アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十一章 その他
放送記者、ドイツに生きる
著者:永井 潤子 
 最近、ドイツ在住の女性によるドイツ報告を何冊か読んできたが、この著者については、今回初めて知り、その著作に触れることになった。1972年からドイツのラジオ国際放送「ドイチェ・ヴェレ」の日本語放送記者となり(この時、満38歳ということなので、生まれは1934年頃であろう)、1999年退職、年金生活に入ると共に、住居をケルンからベルリンに映し、フリー・ジャーナリストとしてドイツからの各種の報告を行ってきた。著者が74歳になる2008年までは、NHKの深夜放送等も担当していたようである。これまでも、ドイツ統一前後の状況を中心にまとめた「ドイツとドイツ人」や、その後10年程度のドイツの状況を報告する「新首都ベルリンから」といった作品があるようだが、本書は、2013年8月刊行の、三冊目の著作である。ここでは、自身の50年に渡るドイツ滞在についての「自分史」的な回顧から始まり、この時期のドイツ、あるいは日本との関係、なかんずく2011年の東日本大震災を受けたドイツの脱原発政策や代替エネルギー転換の現状などを伝えているが、最近読んだドイツ在住女性の報告の中でも、たいへん読み応えのあるものになっている。

 冒頭の「自分史」については、その最終的な退職後の2008年からの報告が多くなっているが、その歳まで、女一人(?)で海外での半世紀にわたる人生を送ってきた著者の矜恃が溢れている。特に、ドイツに移住した1972年(私の大学入学年である)は、まだ日本では女性の業務が限られていた時期に、ドイツで機会を見つけることになった経緯が詳細に語られている。ここでは「カルチャー・ショック」として、土曜日午後から日曜日一杯の商店閉店や6週間の有給休暇のフル取得等、それから約20年経てドイツに赴任した私も経験した懐かしいドイツでの慣行などが報告されている。また68年運動の残響が残るこの時期、ウーマンリブの動きが胎動し、ジャーナリストであるアリス・シュヴァルツァー等が多くの批判を受けながらも活躍し始めていたとの報告も興味深い。彼女は、その後、ドイツにおける女性の地位向上に貢献した大御所としての地位を確立することになる。

 一般的な報告としては、まず2005年のメルケル首相就任から始まる。ここでの報告は、良く知られている事項が多いが、その中で、この選挙戦の最中、彼女が「女性であることも東独出身であることも、まったくといっていいほど強調せず」「ドイツが抱える失業問題や国家財政の赤字解消」といった問題を強調し、その結果僅差の勝利であったという著者の指摘が特記される。また当初からメルケルを支えたフォン・デア・ライエン(当時、連邦家庭・高齢者・女性・青年相。現在は欧州委員長)が、もともと医師で7人の子供を産んで育てた母親であることが紹介されている。その後の彼女の活躍―もちろん現在のウクライナ危機でもフル回転しているーを考えると、著者が早い時期から注目していた慧眼には敬意を表したい。

 ドイツ・フランスによる高校生向けの統一歴史教科書、2008年から2011年にかけて何度か迎えたドイツ統一記念日への思い、フリードリッヒ大王生誕300年祭(2012年3月)、ヴァイツゼッカーの90歳誕生日記念行事(2010年6月)、ローキー・シュミット(シュミット元首相夫人)の91歳での逝去(2010年12月)、ベルリン市議会に進出した若者の政党「海賊党」の話(2011年12月)、旧東独出身のガウク大統領就任(2012年5月)等々、私が知らなかったり、あまり認識していなかったドイツでの出来事についての報告はどれも興味深い。そして日本での民主党への政権交代から3.11東日本大震災と原発事故、そしてそれへの政府対応等についての、ドイツでの日本に対するメディア論調の紹介も、大いに参考になる。これらの論考は、第二次大戦から戦後復興過程で、良し悪しは別にしても親密な関係を築いた日独関係が、ドイツから見ると弱くなっていることを痛感させられる。また2008年から2013年にかけてのベルリン映画祭の紹介では、先日観たばかりの若松監督の「実録・連合赤軍」への注目(2008年)が報告されていてびっくりした(映画評に別掲。同じ若松監督が2010年に出品した「キャタピラー」も紹介されているが、これはあまり観る気がしない作品である)。また3.11を受けた環境問題をテーマにした作品の数々。福島の被害とそれへの政府対応等を扱った日本人監督の作品も多く紹介されているが、日本以外では、シェールガスの危険について問題提起をしたマット・デイモン出演の「プロミスト・ランド」や、旧ソ連時代に隠蔽された核事故を扱った「メタモルフォーゼン」等も、機会があれば是非観たいと思わせる作品である。こうした著者の幅広い関心と、詳細な紹介はたいへん面白く読むことができた。

 そして締めは、福島原発事故を受けた原発・エネルギー問題でのドイツと日本の対応の差を論じた一連の報告である。ここでは著者が、同じ意見を持つドイツ在住の友人たち(6人の魔女)が進めている反原発・再生エネルギー転換運動を含め、日本での原発対応が遅れていることを批判している。この年代になっても勉強を深め、それを実践活動に結びつけている著者の活力には敬意を払うし、再生エネルギーへの転換は、もちろん中長期的には目指すべき方向であることは間違いない。ただ足元は、特にドイツは、ロシアへの天然ガス依存が裏目に出て、現在シュルツ首相が中東四国訪問を含め、エネルギー資源確保、特に当面はCo2削減に逆行する石油資源の確保に奔走している姿を見ると、日本を含め、この問題は簡単ではないことが改めて実感される。

 著者が前に発表している2冊も是非読んでみたいが、買うほどでもないというところが悩ましいところである。しかし、この著者の名前は、これからも頭に置いておこうと思う、そういう気にさせる著作であった。

読了:2022年9月26日