アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第二節 ドイツ統一とその後
ドイツ再生とEU
著者:寺尾正敬 
 一昨日、日経新聞が、興銀、第一勧銀、富士銀の三社による業務統合をスクープし、そして昨日それが正式に発表された。かねてから世界的な金融再編と国内不良債権処理の重石から、単独の長信銀行として生き延びるのは困難と言われていた興銀が、同様の立場にある都市銀行二行と共に、ここに来て起死回生の秘策を編み出した。それは自らの肉を切りつつも、この競争社会で勝ち残るべく小異を捨てて大同に付くことによって、少なくとも日本の業界の中での圧倒的な位置を確保し、そして世界的競争の中でも、生き残りから覇権確保へと向かおうとする試みである。それが野心的な試みであるが故に、その過程はおそらく個々の構成員にとっては厳しい試練となるであろう。三行の部門別業務再編と当然発生するリストラ。個人的にもこの競争の中で生き残るだけの能力と精神力が必要とされる。明らかな時代の変化が、こうして私の日常にも直接的影響を及ぼしてきているのである。

 こうした革命的変化は、もちろん、冷戦終了後の日本、そして世界が直面している現状である。そして私がそこを離れてわずか一年しか経っていないドイツでも時間は激しく動いているようである。特に1998年10月の総選挙で、1982年から16年にわたり政権を維持してきたコ−ル率いるキリスト教民主/社会同盟と自民党の連立政権が崩壊し、シュレーダー率いる社会民主党が、連邦ベースでは歴史上初めての政権参加となる緑の党との連立政権を樹立したことで、この変化は一層激しくなっているかのようである。もちろん、シュレーダーが目指している英国ブレア型社会民主主義路線を念頭に置くと、ブレアの政策が創造的側面はあるにしても、実は多くがサッチャ−/メジャ−時代からの政策の継続であったように、シュレーダーの道も、コール時代から大きく変わるものではないのかも知れない。しかし、他方で、日本が、あるいはそこの組織が変革されねばならないのと同様、ドイツも間違いなく国としての変革を求められている。それでは新生社会民主党政権のドイツの継続性と変革はどのように理解されるのか。日経新聞のボン駐在として、私のドイツ滞在中もよく名前を耳にした(しかし残念ながら会う機会はなかった)著者によるこの書物は、私が滞在していたコ−ル時代から、その後のシュレーダー政権成立後の動きを含めてEUの中で変貌しつつあるドイツの最新事情を追いかけている。ここでは今後予定されている読書会を念頭に置き、各章の概略を記していくが、私の関心はもちろんシュレーダー以降にある。従ってこの書物を構成する4つの章の内、「シュレーダー:『赤・緑』連立政権の誕生と苦悩」と題された第一章及び「未来への視点」と題された第四章が考察の中心になり、コ−ル政権の16年を総括した第二章と戦後復興から東西ドイツ統一までを経済面から振り返った第三章は必要ある範囲で最小限に言及するに留めたいと思う。


第一章 シュレーダー「赤・緑」連立政権の誕生と苦悩

 1998年の総選挙における政権交替は、戦後ドイツの14回にわたる連邦議会総選挙で、野党が政権を奪還した初のケ−スとなった。過去の交替は全て政党間の連立組替えの他、首相の辞任・与党内での委譲で行われてきたが、このように急激な変化を好まない保守的なドイツ人が、今回は戦後初めて政権交替を選挙で選択するという決断を下したのである。英国における、15年の保守党政権後のブレア労働党による政権奪還、日本での1993年の自民党政権の崩壊と同様に、ドイツの政権交替も、冷戦後先進諸国が直面している諸問題が、既存の枠組みの変革を要求していることの象徴である。それでは、ドイツの政権交替を促した諸要因は何なのか、そしてシュレーダー政権はそれにどのように答えようとしているのか。

 1998年11月の連邦譲会における施政方針演説でシュレーダーが強調したのは、何よりも労働総人口の10%を越える水準が続く大量失業との戦いであり、そのための経済の重要性、グロ−バル化への適切な対応であった。そしてその実現のために政府・労働界・経営者による「労働(雇用)のための盟約」を結び直し国民的コンセンサスのもとでの経済構造改革を行おうとするものである。

 こうしたシュレーダーの経済再建路線の基盤として著者がまず挙げているのは、ニーダーザクセン首相として関わったフォルクスワ−ゲン社監査役を通じての経済人との人間関係である。「経済界に顔がきき、支持者も少なくないという党内では異色の存在」であり、99年2月に彼の主導でまとめた、ドイツ主要企業によるナチ時代の強制労働に対する補償基金の設立も、こうした彼の経済人脈及び米クリントンとの近しい関係の成果であるという。

 また経済相にベンチャー企業経営者を起用した閣僚人事、外国人犯罪取締りの強化といったブレア型の中道路線で国民の安心感を得ると同時に、社民党支持者に対しては、コ−ル政権の福祉予算削減の見直し、脱原子力発電の提案等を与える形でバランスを取っている。いずれにしろ欧州各国で社会民主主義を唱える政権が成立しているものの、従来の冷戦を越えた局地紛争(ポスニア、コソポ等)、ユ−ロ導入に伴う厳しい経済・財政基準、そしてグロ−バルな競争激化という環境変化の中で、イデオロギ−は意味を失うと共に、左右両陣営とも政策選択の余地は極めて狭くなっている。

 こうしたシュレーダー政権のネックは、まず政権発足当時のラフォンテーヌ率いる党内左派との緊張並びに連立相手である緑の党との政策協調にあった。取り合えずラフォンテ−ヌとの主導権争いは、本年(1999年)3月彼の蔵相辞任とシュレーダーの後任党首への選任という形で決着したが、足もと再び左派からの批判の高まりとラフォンテ−ヌの回想録による攻撃で揺るがされているのは、最近の新聞報道のとおりである(その後のザ−ル州等の地方選での社民党の敗北が、シュレ−ダ−の地位を脅かすのか、それとも左派の敗北と評価され逆に彼の党内での地位を強めるか、判断は難しいところである)。緑の党が強硬に主張する環境対策についてはまず環境増税面では「石油税の増税と電力税の新設からなる小幅かつ段階的な環境・エネルギー増税」にとどめ、また原発問題については「脱原子力の看板はこれからも掲げるが、中身は現状通り」とすることに成功している。更に連立協定の公約中、保守派が問題視した外国人の二重国籍取得問題にしても、反対世論の高まりを見て、「ドイツ生まれの子弟に限り一時的に二重国籍を認め、満23才で選択させる」という妥協案で決着させている。緑の党はそれまでも政権に参加した地方政府で幾つかの理念先行による政治的失敗を犯してきたが、特に1999年2月のヘッセン州議会選挙で、緑の党が敗北した主因が、連立参加後の脱原発問題を巡る強硬路線の主張にあったと言われており、この結果この党の、連立政権内の発言力が弱まった、というのが通説である。こうした事態を受け著者は「緑の党が与党を続けながら『緑の革命』を起こすためには、要求を突きつける市民運動という形態から一歩進んで、あるがままの現実から出発してさまざまな集団の利害を調整しながら最終目標に至るプロセスを示す政策能力の練磨が必要だ」と論じている。

 新政権が中心課題としている経済再建は、前述の体制のみでは簡単に解決できない難題である。そもそもコ−ル政権末期の「改革の渋滞」は、日本のそれと同様に、従来から称賛されてきたドイツ産業構造自体がもたらした問題であった。日本以上に遅れているハイテク産業(ソフト産業で世界に通用するのはほとんどSAP一社のみ)、特許申請件数での日米等に比較しての低迷とそれを反映した経常収支中の技術収支の過去10年にわたる赤字。シュレ−ダ−は連邦予算の研究開発予算の大幅積み上げを行ったが、産業界の支持はともかくも、効果が発生するまで時間を要するのは疑いない。

 こうした経済再生路線の方向性についてのポイントを整理すると以下のとおりである。
@経済政策の基本としての「社会的市場経済」の維持。自由市場経済の成果で社会福祉
を実現しようというコンセプトで、前提は構成員のコンセンサスと労使協調。長期的
視点としての「環境の市場経済化」が加わる。
Aコ−ル時代の、所得税・法人税減税と福祉の削減を通じての民間企業投資の促進と雇
用創出策の継続。前政権との相違は、低所得層に比重を置いた減税。老齢年金制度等
の改革は不可避であるが、党内左派の説得が問題。
B通貨統合へのコミット(野党時代からの変節)と英国への秋風(パリ・ボン枢軸から
パリ・ロンドン・ボン三角形ヘ)、共通外交・経済政策・社会政策への期待。グロ−バ
ル化の中でのユ−ロの安定化。
第二章 コ−ル中道右派政権の一六年

 コ−ル政権の評価:第二次石油危機で苦境に陥っていた西独経済の再建、ドイツ統一の実現、ヨ−ロッパ統合の推進と経済通貨同盟の実現。
批判:旧東独経済再建の遅延と心理的ミゾ、EMU評価はこれから、政治・経済統合は道半ば。

第三章 ふたつの過去からの教訓

ふたつの過去:
@60年代の戦後最初の不況を乗切り、その後の成長を支えた社会的市場経済が90年代に至り「改革の停滞」を招いたこと、及び
Aドイツ統一後、社会主義の優等生の旧東独経済が実態的には余りに後進的であったこと。

@:停滞を生んだ安定優先の政治制度として挙げられているのは以下の諸制度・慣行
−首相不信任・議会解散への厳しい制約
−少数政党排除のための「5%条項jと「基本議席条項」
−地方分権国家を象徴する連邦政府の大きな権限と参議院構成−決定の遅延
−連銀の理事構成も連邦制を反映
−官僚、法曹界、実業界、ジャ−ナリズムに広がる政党色

A:旧東独経済の問題点
−重厚長大型の加工貿易業主体の産業構造
−低い工業生産性と消費水準
−統一による市場の喪失と通貨統合により過小評価されたマルク建となり膨れた債務
(−党官僚による国家私物化とシュタ−ジによる治安国家体制)

第四章 未来への視点

 シュレ−ダ−が担うドイツの未来に向けての4つの視点。

@隣国フランスとの関係、創設から50周年を迎えポーランドなど中欧3カ国の新規加盟
で19カ国に拡大した北大西洋条約機構(NAT0)とEUの東方への拡大との絡みを柱とする外交スタンス。
A内政最大の課題である失業との戦いと労使の現実。
B経済活動の基本ル−ルである独占禁止政策の転換など再出発へ向けた基盤づくりと、経済政策を提言・判定する役割を担ってきた五賢人委員会の活動。
C産業界のグロ−バル化への対応と、将来必ずやってくる環境の時代への道筋。

(1)外交スタンス
コ−ル時代の独仏枢軸型外交から、「フランス・イギリス・ドイツによる三角形」ヘの変更の兆し。誘因として@地理的にフランスとの関係が深いライン地方出身のコ−ルの退場、Aシュレ−ダーやフィッシャ−の戦争体験の欠如、Bフランス国境から遠いベルリンヘの首都移転、C外交面での共通項が多いラフォンテ−ヌの退陣。

他方、ユーゴ空爆への国防軍の参加やイラク空爆支持といった米国への配慮と、東方外交を受け継ぐロシアとの戦略的パ−トナシップやNAT0の東方拡大支援といった東欧政策(国際分業の推進)等の連続面も。

EU政策についての99年1月のシュレーダー演説は「全ての加盟国は(略)公平かつ均衡のとれた相互関係のなかで共通の利益を束ね、それを力強く追求しなければならない」と、コ−ル前政権までの経済力に支えられた小切手外交からの段階的な決別、国力に見合った権利・義務、公平な負担の実現を示唆。99年上期議長国であったドイツはEUへの拠出の見直しを議題に(80年代のサッチャ−のEU政策)。その他EU問題については@難民受入れ問題、Aヨ−ロッパ議会の議員定数や閣僚理事会での議決権数の是正問題、BEU委員会疑惑に示された裁量行政の是正と権限の明確化等の課題が。

(2)失業問題

 シュレ−ダ−の対策は「技術革新を通じて産業・経済構造をハイテク中心・ソフト型に変え、中・東欧などヨ−ロッパ各地との国際分業を通じて国際競争力を取り戻すという」正攻法。前提としての労使協調と政府の支援、且つ時間が必要。労使・政府協議で、雇用創出の具体策として@付帯的貸金コストの引下げ、Aジョブシェアリングや労働時間の弾力化、B企業、特に中堅・中小企業税制の改革、C技術革新、競争力の改善、E雇用拡大のための賃金政策、Eベンチャ−キャピタルの改善等の12項目を提示し、個別作業グループが設置された。

 しかし、現実は、企業が十分な雇用機会を提供できず、労組は従来の既得権に固執する形で、ドイツ的労使関係に変化が現れている。労働の概念自体が変化している現在、新たな労使関係構築が必要であり、この結果によってはドイツ的コンセンサス社会が崩れる懸念も。コンセンサス社会の象徴であった共同決定法に対しても、経営側は意思決定の遅延を問題とし、またEUレベルでは欧州統合の妨げとの声も。

(3)経済活動の基盤整備

 そもそも反競争制限法は日本の独占禁止法に比べても緩いが、これもドイツ一国から、EU規模での判断に移行、再編を促す誘因に。クルップ・ティッセン統合、バイエリッシュ・フェラインズとヒポ、百貨店業界のメトロ・カウフホッフ、シケダンツ・カールシュタット、そしてダイムラー・クライスラー等の動きヘ。

 自由主義的提言の多い経済諮問機関、五賢人委員会への、ケインズ主義者ラフォンテーヌの介入と挫折は移行期の一挿話。

(4)グロ−バル化と環境

 グロ−バル化への衝撃としてのダイムラー・クライスラー。ドイツの従来の四大産業である自動車、化学、電機・電子、機械のうち、特に電機・電子が見劣り(ジーメンスの苦戦)。
環境問題についての基本的コンセンサスは確立。各論の世界ヘ。環境税導入と競争力問題。ドイツでの第一歩としての石油税増税と電力消費への新規謀税。他方、地域ベ−スで導入された包装税や廃棄物税への違憲判決(財産権侵害)。「緑の点」は相対的には成功したが、光化学スモッグ時の自動車の走行禁止措置はザル法。連邦統計局による環境経済計算の発表。「労働コストが高すぎる一方、環境が安すぎる」との議論も。

読了:1999年8月14日