アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第一節 ドイツ戦後史
戦後ドイツ
著者:三島憲一 
 ドイツの戦後に関わる具体的な政治過程を確認した後、今度は、精神史としてのドイツの戦後を簡単に見ておこう。このニ−チェ学者であり、またフランクフルト学派、なかんずく後に第六章で取りあげるJ.ハーバ−マスの研究者でもある著者のこの書物は、敗戦に始まる戦後ドイツの知的葛藤を、政治・社会史の中に位置付ける試みである。それは著者も意識しているように、巷にごまんと存在する、ドイツ崇拝者によるただのドイツ賛美などではなく、裏のドイツ、苦難の中で格闘するドイツ文化人の戦いの記録である。

 物語はナチの崩壊と連合軍の攻撃により荒廃した風景から始まる。そしてスイスに亡命していたへッセが看破したように、そうした荒廃は精神的にも、ナチヘの協力を隠蔽し自己弁護しようとする民衆の心の隅々にまで広がっていたものであった。保守派は、その意識を克服するため、ドイツ的なるもの−例えば、ゲ−テ生誕200周年記念の行事等−の復活と冷戦の開始に伴う、マ−シャル・プラン等の経済援助による急速な経済復興による過去の忘却を持ち出すが、他方その地点から「19世紀を、18世紀により乗り越えようとする」ドイツの戦後知性の戦いが開始される。彼らは「なぜあのようなことが起きたのかという問いと同時に、あのようなことをもたらした心性や構造がなぜ、そしてどのような形で残っているのか、最高の民主主義憲法とどういう具合に同居し、支えあっているのか、日常の意識や態度のなかにしつこく潜伏している病巣をどうしたら克服できるのか、という問題を現在まで追い続けることになるのである。

 戦後ドイツ知識人がまず知的に直面したのは、いわゆるハイデガ−問題であった。1933年、フライブルグ大学学長就任時に行われたこの偉大な哲学者のナチ擁護演説は、戦後も彼の人気が依然高かっただけに、またナチに裏切られた後の現実からの逃避と抽象的文明批判と技術批判、そして静観的・瞑想的な美的態度への隠遁といった知的サバイバルが戦後のドイツ知識人を捕らえていたが故に、より真剣に批判されなけれぱならなかった。

 この問題のみならず、アデナウア−時代の復古主義全般に対し、異議を申し立てていった2つの集団があった。そのひとつはフランクフルト学派の社会哲学者たち。そしてもう一つは47年グル−プと呼ばれた文学者の一団である。ハイデガ−問題に対し、前者は、アドルノの「本来性の隠語」や若きハバ−マスの新聞エッセイをもって、後者は例えば、グラスの「犬の年」をもって取り組んだ。そしてこの2つの集団を中心とする人々は、良きにつけ、悪しきにつけ、その後のドイツ知識人運動を担っていくのである。

 「知識人の隘路」と題された第3章では、60年代の穏やかな社会の政治化が語られる。ベルリンの壁に象徴される戦後体制の固定化、SPDのゴ−デスベルグ綱領の制定にみられる、経済成長への政党の対応等といった動きの中で、文化の担い手は、従来の「懐疑的世代」から戦後世代である「批判的世代」ヘと移行していく。アドルノ、ホルクハイマ−による、「否定の弁証法」「啓蒙の弁証法jといったナチズムと近代理性批判の労作が発表されたのもこの時代である。そして、その動きは次に来る反抗の時代を予感させることになる。

 ベトナム戦争を背景とする非常事態法反対の動きと、大学内部の封建的構造に対する批判が、1967年6月の一発の銃声により爆発する。先進資本主義国を覆い尽くしたこの反乱は、ドイツにおいてもそれまでの知識人運動を大きく変えると共に、若い世代を中心とするライフスタイルの革命をもたらすことになる。知識人運動、特に反乱の理論的根拠を与えたフランクフルト学派は、思想の現実化により慎重であったために、日本の戦後知識人が学生闘争の中で被ったのと同じ運命を辿った。しかしハーバ−マスにみられるとおり、学生の野蛮性と展望の欠如に対して一定の距離をとりつつも、彼らは決して「保守主義の暖かい懐」に逃避することはなかった。70年代以降、次第に運動が終息し、改革への諦念が社会を支配していく過程でも、ハーバ−マスらの理論的な活動は多くの成果を生んでいくのである。

 70年代のブラント、シュミットと続くSPD時代は、80年代のCDUのコ−ル政権へと移行。アルタナティブと呼ばれたシニシズムの世界は、ある意味では経済社会におけるヤッピ−やディンクスの発想に受け継がれていく。そして時代は今やドイツの統一を受けた新しい状況を迎えている。ハーバ−マスが言うように、時代の不透明性はより広がっているが、一方で啓蒙という形で始まった近代というプロジェクトは依然未完である。「自由をただ競争社会の自由に狭隘化して理解し、経済合理性だけを追求する新保守主義とは断固として戦わなければならない。」まさにこの本で語られている戦後ドイツ知識人たちの精神の軌跡は、こうした終わることのない、絶望的ではあるが、絶望に陥ることのない戦いの困難と希望の記録なのである。

読了:1991年3月25日