア−デによる、祭りの陶酔的なオルギア(どんちゃん騒ぎ)というカオスから「大異変」を経て崩壊するという、非日常空間を定期的に設定することによるパニック回避メカニズム。禁欲主義的・戦闘的なキリスト教は、オルギアや陶酔を生み出すゲルマン的習俗を抑圧したために潜在的なフラストレ−ションを蓄積した。これが、ドイツ史に度々現れる集団妄想の根源である。こうした集団心理を体現するカリスマが、時の気分を表現する「大義」により運動を組織化していく。これに、ドイツ的徹底性と水も漏らさぬ官僚制組織の支援が加わると、その社会的浸透性が著しく強化される。どの文化でも存在するこうした傾向が、ドイツでは過去の歴史の中でどこよりも強く現れてきたというのはそのとおりであろう。そうした「祝祭」を日常性の中に織り込んできたのが近代の智恵であり、ハルツの魔女伝説のように、デモ−ニッシュなものを観光資源にするというのもその一例であると言える。日本でも多くの神話に残され、柳田邦男から山口昌男に至るまで連綿と分析されてきたこうした現象は、決して文化の基層から消え去ることはない。ナチスや日本軍国主義、あるいはオウム事件を、この一言だけで済ましてしまうのは余りにも怠惰であるが、我々はこうした基層の上に存在し、常にそこからの脅威を受けていることを忘れてはならないのであろう。

読了:2004年3月17日