アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第一節 ドイツ戦後史
物語 東ドイツの歴史
著者:河合信晴 
 先日、ドイツ統一に関わる新書を読んだばかりだが、今度はドイツ統一で消滅した東独の通史を扱った新書が刊行された。これもドイツ統一30周年の動きの一環なのだろう。著者は、1976年生まれの研究者で、旧東ドイツのロストック大学で博士号を取得している。

 東独については、言うまでもなく、その社会主義的独裁体制とそれを保障するための秘密警察(シュタージ)による市民活動の弾圧組織のみが「伝説的」に語られることが多いが、他方で、統一が進むにつれて、かつてのその地域での生活を懐かしむ「オスタルギー」が広がっていることも伝えられている。著者は、そうした相反する評価を念頭に、出来る限り冷静に、この国(以降、この表現を使わせてもらう)の約40年に渡る歴史を語ろうと試みている。
 
 先のドイツ統一に関する新書と同様、基本的には、かつて学んだ戦後ドイツ史の復習である。ただ、東独に焦点を当てることで、この国が、建国時から直面した、他の東欧諸国と異なる課題が浮かび上がることになる。それは、他の東欧諸国が有したソ連との関係に加え、西独との比較を常に意識せざるを得なかったという問題である。

 戦後の占領時期から、ソ連占領地域での「デモンタージュ(懲罰的賠償取立てとしての工場等生産財の接収・移送)」、そして冷戦激化によるベルリン封鎖とソ連型政治・経済体制の確立といった初期の歴史は、やや教科書的な事実の羅列に終始する。

 経済・社会の急速な社会主義化が進む中、一つの大きな転換点となったのは、1953年の「6月17日事件」である。これは、私は今まで余り認識していなかったが、スターリン死後の移行期における東独での大規模な反乱事件として改めて確認しておく価値がある。これは重工業部門の優先政策から、人々が必要とする消費財生産へのシフトに加え、「教会関係者への抑圧、農業や中小独立起業の集団化、軍事力の強化」の縮小といった政策転換であったが、工場労働者へのノルマ引上げが撤回されなかったことが主因で、大規模な政府批判、スト、デモが発生したが、ソ連軍が介入し鎮圧された。西側諸国からは、一切支援等の動きはなかったということであるが、これはハンガリー動乱に先立つ東欧圏での最初のソ連介入例である。またこの事件は、政権側には、特に西独との比較感で劣る消費財の安定供給の重要さを認識させると共に、民衆側には、直接行動の無力感を植え付けることになったという。そしてその後のスターリン批判後、ウルブリヒトが生き延びると、知識人も、体制への批判を抑え「知識人内部で相対的な自律性を維持する方向に向かった」とされる。しかし前者は、その後、消費財生産の非効率から発生する質量両面での不足を、政府補助金で何とか取り繕う政策となり、それが中長期的に対外債務の増加をもたらし、それをソ連からの各種支援で維持できなくなった時に、この国の破綻が不可避なものになるという結末を迎えることになる。ただそれまでは、まだ37年の年月を要することになる。

 1961年8月13日未明のベルリンの壁建設は、言うまでもなく、この国の歴史の最大の事件であり、著者もこの建設を巡る米国やロシア、そして東独政権内の議論を詳細に追っておるが、これも教科書的な記載を出ない。これにより、それまで東独にとって最も厳しい問題であった若年労働力の西独への流出が阻止され、その後相対的な安定時期が訪れることになったことは間違いない。耐久財の普及や労働時間の増加といった「奇跡の経済」と呼ばれる経済成長、あるいは、社会の不満を一定の範囲で取り上げる「請願法」といったシステムの導入等。しかし、それは上記のとおり、中長期的な破綻への歩みの開始であったのであるが。著者は、60年代の製造業でのある程度の自主性を与える経済改革なども説明しているが、これらも結局資金不足等で持続せず、また統制強化と労働争議の発生などに繋がっていった。そして70年代のオイルショックは、西欧諸国以上に、東側に大きな打撃をもたらすことになる。

 1971年のウルブリヒトの失脚とホーネッカー支配の確立は、前者が東独独自の外交を試みたのに対し、後者がブレジネフらのソ連保守派と結託し、前者を放逐したと説明されている。これは、この政変が政策要因というよりも権力闘争で利用できる勢力と連携しただけと理解される。実際、1989年のホーネッカー解任も、政策的には、この時自身が反対した東独の独自性に固執するという同じ政策が主因であったことが、最後に述べられている。

 1970年代以降のホーネッカー時代も、西独との格差を意識した「人びとの物質面そして文化面における生活水準の向上」が、「あらゆる政策の主要課題」とされたが、「労働生産性の向上と経済成長」が滞っている状況では「精神論」に留まり、上記のとおり世界的な経済危機の中で益々傷を広げていく。住宅投資や女性の社会進出を含め、「消費社会主義」はそれなりに進むが、消費物資の不足と、外貨を保有している層とそれ以外の格差拡大は更に広がり、70年代後半には、ソ連との関係の冷却や農業危機なども相まって、こうした矛盾が顕在化することになる。こうして運命の1980年代が始まる。

 党の最高意思決定は、ホーネッカーに集中し、他の政治局員等は「自分の担当部門の問題しか理解できない状況」にまで硬直化していく。補助金漬けの経済や消費財不足の深刻化、そしてゴルバチョフの登場は、ソ連との関係の決定的な悪化をもたらす。そして1989年に至るが、この統一の過程は、もちろん直前に読んだ「ドイツ統一」を含め、かつて散々学んできたとおりである。

 冒頭で著者は、東独を見る際に、「社会の安定は抑圧だけで維持できるはずがないという「独裁の限界」論や、「政治と社会の間に存在していた回路の重要性」を指摘するM.フルブルック(かつて、この著者の「ふたつのドイツ」は読んでいるー別掲参照)の「ミツバチの巣」論等の新しい視点を紹介している。フルブルックの作品の自分の評をもう一度確認してみると、これは西独と東独の歴史を其々の立場から時代毎に位置付けることにより、東独社会の特殊性を示そうとしていることが分かる。それと比較すると、この著作は、もちろん西独との関係がもたらした東独への影響をそれなりに分析しているが基本的に東独単独の状況を淡々と記載しており、フルブルックの作品に見られるような両国間の重層的な歴史の展開を分析している訳ではない。その点で、繰り返しになるが教科書的な記載が多く、新たな刺激を与えるような分析は、あまり感じられなかった。「独裁の限界」論や「ミツバチの巣」論についても、せっかく冒頭に指摘しながら、夫々の議論を受けた踏み込んだ分析もあまり感じられない。個人的には、「独裁の限界」論は、現代の権力国家では、北朝鮮、中国からロシア、中東、南米、アフリカなどの「独裁」国家では、当然多様化された支配形式があり、また「ミツバチの巣」論についても、これらの国では其々の形は異なっているのが当然である。「独裁」政権と社会の緊張関係について、個々の国の具体的な姿を分析しながら歴史を見ていくのが、こうした現代史を見る場合の重要な課題である、ということを改めて認識させられた東独の現代史であった。

読了:2020年11月19日