戦後ドイツの抗議運動
著者:井関正久
以前に、「ドイツを変えた68年運動」(別掲)で接した著者の2016年6月刊行の作品で、68年運動に留まらない、戦後ドイツの所謂「制度外」社会運動の歴史を詳細に綴っている。言うまでもなく、「ドイツ68年運動」は、私の原点の一つであり、今までも多くの著作に接してきたが、それ以外の左右双方からの社会運動という点では、今まで見過ごしてきたものも多い。特に、21世紀になってからも、ある意味、ドイツにおいては、こうした社会運動が連綿と続いてきたというのは、余り認識していなかった。ここではそうした21世紀以降のドイツでの動きを中心に整理しておきたい。
まずは戦後間もない時期からの、東西夫々のドイツで発生した反政府社会運動―西での再軍備反対運動、英国の軍事演習基地であったヘルゴランド島占拠、パウロ教会運動、原爆詩反対闘争、シュピーゲル事件、東での福音協会の動きと6月17日事件―が取り上げられるが、これらは今までも何度も接してきた歴史である。そして「68年運動」と、それが東西夫々のその後の社会運動にもたらした影響―西での女性解放運動、左翼急進派の動き、反原発運動と反核平和運動や、東での人権運動と民主化要求、そしてそれがサブカルチャー・シーンでの抗議を経て地域、そして中央での円卓会議の設置といった形で「壁の崩壊」まで続いていく流れーも、良く知られている通りである。しかし、改めてこの辺りを復習すると、夫々の時代の課題に直面し、その過程で多くの挫折を経ながらも連綿と続いてきた西でのこうした社会運動と、政権に抑圧されながらも、地道に活動を続けてきた東での動きに、この国の国民の粘り強い性格を強く感じることになる。ただここまではほとんどが復習である。
今回改めてこの国の社会運動の底力を感じたのは、統一以降の流れである。特に「冷戦終了」の雰囲気の中、グローバルな地球環境保全といった問題関心が強まる中、環境NGOが、それまでの対決的な社会運動と一線を画しながらも、専門家として、「国家・経済組織との間に批判的な協力関係を排除しない」姿勢を示し始めたことが特記される。
「環境帝国主義」と揶揄されるように、ドイツ人の環境意識は欧州の中でも抜きんでていて、それが「新しい社会運動の制度内化」として緑の党の躍進を支えてきたが、統一後は、むしろこれが「既成政党化」したこともあり、その隙間を埋める市民運動としての新たなNGOが存在感を高めることになる。そうしたNGOとして、著者は特に、西における「ドイツ環境自然保護同盟BUND」と「変革期の東ドイツ市民運動から生まれたNGO緑の連盟」の二つを取上げ報告している。
詳細は省くが、前者の「ドイツ環境自然保護同盟BUND」は、既に70年代からその前身の市民運動があり、緑の党とも連携してきたが、統一以降は、より組織化され、「市民側」に近い立場から、1998年に成立したSPD/緑の党の連立政権に対しても「批判的協力関係」を維持すると共に、時として原発廃棄物処理などに反対する激しいデモ等も繰り広げたという。この運動の一つの成果として報告されているのは、東西ドイツ国境の「壁」とその周辺の「無人地帯」で、30年近く育まれてきた自然を「緑地帯」として残す運動であったというが、これは、私は全く知らなかった。またこのNGOは、「地球の友」というグローバルな環境団体にドイツを代表し参加し、この領域での国際連携も牽引しているという。また後者の「NGO緑の連盟」は旧東独地域に根差した環境NGOとして、時としてBUNDからの助言を受けたり、それと連携しながら、現在に至るまでその活動(「草の根レベルからの公共圏の形成」)を続けているという。またこうしたNGOといった「運動勢力の政治参加」は、1992年のリオデジャネイロで開催された「地球サミット」で採択された「アジェンダ21」の行動理念を受け、統一ドイツで地域レベルでの円卓会議の継続や再結成に繋がり、それが地方政府に受け入れられ、「地域レベルで幅広い住民層に参加と協議の機会を与えている」として、ベルリン市のケースなどが紹介されている。
そしてこうした統一ドイツでの社会運動の最後に、「右翼・極右の波」が取り上げられることになる。既に私が滞在していた90年代から、いわゆるネオナチによるトルコ人やボスニア難民に対する襲撃事件などが発生していたが、2010年代以降、中東からの難民が欧州に流入し、特にドイツではメルケルが、彼らを寛容に受け入れる対応を取ったことから再び盛り上がることになったことは、最近の読んだメルケル本などでも詳しく語られている。
この著作では、こうした極右の動きが、単なる事実としてだけではなく、それを「社会運動」として捉えるべきかどうかといった議論が交わされたこと等を含めて説明されることになる。面白いのは、「68年運動」30周年である1998年に、緑の党が連邦レベルでの政権(「赤緑」連立政権)に加わり、この世代の代表格であるヨシュカ・フィッシャー(緑の党)が外相に就任したことで、この運動を肯定的に評価する動きが強まったが、その10年後の2008年には、今度は、保守勢力側から、これを否定する論調が強まったという流れ。そこでは、「68年世代」が、彼らが批判した父親たちの「33年世代」と同様にブルジョア的システムに対抗する「運動」であり、それを闘争と暴力で実行したことで、むしろ同じ動機による運動であった(「68年=33年」)と、「運動全体を否定的に捉える風潮」が広がり、それにより右翼・極右側のイデオロギー的な「68年」バッシングが続いたという。また左翼側では、この時期、SPD左派等が合流する新たな左翼政党が旗揚げされたが、彼らの「68年」40周年の運動に、右翼サイドが、「68年」の時に、学生左翼が実践したような手法での抗議運動を行い、メディアもそれを大きく取り上げたというのも、私は全く知らない話であった。
こうした右翼運動の政党としては、旧東独地域を基盤とするNPD(ドイツ国民民主党)があり、これは憲法裁判所からの禁止を逃れ、州議会ではそれなりの議席を獲得したという。また一部は極右テロ組織として爆弾テロなどを実施したが、2012年には、当局がこれを防げなかったということで、憲法擁護長長官が辞任するといった事態も発生したという。また別の動きとして、以前に読んだメルケル本での取り上げられていた「ドイツのためのオルタナティブ(AfD)」、あるいは反イスラムを掲げる「西欧のイスラム化に反対する愛国的欧州市民(ペギータ)」の勢力拡大等も挙げられている。しかし同時に、こうした右からの抗議に対する(左からの)抗議も、一般市民を巻き込んだ形で大きな展開を見せており、暴力的なものと非暴力的なもの等、「あらゆる種類の抗議が対立・並存する状況が今日も続いている。」まことに、「ドイツ的」な現象であるという感がある。これらの右翼勢力の拡大の背景には、良く言われる通り、難民受入れや原発廃止といった政策での、メルケル率いるCDUの「左展開」があったとされるが、同時にこうした右翼運動が「ナショナル・アイデンティティ」概念を前面に出し、それにより異文化、異宗教を敵視する国際的なアクションを促していることが挙げられている。彼らは、「極右団体と同一視されない試み」として、「右翼左翼両陣営からの隔絶、ナチスと多文化主義との隔絶」といった方針を宣言して、憲法擁護庁の介入を避けている。「イスラムに対抗するヨーロッパ像に自己同一化する」ためのハリウッド映画やSNSを使った宣伝工作も盛んである。こうした「右からの抗議」は、言わば、「戦後さまざまな運動をとおして培われてきた民主主義的思想やリベラルな価値観を否定し、既成政党や既存のメディアといったエリート層全体に対する抗議と同時に、議会進出も視野に入れながら、政治的転換を試みている。」すなわち、「ナショナル・アイデンティティの防衛やイスラム化反対という住民の少なからぬ部分が共感できる「ポピュリズム的演出」をとおして、基本権を徐々に空洞化し、権威主義的社会モデルに歩み寄る大衆基盤を獲得しながら、最終的には民主主義とは別の秩序をもった社会の形成を目指している」という著者の危機感には全面的に合意する。そしてこうしたドイツの「ダイナミックな市民社会」は、「政治が日常から乖離した状態」の日本とは大きく異なるように見えるが、今後移民・難民問題、あるいは2016年出版のこの本では取り上げられていないが、新型コロナといった感染対策やロシアによるウクライナ侵略を契機とした東アジアでの軍事的緊張の拡大といった展開の中で、日本社会の進むべき方向を議論する際の示唆を与えてくれると著者は結ぶことになる。
こうして21世紀に入って以降のドイツでの社会運動の動きを克明にたどる著者の力量には感服させられる。多くの原文資料を読み下し、現象面のみならず、そうした運動に関わる論争を通じてその背後にある最近のドイツでの思想動向にも言及しているところは、中々素人にはカバーできない部分である。ハーバーマス等の論壇を率いてきた指導的論客不在の中、こうした社会運動のダナミックな動きが、今後のドイツや欧州、そして場合によっては日本にも影響を及ぼす可能性をきちんと肝に銘じておきたい。
読了:2022年8月8日