敗戦国・日本とドイツ 戦後70年でなぜ差がついたのか
著者:クライン孝子
このドイツ(フランクフルト郊外であるという)在住で、ドイツ人の伴侶を持つジャーナリストについては、以前から名前や著作を耳にしながら、今まで接する機会がなかった。同じようなドイツ在住の著者としてはピアニスト出身でドイツ・シュトゥッガルト在住の川口マーン恵美のユーロ論を昨年(2021年12月)に読んだ(そして、実はこの新書は既に2016年に読んでいたことが今判明した)が、どうも、こうした海外在住者の著作は、「軽い読み物」という先入観があり、敬遠することが多かった。しかし、川口もそうであるが、この著者も、やや思い込みが激しいところはあるが、現地でのネットワークとドイツ語力を生かした情報には一目置かなければならないことを実感することになった。それに加え、この著者の場合は、1939年、旧満州生まれで、幼いながらも戦後の混乱の中での引き上げをしたということで、その人生経験も豊かである。この著作は、2009年に上梓された旧著を大幅に書き直した上で2015年7月に出版したものである。この時点で著者は70歳。しかしあまり年齢は感じさせない。
冒頭の、ドイツの第二次大戦の敗戦から、メルケルの時代に至るドイツ戦後史の概観は、ほとんど新しい事実や見方はない。ただそこで著者が強調しているのは、欧州大陸で何度も戦争を繰り広げ、都度勝者であったり敗者であったりした経験から、ドイツ人が、戦争の何たるか、そして敗戦国となった際にどのような運命が待ち構えているかは熟知していること、そしてこの戦後史も、そうした経験に裏打ちされた「辛抱強い」振る舞いが貫かれ、それが現在のEUを牽引するドイツの地位に繋がっている、という見方で、それがその後の本書での基本的な主張となる。
その上で、日本とドイツの戦後史の共通点と相違点が比較されることになる。まず取り上げられるのは、両敗戦国の国民、特に外地在住の国民の悲惨な姿である。日本では満州在住者を中心に、戦後約60万人がシベリアに抑留されたことが知られているが、ドイツのそうした強制労働に徴発された戦争捕虜はその比ではなかったという。ドイツの場合は、敗戦時の軍人捕虜に加え、13世紀以来東方に移民していたドイツ人在住者1100万人が、既に開戦時から東方への強制移住対象となり、そして敗戦時の悲惨な仕打ちも受けることになったのである。ただ、大陸と海で隔てられ、大陸への移住が物理的に制約されている日本と、陸続きで中世から移住が行われていたドイツとでは、その規模が異なるのは当然である。著者は、その経験を戦後にどう生かしたか、という点で日本とドイツの差があるとして、その後の議論を展開することになる。曰く、「ドイツは負けたとはいえ、少なくとも国を守る体制は固持するという鉄則を踏まえ、一歩も引かなかった」のに対し、日本はこの経験を単なる「過去の過ち」としてその後の国作りを占領国アメリカに全面的に任せることになった。しかし、その議論は説得力を持っているのだろうか?
戦犯法廷である東京裁判とミュールンベルグ裁判が比較されている。この比較は、かつて丸山眞男が、「ナチスの戦犯は堂々と罪を認め処刑されていったのに対し、日本の戦犯はひたすら責任逃れに終始した」と議論していた記憶があるが、著者の見方は異なる。即ち、ドイツ人は過去の戦争経験から、こうした裁判は勝者による周到に仕組まれた「政治ショー裁判」であることを認識しており、しかし敗戦国がそれに物を申すことができないことが分かっているので受け入れただけのものだったのに対し、日本は、自身が「戦争犯罪国家」であることを受入れ、「一億総懺悔」する雰囲気が支配的となった。それがその後の靖国参拝問題等に繋がっており、「国家のために戦って亡くなった尊い戦死者」を敬うことへの躊躇を生んでしまったとするのである。ただ、これは戦争責任者(戦犯)と一般の戦死者の相違を無視した議論であり、「どの国でも普通の感覚」としているが、例えばドイツにおいてもナチス関係者の戦犯の墓に敬意を表するのは、ネオナチ等の少数者であるのは全く同じであろう。ただ、ドイツ人が、この戦争裁判を心の底では認めていない、というのは、むしろその後のドイツでのこうした右翼勢力の勢力拡大となっていると考えれば、それなりに理解できる。戦争に負けたら、また次の戦争で勝てば良い、ということになる。しかし、そうした発想を止める上では、日本の「一億総懺悔」の方が間違いなく効果がある。私は、この点では、日本の方が戦後の対応は正しかったと考える。
著者が次に取り上げるのは、「情報機関」の対応であるが、これは明らかに戦後の日本とドイツで差が出た分野である。著者は、戦後のみならず、戦中から日本が「スパイ天国」であったーゾルゲ事件から、戦後の中国共産党による「日本解放第二期工作要綱」なる「秘密文書(怪文書?)」等々―に対し、ドイツにおいては大戦時から対ソ諜報を行っていたゲーレン機関が、敗戦後も米軍に取り入って、冷戦後の対ソ諜報を続けたのみならず、米国ⅭIA創設に寄与し、そしてそのまま西独のBND(ドイツ連邦情報局)となり、東独シュタージ等と激しい闘いを繰り広げた様子が語られている。そしてゲーレンは、自身が持つ「膨大な対ソ情報」を基に組織のアメリカからの独立を含め、アメリカから多くの譲歩を引き出したという。また米国での「マンハッタン計画」に関わるソ連スパイ摘発も、ゲーレン機関からの情報によるものであったとされる。その他、著者が個人的に取材した、東独とのスパイ戦に家族全員が巻き込まれた男の話など、この部分は、私の好きなル・カレ等のスパイ小説を地で行くようなルポ等もあり面白い。日本にも戦前は「ヤマ機関」なる優れた情報力を持つ機関があったが、戦後は雲散霧消してしまったというのも、初めて聞く話しであった。海で大陸から隔てられていることの安心感から「情報欠乏国家」となってしまった日本であるが故に、北朝鮮による拉致事件なども起こるべくして起こった、という著者の指摘には頷かざるを得ない。
両国における戦後の再軍備の相違についても、ドイツが、ナチス時代の軍人を積極登用し、公然と行ったのに対し、日本は、それができず、現在の「日陰者」としての自衛隊問題が続いていることが議論されている。ただこれは、ドイツが冷戦下、フランスを含めた西側の指令に服するNATO傘下での再軍備を進めたのに対し、日本は、ソ連、中国を始めとする東側との対立下、周辺に有力な同盟国もなく、米国占領下、平和憲法と平仄を合わせる形でそれを行った日本と比較してもあまり意味はない。日本の戦後に、「旧軍人=悪者」という意識が広がり、著者自身が経験した満州での経験を含め、瀬島龍三等の戦争指導者が何も語ることがなかったというのも、それはそれで良かった。著者は、ドイツの様に、戦前の軍関係の優秀な人材を再活用することがなかったことは問題、としているが、それは日本の戦後体制を考えるとむしろそれで良かったと思えるのである。
再軍備の問題は、続く「国家の自立、政治家の責任」という章でも議論されているが、そこでは「情報戦としての外交、武力戦においての防衛が、未だに整備されておらず(中略)、「壊滅」に近い状態におかれている」ことが、拉致問題、竹島問題、東シナ海ガス田問題、北方領土問題等の近隣諸国との摩擦で何一つ解決のめどが立っていないことの証拠だ、と主張されている。これに対し、ドイツは、アデナウアーの再軍備に始まり、ブラントの東方外交、シュミットの「NATOの二重決定」、コールのドイツ統一、そしてメルケルの「両親子育て休暇手当て」といった社会保障により、「狡猾」に国民利益に奉仕してきた、としている。しかし、著者が挙げている日本の外交問題とドイツのそれは全く夫々の国や地域、そこでの国際関係の相違を考えると、単純に比較できるものではない。確かに、ソ連崩壊の際にドイツ統一を果たしたドイツと、その時絶好の機会に北方領土問題を解決できなかった日本の差は、私も認めるが、だからといって日本の政治家が「国民利益を考えてこなかった」ということにはならない。他方、ドイツは、現在のウクライナ危機で、天然ガスを始めとする資源をロシアに大きく依存してしまったことで、サハリンU等を巡る日本以上に、厳しい立場に置かれることになっている。その意味で、この辺りは、海外在住者の立場から祖国を眺めた時の一般的な感想を述べているといった程度に考えた方が良いだろう。
その後、著者はメディアや教育における両国の相違に触れた上で、憲法についてのコメントでこの著作を閉じることになる。ドイツ憲法(ボン基本法)が良くできたものであること、そしてそれが情勢に応じて適宜柔軟に改正されてきたというのは日本国憲法と大きく異なるところである。しかし、それと、現在保守勢力側から益々強まっている日本の憲法の改正論議とは、異なる見方が必要であり、個人的には後者の動きには注意すべきものであると考える。米国に押し付けらえた憲法であっても「守るべき部分は守る」という立場で、この改正、特に自衛隊の合憲化明記には反対であるというのは、私自身の変わらない立場である。
ということで、この本での著者の主張には賛同できない部分も多く存在するが、それでもドイツに長く在住し、そこでのネットワークと語学力を生かした面白い情報収集力には敬意を表したい。先日読んだ「いまどきのドイツと日本」でも感じたが、政治、経済、社会、歴史等々の夫々の相違を認識しながら、見習うべきところは謙虚に見習いながらも、基本的には自国固有の諸要因を考慮しつつ、今後の国家としての道を、夫々の方法で模索していかざるを得ないという気持ちを改めて確認することになったのである。
読了:2022年8月25日