新生ドイツの挑戦
著者:熊谷徹
昨年読んだ「ドイツの憂鬱」に続く著者のドイツ・レポ−トの第2弾。昨年の著書と同様、今回のレポ−トも主要部分は、ネオナチ問題とシュタ−ジ問題に割かれている。テ−マやその解釈自体は、ありふれたものが多いが、ジャ−ナリスト的行動力で、ただちに関係者に取材を行い、生の声を伝えている点は十分評価できる。
第一章の「亡霊との戦い」は、ネオナチ問題の現状とそれに対する戦いのルポであるが、第三節で紹介する1985年のヴァイツゼッカ−演説を念頭に置くと、それは理想主義と現実の緊張関係をより切実に物語るものになっている。
ネオナチの引き起こした事件の中でも、1992年9月の旧東独ザクセンハウゼン難民収容所の放火事件、1992年11月のメルンでのトルコ人住宅の放火、殺人事件は最も悲惨で、且つ社会的な反響を引き起こしたものであった。この現場を訪れた著者は、この問題の背景を探る取材を開始する。難民、移民問題は、1992年8月、騒乱の嵐が吹き荒れたロストックの状況が象徴している。一ヶ月後のホイエルスベルダ事件と同様、難民を襲うネオナチ・グル−プの暴挙に対し、一般庶民が、傍観するのみならず、声援さえも送ったのはなぜか。
そこには、東西の壁の崩壊後、東欧諸国で拡がった、「人間直送便」と呼ぱれる難民輪送の商売があり、それは、ナチの暴政への贖罪として憲法で難民受入れを保障しているドイツの善意を盾に取った現実からのしっぺ返しであった。ある難民キャンプの国籍構成で、ル−マニア人が圧倒的に多いのはそれを物語っている(以下、旧ユ−ゴ、ベトナム、アフガン、イラクと続く)。ホテル建設と難民キャンプを巡る地元と州政府の争い、1992年10月段階で、1145マルクという難民の月手当(3人家族の場合)を巡る議論、といった具体的紛争事例や実務的議論を受け、結局連邦政府も1993年5月、亡命申請者の流入を制限する憲法改正を実施したのはまだ我々の記憶に新しいが、それでも旧東独における不安定な生活基盤と冷戦後の価値観の崩壊という、より根本的な問題の解決には時間を要するのは明らかである。
「第二の過去」との対決、と題した二章では、旧東独に於ける社会主義政権の遣産との戦いが報告される。旧西独が、徹底的にナチの遺産と取り組んだようには、旧東独は対応しなかった。ナチと資本主義とは同義語であり、その意味で、資本主義への回帰は、ナチズムに対する中途半端な反省しかもたらさない。東独国民はその上、今度は社会主義政権下の独裁の克服を強いられるという二重構造を甘受しなけれぱならないのである。著者はまず、壁の崩れる直前に、それを越えようとした息子を射殺され、それを機会に「社会主義政権の犯罪」の告発に目覚めていった女性のルポを報告している。末端で殺人を行う兵士とそれに指令を下す指導者たち。しかし、そこには国家犯罪をいかに裁くかという難問が待ち構えている。「社会主義を裁くニュ−ルンベルク裁判」というホ−ネッカ−自らによる規定が、この裁判の難しさを物語っている。
旧東独社会主義の克服のための次なる難問は、シュタ−ジ問題である。著者は、1992年1月に公開された、所謂「シュタ−ジ文書」により明らかになる国家犯罪と、またその解明上の困難を幾つかの事例で報告する。老作家ハイドウチェクのケ−スは、現実のシュタ−ジの活動を明らかにすると共に、隣人がシュタ−ジ協力者であったことを知った者の悲しみをももたらす。旧東独プロテスタント教会指導者にして、現ブランデンブルク州首相のシュトルペのケースは、シュタ−ジヘの協力と民主主義者としての政治的影響力が、紙一重であることを示している。そして政治犯として旧東独の刑務所に収容されていたシュミットのケ−スも含め、これらの事例は、今後ドイツ国民全体が、ナチの遺産と共にこの社会主義の遺産をも克服していかなけれぱならないこと、そして特に後者は前者以上に困難なものであることを物語っているのである。
その他、著者は欧州政治・経済統合を巡る、ドイツの経済学者、産業界、連銀等の慎重論や、ボスニア紛争、ロシア問題を巡るドイツ知識人達のコメントを紹介しているが、ネオナチやシュタ−ジ問題を含め著者の問題意識は、一般に言われているものばかりであり、新たな問題提起や、理論的な分析はほとんど無い。しかし、こうしたドイツ情勢の常識に属することを、実際にルポし、具体的なケ−スで報告しているところがこの本の価値になっている、と言える。その意味で私よりも若いこのジャ−ナリストの好奇心には頭の下がる思いを感じざるを得ないと共に、現在のドイツに於ける社会問題についての実感を共有することができた書物であった。
読了:1993年8月7日