ライン河幻想紀行
著者:V.ユゴー
ヴィクトール・ユゴー(1802年―1885年)。フランス・ロマン派の詩人にして、「ラ・ミゼラブル」の著者、そして政治家としても著名である。その彼が1842年に発表した作品の文庫本をブックオフで見つけ読むことになった。言うまでもなく、ライン河は、私のドイツ駐在時代に数限りなく訪れた地であるが、既に帰国から30年近く経った今、その記憶も相当薄れている。19世紀半ばに、この文豪が旅先から送ったというこの地の印象を頼りに、自分の記憶を呼び返しておければ、というのが、この書を読み始めた際の意図であった。それはどの程度満たされたのだろうか?著者が訪れた幾つかの主要な地に沿ってそれを見ていくことにする。
まずは、古代から彼の時代までのライン河を巡る歴史と伝説が語られる。「ドイツ的でもあり、フランス的でもある河」、「軍事的でもあり、宗教的でもある河」、「封建的でもあり民主的でもある河」。ローマの支配からケルト(ゲルマン)の支配へ移っていった様子や、そこでの多くの諸侯たちの歴史と伝説が刻まれている河、まとめて言えば「文明を生き写しにした象徴的な河」がライン河であるということになる。如何にも「ロマン派」的なアプローチである。そして続いて沿岸の個々の街の印象が語られることになる。
まずは、河からはやや外れたアーヘンから始まり、8世紀にこの一帯を支配したカルル大帝が生まれ、そして814年そこで死に葬られたということで、それに因んだ教会などの建築物とそれを巡る伝説等が紹介されているが、ここは、私は1-2回訪れたことがある程度で、あまり印象は残っていない。1814年、大帝が死んでから丁度1000年にあたる年、ナポレオンが没落し、彼と闘った連合国の君主たちがこの地に集まったという。
そしてザンクト・ゴアール。ライン渓谷の中ほど、ローレライの対岸にあるこの町は、私はそれこそ数限りなく通過したが、ゆっくり街を見ることはなかった。ローレライ側の山上にある猫城、鼠城、ライヘンベルグ城等の伝説が語られるが、これらの城は、私も訪れた記憶がある。ローレライの岩自体は、私は初めて対岸を走る列車の中から眺め、「今、ローレライを通過しています」という列車のアナウンスで初めてそれと気がついたくらい、どうってことのない岩山であった。その時は、日本語のカタカナで「ローレライ」と大きく白ペンキで書かれており、それこそ興覚めしたが、さすがに評判が悪かったようで直ぐになくなることになった。そしてその後も数限りなく、車や船からこの岩山を眺めることになったが、やはり下から見るよりも、岩山の頂上の展望広場から河を見下ろした際の壮大な景観の方が強く印象に残っている。猫城、鼠城等もその途中で訪れた記憶があるが、それらは破壊された廃城で、著者がここで紹介している歴史や(町から床屋がいなくなったといったといった)伝説は余り感じることはなかった。
ライン渓谷の入り口にある町、ビンゲン。著者はこの地を徒歩で動きながら、その自然と共に、カエサルからルターに至るドイツ中世の歴史を思い浮かべる。その筆致は、まさに「ロマン派」の感性を感じさせるものである。しかし、私の記憶では、ビンゲン自体ではなく、その対岸にあるリューデスハイムの街の方が記憶に残っている。まさにライン・ワインの集散地であるこの町には数限りなく訪れたものである。そこにあるワイン博物館を訪れ、また小さな通り沿いに立ち並ぶワイン・レストランで何度となくワインー8月の終わりのワイン生産開始時期しか飲むことのできないグリューワインを始めて試したのもこの街であるーと食事を味わったものである。こうしたワインの記憶と共に残っている街であるが、ユゴーのこの旅では、リューデスハムとワインには全く触れられていない。彼にとっては、ワイン等は余りに「世俗的」で、「ロマン的」なものではなかったのだろうか?
続いて遥か上流、ライン支流のネカー沿いの街ハイデルベルグに移る。この街も、私はそれこそ数限りなく訪れた地である。16−17世紀の30年戦争等で何度も破壊され、そして都度復興した街、しかしそうした戦乱の中で唯一残った家の話等。そして古城や周辺の丘陵地帯の散策と思索。そこでは著者は、「異教徒の穴」や「異教徒の道」を見つけ、その遠い歴史に思いを馳せることになる。私の記憶の中では、この街は、小説「アルト・ハイデルベルグ」(別掲)で描かれた学生たちの生態と、落ち着いた古城のたたずまいとして残っているが、前者については、著者も「上品で真面目な若者たちで、その顔つきからして思索的だ」と語っている。また古城及びそれを取り巻く自然については、その裏山という「小さな山羊山」に上り、そこから見下ろした景観を描写しているが、それを私は経験することはなかった。著者は、それなりの期間この街に滞在し散策を繰り返したことが想像される。街から2マイルほど離れたネカーシュタイナッハと呼ばれる谷間に伝わる「疫病神ブリッガーの伝説」等も、「ロマン派」である著者ならではの紹介になっている。古城に残されている「お化け樽」の話は、私の記憶には残っていない。
そしてこの文庫本の最後は、ライン河関連と呼べるのかどうかは分からないが、アーヘンからオランダ国境を越えた北西にあるファルケンブルグ地方に伝わる伝説を基にしたという「美男ペコパンと美女ボールドゥールの物語」が語られることになる。これは若い騎士がふとしたきっかけで恋人と別れ長い旅に出て世界中を回り歩き、多くの武功を建てるが、数年後の故郷に戻った際に再会した恋人は120歳の老人となっていた。彼はそれだけ長い時間、自身は歳を取らず旅をしていた、という話しである。これがライン河紀行の一部に含まれた理由は余り理解できないが、かつて幼少時に親に与えられた「少年少女世界の文学全集」で読み、その後はミュージカルや映画等でも接してきた、あのジャン・バルジャンを生み出したユゴーの小説とはとても思えない「幻想小説」であった。
そんなことで、最後はややコケタが、著者による19世紀のライン河を巡る旅を追いかけながら、私自身の1990年代の記憶を呼び戻すという当初の目的はそれなりに達成できた。ユゴー自身が描いたそうした街や河の多くのスケッチ(なかなか良い雰囲気が出ているもので、彼がこの分野でもそれなりの才能を持っていたことを物語っている)を眺めながら、現在もNGOの仕事を通じて接しているドイツのこの地をまた訪れる機会があることを願っているのである。
読了:2025年2月2日