アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第一節 ドイツ戦後史
20世紀ドイツ史
著者:石田勇治 
 先に、「68年運動」を読んだ、ドイツ現代史に関する4巻本の第一巻、イントロダクションである。全体の構成は、神聖ロ−マ帝国からドイツ統一に至る通史の前半と、6つの特定のテ−マによる詳論からなる後半から構成されている。前半の通史は、ほとんどが復習の域を出ないので、若干の現代性を持ちうる事項に簡単にコメントするに留め、後半の個々のテ−マについて、より踏み込んで見ていくことにしよう。

 通史で、一つ確認しておく価値があるのは、キリスト教民主・社会同盟と社会民主党の大連立政権に関してである。今まさにドイツでは、39年振りとなる両党の大連立政権が発足し、11月後半になってドイツ初の女性首相として旧東独出身のメルケルが指名された。両党が僅差で、尚且つ従来の夫々の連立枠組みでは過半数を取れないことから、苦渋の選択としての大連立を余儀なくされたのである。しかし連立交渉の過程では当然のことながら政策の相違から、大臣人事の思惑を含め、かなりの迷走を経ての決着であり、逆に多くの火種を残していることから、今後の政権能力には疑問を残しながらの船出となったのである。その意味で、今回の大連立は、39年前のそれとは、歴史的な意味合いも大きく異なっている。従って、この通史で示されている過去の大連立を整理しておくことは、今回の大連立を理解する上で多少の意味があると思われる。

 1966年秋、エアハルト政権の高度成長戦略が次第に失速し、累積した過剰生産能力と放漫財政による国庫の赤字拡大を主因に景気が後退、失業者が急増(と言っても、66年9月の10万人が、67年2月に67万人に増加ということなので、現在の5百万人を越える水準に比べれば規模は圧倒的に小さいが)すると共に、ネオナチ政党への支持が拡大する中で、自由民主党がキリスト教民主・社会同盟との連立を離脱したことに伴う、連立の組換えの結果として1966年12月に誕生したのがこの時のキージンガー大連立政権である。
 この大連立は、60年代前半から社会民主党が抱いてきた構想であったという。現実路線を歩む政党として、万年野党の社民党を政権に参加させること。他方キリスト教民主・社会同盟としては、噴出してきた社会問題を圧倒的多数の議会勢力により対処することを目的に組まれた政権であった。

 この大連立政権については、成立当初より議会制民主主義の機能不全を危惧する声も多く、特にこの政権の下で、非常事態法が議事日程に上ると、第二巻で描かれる「議会外反対派」による運動を広げることになった。また他方で、不況の回復に時間がかかったこともあり、ネオナチの動きは、政権末期に至るまで収まらなかったという。

 他方、社会民主党にとっては、外相として入閣したブラントの東方外交が成果を修め、結果的には一時野党となっていた自由民主党の支持も受ける形で、1969年9月の総選挙後、彼らとの連立により、ドイツ初の革新政権を誕生させることになった。

 この様に、1966年の大連立政権は、特に社会民主党の積極的な戦略構想の中で成立し、実際にそれがドイツの政権枠組みを大きく変える契機になったと言えるのに対し、今回の大連立は、明らかに「構想なき野合」であった。社会民主党から言えば、大敗が予想されていた総選挙でなんとか盛り返し、政権与党の立場を維持したものの、これを受けた今後の政策展望を持っている訳ではない。他方のキリスト教民主・社会同盟も、逆に大勝の予想が覆ったため、1998年9月の下野以降ようやく政権に復帰したものの、足元の景気対策や国庫赤字の削減といった政策に多くの制約を課される形になってしまっている。こうした状況のもとで、ようやく走り出したこの大連立政権は、39年前のそれとは性格を異にしていることを認識しながら、今後のドイツの政治情勢を眺めていくことにしたい。
 
 さて、本書の後半はドイツ現代史に関する6つの個別課題を見ている。最初の小論は、ドイツ近代史の大きな論点となった、中世神聖ロ−マ帝国以来の「ライヒ」概念を巡る論争が、ナチ政権の崩壊と共に終焉したことを示しているが、この概念が包含する特殊ドイツ的ニュアンスを考慮すれば、戦後のドイツ欧州化の枠組みでは受入れられるはずがなかったのは当然である。

 二つ目のテ−マは、ワイマ−ル期のドイツに重い影を落とした戦時賠償問題が、実はドイツ外務省の対外戦略の中で意図的に強調され、世論操作されたものであった、という議論を解説している。ポイントは、ドイツに第一次大戦の開戦責任はあるのか、という点で、時の社会民主党政権の「カウツキ−委員会」が一定の責任あり、との報告を準備したのに対し、外務省が、賠償交渉を有利に進めるために、この報告を圧殺すると共に、世論を動員して賠償負担の重さを印象付け、結果的に開戦責任を軽くさせようとしたものであった、という見解である。しかし、あくまで外交交渉の手段として採られた「虚偽の戦争責任」論は、結果的にドイツ国民の中に、ドイツの無謬性を信じさせ、「戦勝国にたいする心理的な戦闘状態を持続させる」ことにより、ワイマ−ル崩壊とナチの政権奪取への道を開くことになったとされる。この議論は、ナチ勃興期の政治過程と同様に、短期的な政策が、中期的な悲劇をもたらしたという見方であり、それに学問的な説得力があるかどうか、という評価とは別に、現在の政策判断を行う際の一つの教訓となるものであることは間違いない。

 3つ目の論点は、ホロコ−ストを生き抜いた一人のユダヤ人の日記から見た、迫害の一側面である。この、クレンペラ−という仏文学者・言語学者による日記を基にした作品「私は証言する、最後まで」は、1995年(というので、私の滞在時である)の「ショル兄妹賞」を受賞したという。
 そもそも「ユダヤ教のしきたりより、レッシング的なドイツ文化の自由を好んだ」クレンペラ−も、ナチにより、ドイツ人としてのアイデンティティを否定され、ユダヤ人へと引き戻される。しかし多くのドイツ人がナチに迎合していく時に、ユダヤ人としてのアイデンティティに引き篭もることも出来ず、むしろ「本当のドイツ精神を体現しているのは自分だ」という矜持のみを頼りに困難な時代をドレスデンで生き延びるのである。戦後は東独残留を選択し、社会主義統一党に入党したこのユダヤ人の心の葛藤は、単純な党派的な発想よりは共感が持てる。

 四つ目のテ−マでは、ナチのユダヤ人政策が、当初はマダガスカルを主たる候補地とする国外移住を目指していたにも係わらず、この強制移住の道が閉ざされたことによって、1941年後半を境に、急速にホロコ−ストにシフトしていった、という議論が紹介されている。また他方で、大戦下の東ヨ−ロッパ全域で展開された「民族ドイツ人」の帰還運動による流入ドイツ人の生活基盤をユダヤ人財産で補うという側面もあったことが述べられている。これはヒトラ−が戦時下で著しく不足する労働力を補うと共に、堅固な「民族共同体」を建設しようという意図でとられた政策である。著者は、ユダヤ人受入れを巡るヒムラ−とポ−ランド総督フランクの対立や、マダガスカル移住計画とその撤回といった内実を跡付けている。確かにホロコ−ストへと至る道には、単なるヒトラ−の意志や漠然たる反ユダヤ主義のみならず、「戦争の予期せぬ転回と民族再編計画が頓挫し、窮地においこまれたナチ高官たちが、事態の打開を求めて選び取った」という場当たり的な思いつきもあったのかもしれない。しかし、もちろん、この議論が、ホロコ−ストに対する、反ユダヤ主義自体の責任を弱めるものではあり得ない。
5つ目のテ−マは「東部戦線における戦争のジェノサイド化」についての分析であるが、これは対ソ連戦が「世界観戦争の総力戦」であったことをもってすれば容易に理解できる。これは「国民規模での宗教戦争」であったのである。

 最後は、「過去の克服」というキーワードによる「戦争責任論」の日独比較である。これは、既に多くの議論があるので、ここでは日米の相違に関する著者の整理だけ簡単に記載しておく。
@旧体制に対する公的な歴史認識の相違:ドイツの全面否定と日本の天皇制維持
A両国を取り巻く国際環境の相違:西欧諸国及びイスラエルの信頼を受けることを強いられたドイツと米国の従順なパ−トナ−となった日本
B抵抗運動と亡命者:日本ではほとんどなし(共産党の獄中体験者やソ連からの帰国者のみで、国民的基盤を持てなかった)
C戦争体験:自国政府に苦しめられたという思いが希薄なドイツ人と、被害者意識の高い日本人

 以上、6つの個別テ−マを見てきたが、これは言わばドイツ現代史を専門とする著者の最近の関心を示したものと言える。しかし、確かに,歴史学的観点では新たな議論も出てきているのは確認できるが、根本的議論としては、既に多くが語り尽くされているという感じがする。むしろ、こうした議論を契機に、現代ドイツの抱えている景気の低迷と失業の増大という問題、それに「野合」としての大連立に見られる政治的閉塞観を、日本人の視点からどう捉えていくか、という問題意識をより鮮明に意識する必要があると言える。後者に関して言えば、既に憲法改正を頭に入れた、自民党と民主党の大連立構想が、おそらくは自民党筋より流され、民主党の新党首である前原も、それなりのコメントを行わざるを得なくなっている。日本での大連立が議論されるとしても、それが1966年のドイツのような、革新政党にとっての戦略的なものになるのか、それとも現代ドイツのような「野合」になるのか。特に日本では足元、小泉自民党が衆議院3分の2を支配するという背景のもと、大敗した民主党の復活戦略も含めて検討されなければならないことは間違いない。日本とドイツが大連立という視点でも比較される事になるのか?景気サイクルの類似性とも併せ、両国の現代史は、まだまだ比較される余地を残しているのではないだろうか。

読了:2005年11月2日