アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第十一章 その他
リトル・ドラマー・ガール
著者:ジョン・ル・カレ 
 このル・カレの昔の小説を、「ドイツ読書日記」に掲載するのは、以前に掲載した「スパイたちの遺産」と同様、主要な舞台の一つがドイツであるという、やや牽強付会な理由である。1983年発表の作品で、翌1984年にダイアン・キートン主演で映画化され、また最近では2018年にBBC制作でTVドラマ化されている。

 すごい小説である。著者の作品は、代表作と言われるスマイリー三部作や、上記のような最近のものまで、ここのところ集中的に読んできたが、ここまでの作品はなかったように思う。終盤に差し掛かった週末、不眠で寝付けなかった深夜に改めて起き出し、一気に読了することになった。

 西ドイツでの、イスラエル関係者・施設への爆弾テロ事件から物語が始まる。ドイツのテロ担当者に接触するイスラエル情報機関のクルツは、単に個別事件の捜査を行うだけではなく、テロ実行組織の根幹を叩き潰す計画を始動させる。その仕掛けとして、英国のある劇団の女優チャーリーに目を付け、劇団のギリシアでの休暇旅行中に、劇団のマネージャーに架空の企画を提案しつつ、一人のハンサムな男を彼女に接近させる。そこから、チャーリーの壮大な新しい舞台に向けての訓練が始まるのである。

 破産した中流階級の出身で、左翼的な傾向を持ちながらも、基本はノンポリという設定のチャーリーを、彼女のファンとして接近したイスラエルの工作員ジョセフと作戦を指揮するクルツが教育(洗脳)していく。彼らは、パレスチナ・テロリストの欧州での工作員で、イスラエルに拉致した若いハンサムなヤヌカ(サリム/ミシェルと、状況に応じて呼び方は変わる)とジョセフを重ね合わせながら、チャーリーにヤヌカの恋人を演じるよう仕立て上げていくのである。イスラエルには縁もゆかりもない英国人女優が、イスラエルのためにこの危険な任務を引き受けるに至る、というのは現実的にはなかなか起こりえる話ではないが、それがこの小説の鍵であるが故に、ル・カレは、それが真実味を帯びるよう、その過程を事細かに長々と描写していくのである。そして訓練が終わった後、ジョセフはチャーリーに最初の任務を与える。それは、拉致される前にヤヌカが調達し、計画していたソ連製プラスチック爆弾を積んだ車をギリシアからユーゴ等を経てドイツに持ち込む仕事である。(以上、上巻)

 チャーリーによる単独での、長距離ドライブ。彼女の運転する赤いベンツを、イスラエル側、パレスチナ側双方の工作員が常時監視している。そしてミュンヘンに到着し、駐車している赤いベンツは、パレスチナ側に回収されるが、イスラエル側は、そのまま放置する。チャーリーはヤヌカから託された任務を完遂したのである。それが確認されたことで、イスラエル側は、拉致しているヤヌカを爆殺する。こうしてチャーリーは、恋人を爆弾で失った悲劇のヒロインとなるのである。

 傷心状態でロンドンに帰ったチャーリーに、オランダ人の女ヘルガやスイス人弁護士のメスターバインら、パレスチナ側の工作員が接触する。彼女たちは、取合えず最初の任務を遂行したチャーリーにまだ疑念を持ち、あれこれ追求するが、チャーリーはそれをかわし、ついに、ヘルガに付き添われベイルートに向かうことになる。クルツは、ジョセフを使い、チャーリーに最後の助言を行うと共に、欧州のパレスチナ工作員は放置している。

 そして舞台は中東に移る。パレスチナ解放運動の「隊長」タイエーやヤヌカの姉ファトメーとの遭遇。彼らは、当然チャーリーを疑い尋問するが、彼女はそれも通過し、武闘訓練も受けた後、新たな任務を受け、ドイツに送られることになる。同じ頃、クルツは、上司の反対を受けながらも、パレスチナでのチャーリーの動きをフォローしつつ、欧州側の監視から、パレスチナ側が西ドイツはフライブルグで次のテロを計画していることを突きとめ、そのターゲットである穏健派イスラエル人のミンケル教授を訪問している。

 シュトゥッガルト空港でヘルガら欧州工作員に迎えられたチャーリーの役割は、まずミンケル教授の宿泊ホテルで彼と接触し、彼の旅行カバンの一つを持ち帰ることであった。それを見事にやり遂げた彼女は、そこでついにイスラエル側の「最終目標」である、ヤヌカの兄で、テロを主導しているハリールを紹介されるのである。ハリールは、まずヤヌカとの関係を含め彼女を尋問し、それに満足すると、彼女が持ってきたミンケル教授のカバンに爆弾を組み入れる。チャーリーはそれを持ってミンケル教授の講演会場に戻り、教授のカバンを誤って持ってきてしまったので教授に返してほしい、と警備員に依頼する。カバンは手渡され、再会したハリールは、カバンが爆発し「ミンケルやシオニストたちが死んだ」と告げる。だが、一部始終はクルツらによりコントロールされていた。現場を去る前に、彼女に接したクルツは、チャーリーに最後の指示を下す。そしてハリールと二人で静かな夜を過ごしているところで、最後の一撃が下される。爆弾による死傷者というのは偽情報で、クルツは、欧州とパレスチナでチャーリーが接触した人々をほとんどすべて殲滅する作戦に勝利するのである。(以上、下巻)

 かつてロンドン駐在時代に、このペーパーバックを購入し読み始めたが、最初の数ページで挫折をしてしまった。そのペーパーバックはその後も保有し続け、シンガポールでも手元に置いていたのだが、結局再度のトライをすることなく、昨年の帰国時に処分をしてしまった。その長らく喉元につかえていた悔恨が、約40年弱の歳月を経て、ようやく今回この邦訳を読了したことで取れたかのような解放感を味わうことになったのであった。

 その他のル・カレの作品も同様であるが、日本語で読んでもたいへん読み辛い。登場人物の会話には、皮肉や挑発を含め、微妙なニュアンスが溢れ、場面の説明はとことん細かくマニアックである。それに加え、この小説では、チャーリーが恋人を「演じる」ヤヌカ/ミシェルとジョセフが、彼女の意識の中で次々に入れ替わる。チャーリー自身が、ヤヌカ/ミシェルとジョセフのどちらを想っているのか、そしてそれは本当の愛なのか、ただそれを演じているのか、彼女自身にも、そして読者にも判然としない。言わば、物語全編が、ある種の「夢物語」のような曖昧さで進行していくのである。しかし、イスラエル情報部内部の軋轢やドイツ側との交渉、そしてテロ事件やパレスチナ難民キャンプ、そしてそこでの武闘訓練等は、明晰に描写されていく。特に、イスラエル建国後のパレスチナでの虐殺行為等も、パレスチナ側の登場人物から語られるが、それはまさに現実の歴史である(巻末の解説によると、ル・カレは、この小説の取材で、パレスチナ解放戦線の地区司令官などにも会って話を聞いたという)。その意味で、約40年前に刊行されたこの小説は、パレスチナ問題を正面から向き合った作品であり、ここで描かれた世界は、未だに解決をみることなく、中東政治の不安定要因であり続けている。この作品では、ル・カレは、イスラエル側が「全面勝利」したように描いているが、その後の歴史は、この戦いは依然勝者のない、終わりのない闘いであることを示している。厳しい地政学的現実と夢物語の統合というとんでもない世界。その意味で、この小説は、私が今まで読んできたル・カレの作品の中でも、特に圧倒的な迫力をもって心に染み入ってきたのである。繰り返しになるが、この作品を約40年弱手元に置きながら、今まで読む機会がなかった。それをようやく叶えた今、大きな安堵感に包まれているのを感じている。

 次の課題は、冒頭に記した、この1984年の映画版と2018年のBBC制作によるTVドラマ版を観ることであるが、少なくとも前者は、今のところレンタル店では見つかっていない。しばらくは、これらの映像を探すことになりそうである。

読了:2021年5月8日