ヨーロッパ中世の宇宙観
著者:阿部 謹也
私のドイツ独紙日記の原点であり、その冒頭に何冊かの著作を掲載した著者の作品で未読のものを見つけ、久し振りに著者のドイツ中世社会論に触れることになった。1991年11月の文庫版出版であるが、主題の性格から、古さはあまり感じられない。
内容は、著者自身が「今日までの仕事の出発点となった論文とその仕事と関連のある講演など」で、その意味では、既に読み、評を掲載している4冊と重複している部分が多い。そのため、斬新な議論はないが、彼の世界に接するのは約15年振りということもあり、私にとっても、改めてドイツ読書についての原点を確認することになった。
著者の最大の成果である「ハ−メルンの笛吹き男」及び、それに続いて読んだ「中世の星の下で」(双方共別掲)の世界が中心で、まずは、著者が「ハ−メルン」で描いた、「笛吹男」や「鼠捕り男」に関わる伝承の成立と変貌、そしてそこから読み解く、ドイツ中世の庶民の習俗・思考様式についての論考。ここでは、「植民説」、「遭難説」、「舞踏病説」等、数々の議論が参照されながら、13世紀のドイツの庶民生活を蘇らせようという、私も最初に読んだ著者の主要著作の骨組みが示されている。
次の論考では、14−15世紀に生きた二人の人間の自伝が取り上げられ、そこから、中世ヨーロッパ世界での人間関係の在り方の変貌、「贈与・互酬の関係から売買の関係へ、農村を中心とする生活から歳中心の生活へ、多くの神々の世界から唯一神の信仰によって組織された世界への転換」が示されることになる。著者は、「この時代に書かれた多くの自伝の中からこの二つを取上げる」としているが、この時代の欧州で、こうした「庶民」による自伝が多く存在していることの方が、個人的には驚きである。もちろん日本を含むアジア世界でも、当時のインテリによる「古典」はいつの世にも存在するが、「庶民による自伝」という話はあまり聞かない。文字文化についての欧州の先進性を感じさせる話である。
以降は、中世のドイツ社会で、「名誉を持たない賤民」として差別されていった人々について、刑吏を取上げながら、その差別構造が出来上がっていく過程を追いかけている。これは「中世の星の下で」でも取り上げられていた論点であるが、外敵防衛のために高い城壁で囲まれた中世都市では、自ずと外を否定的媒介とした仲間意識が構成され、それと共に、都市の内部に存在した下層民に対しても、ギルド・ツンフトという形で、彼らを排除する仲間団体という構造が成立していくと論じられていたものである。こうしてできた同職組合の中で形成されていったのが市民意識であり、それは産業革命以降の大都市化の中で変容したとはいえ、現代の人々の意識の中にその残滓を留めている、といった見方である。この著作の当時の私の感想では、「確かに中央集権国家が早くから成立していた英国やフランスに対し、領邦国家の集合体のまま近代に突入したドイツの場合は、こうした中世自由都市の倫理観やル−ルがより色濃く近代まで引き継がれたと言えなくはない。そしてそれがある意味では、ヨ−ロッパの中でも一番強い、規則に対する拘束意識というドイツ人の性向を支えているのであろう」と書かれている。また「ところが、市民意識が都市内において、下層民への対抗勢力として成立したことは、逆に言えば、まさにそれが都市における差別の構造ともなったことを意味した。ギルド・ツンフトといった兄弟団の形成が、農村から都市への大量の人口移動のあった15世紀に起こったことがそれを示している。「都市に流入してきた者がさしたる困難もなしに、なんとかありつくことができたような職業がまず差別され(中略)、それらの職業が賎民の職業として位置づけられていった」という著者の推測は納得しうる。」という当時の感想もここで再録しておく。
こうして、「中世の星の下で」でも取り上げられた、ユダヤ人・煙突掃除人・人間狼・貧しき旅人や病人といった被差別民成立の過程とその社会的要因が描かれることになる。「中世自由都市の中で、中央権力そのものからは離れた地点で自主的に生成された規範が、その小宇宙の中で差別構造を内包させる形で受け継がれていく姿は、我々がこれから見ていこうとするドイツ近代の社会学的原点とも言いうるのではないだろうか」という当時の感想を思い出すことになるのである。特に、この文庫の最後に収められている講演では、ユダヤ人差別の成立について語られているが、これが貨幣経済成立の過程でのユダヤ人の存在感の増大と、それに対する既往支配層の「畏怖」から生じてきた、という議論は、一般的に認知されているものであろう。
こうして「ドイツ読書日記の原点」に改めて触れることになったが、1935年生まれの著者は、ネットで見たところ2006年に亡くなっているということである。71歳、今の私とさして違わない年齢での逝去、というのにやや驚いている。こうした独特の世界を築いた著者の作品に触れるのはこれが最後になるのだろうか?
因みに、この文庫本の表紙は、私の大好きな、そして第一期 Deep Purple 第三作のジャケットにも使われたヒエロニスム・ボスの「快楽の園」の一部が飾っている。それだけでも、この文庫本は、ここところいつもそうしているように、読了後ブックオフで処分することはせず、手元に置いておこうという気持ちにさせられる。
読了:2023年10月29日