ドイツ復活のドラマ 統一と危機の5年間
著者:D.マ−シュ
「新しいドイツ」、そして第三章で紹介する「ドイツ連銀の謎」と、一般的に単純なドイツ嫌いの多い英国人(特にサッチャ−はその典型であった)の中にあって、ドイツ的システムに内在的な共感を示す著作を発表してきた著者が、前2作の続編として統一から約5年間のドイツの変貌を論じた作品である。言うまでもなく、ドイツ統一自体が「欧州の中のドイツ」を高らかに歌い上げることで可能になったにもかかわらず、皮肉なことに、そうして達成された統一がこの理念の実現を一層困難にしてしまった。それはこの理念を実現するためのシステムである欧州連合、なかんずく欧州統一通貨の導入が、統一に伴うドイツの財政悪化とそれに続く景気低迷を主因とした危機に瀕しているという現状に端的に示されている。こうした状況は再び欧州における「ドイツ問題」ヘの真剣な対応を余儀なくさせる。統一によって発生した問題を著者の記述を参考に、私なりに整理すると、以下のとおりとなる。
(1)統一によるドイツの政治的混乱
戦後ドイツは奇跡の復興により生産力を拡大したが、過去の歴史と異なり戦後ドイツはそれを政治力、軍事力による周辺諸国への拡張に結びつけることはしなかった。「社会的市場経済」の下で、ドイツはその蓄積を資本の自己増殖に任せるのではなく、民生的社会資本の蓄積に使用した。これが西独国民の生活水準を向上させ、むしろイタリア病とさえ言われるドイツ社会とドイツ人の変質を促したのである。こうした経済力に支えられた政治の安定が、冷戦により分断されたドイツ国家の西側に、国民としてのアイデンティティ−を形成したのである。しかしながら、壁の崩壊に続くドイツ統一は、当初のバラ色の期待が消滅した後で、かつての分断をより両側のドイツ人に意識させるようになった。オッシ−/ウエッシーと呼ばれる呼称が、東の劣等感と西の被害者意識を物語ることになる。
(2)統一によるドイツの経済/財政問題
統一を保障したのは西独の経済力だった。年間1500億マルクにのぼる財政支出と補助金が、旧西独人が渋る中、旧東側支援のために投入された。この資金は増税と国債増発により賄われた(統一後5年間の借入総額は、分裂国家としての40年間の借入総額を上回る)が、OECDレポートによると、この現金の3/4は資本投資ではなく、収入と消費の維持(そして失業給付)に費やされたという。それは西側の所得を減少させたが、東側の経済を復活させるには不十分であった。しかも統一以前から既にドイツのコンセンサス重視の経済・政治運営が、国内の福祉国家への要求の高まり及び国際面での米国、アジア諸国との技術革新/コスト競争と規制緩和による経済的挑戦に曝され、構造転換を迫られていたのであった。
今後ドイツ経済に重くのしかかる問題として、@高賃金、A生産性低下、Bマルク高、C労働時間減少、D輸出の低迷、E東欧地域との低価格競争、F財政赤字と税負担の急増、G増加する社会保障負担(老齢人口の増加)、そしてH技術革新の遅れといった諸点が挙げられる。
(3)ドイツ統一によるEU経済の困難
ドイツ統一についての西欧諸国の同意を取りつけるためにドイツ政府は、EC内のより貧しい地域向けの経済援助を増大させ、従来以上の熱意で欧州統合に取り組むことを約束した。周辺諸国にとっては、欧州統合の真意は、統一通貨の導入により連銀の金融支配力を減少させることにあったが、統一後のドイツ経済の悪化はこうした約束を事実上実行不可能にしてしまった。そして見方によっては、ボン政府はこれを十分予見した上で譲歩したと言えなくはないのである(マルクを統一の最大の道具として使用したことが、旧東独経済の崩壊を決定的にすると共に、後のEMS分裂の遠因となった)。
(4)ドイツ統一による周辺諸国の困惑・混乱
英国は90年代初頭の景気後退が、冷戦時に英国が果たしていた欧州の後見人としての役割の終焉と並行して進んだためにより大きな自信喪失を味わった。サッチャ−の辞任は、英国が戦後果たした役割が終わったことを象徴していた。ERMに参加しポンドをマルクに連動させるメジャ−の経済政策は1992年9月、ドイツ連銀の高金利政策の直撃を受けて崩壊。英国に、独仏主導のEUという不安を再確認させた。またEUにおけるフランスの政治指導力も、統一ドイツの登場により不安定化する。1993年のフラン安は、欧州の通貨がドイツ連銀の支配下にあることを認識させた。そしてイタリアにおいては、ドイツ統一を契機とする冷戦の終結が戦後この国を支配してきた政治と政党構造を破壊した。
ドイツ統一が引き起こした財政不均衡と歳入の伴わない財政の大盤振舞いが如何に金融政策を苦しめるかを身をもって体験したドイツ、なかんずくドイツ連銀が、今後欧州通貨統合に対して慎重になるのは当然である。国民の中にもマルクが消滅し、EU内貧困国の負担を担い、且つEUが独立性の強い連邦各州の利益に干渉するのではないかとの懸念が大きくなっている。しかしH.シュミットが看破したように、通貨統合により西側に縛られない限り、マルクの力はドイツの力となりECのバランスを崩し、最終的にはドイツヘの悪しき圧力となり跳ね返るであろう。その意味で国家統一とEU統合という2つの大事業を抱えたドイツの今後の展開は間違いなく欧州の将来に大きな影響を及ぼすことになる。著者が「ドイツが最優先しなければならないのは89、90年に開始された国家統一のプロセスを結実させること」であり「ドイツ統一をヨ−ロッパ統一に優先させるのがドイツの指導者の役割である」と述べているのは確かに卓見である。そしてその運命は、戦後の経済的安定により支えられてきたが故に、今後のマルクを巡る政治と金融政策の緊張から生まれてくるであろうことも疑いのないところである。私が日常的に追いかけている市場の動きもこうした観点から見ることによって、大きな歴史の転換を目撃する契機となるのではないだろうか、と考えるのはなかなか刺激的である。
読了:1996年2月4日