EU盟主・ドイツの失墜
著者:手塚 和彰
1941年生まれで、2011年から2013年まで、国際交流基金ケルン日本文化会館館長を務めた大学教授・弁護士による、最近のドイツとそれを巡る欧州・世界情勢についての著作である。ケルン日本文化会館館長というと、かつて大学でドイツ語を教わった小塩節(彼の在職は1986年―1988年)の名前が懐かしく思い出されるが、彼の作品としては、この書評に掲載している「トーマス・マンとドイツの時代」の他に、ケルン滞在時の随想集を読んだ記憶がある。その小塩の随想では、ドイツ文学者として、ドイツの文化的断片を中心に記載されていたと思うが、この著者は、労働法や外人労働者問題の専門家のようで、ドイツを見る視点も、最近時の難民・移民問題などを中心に、主として政治・経済面を論じている。書名は、「ドイツの失墜」とややドッキリするが、実際の内容は、統計データも随所に散りばめながら、冷静に現在のドイツを巡る問題を論じている。
そうは言いながらも、やはり、ここ10年強で、欧州や世界で存在感を増したドイツが、大きな転換点に立っていることは間違いない。特に2005年に首相に就任して以来、経済の好調にも支えられ、事実上の「EUの盟主・女帝」として現在まで長期政権を担ってきたメルケルの政策に対する批判、なかんずく2015年9月のシリア移民無制限受入れ宣言以降拡大した移民反対運動や、それも要因のひとつと考えられる英国によるBREXIT等、その指導力が、ここにきて急速に衰えていることが、ドイツや欧州の今後に影を投げかけている。
その主要な問題である移民の大量流入とそれに対するドイツや欧州の対応から議論が始まる。上記のとおり、メルケルの2015年9月のシリア移民無制限受入れ宣言が、欧州を目指す難民の増大に繋がることになり、ドイツでは流入の窓口となるバイエルン州、そして英国をはじめとする難民受入れに消極的な国や、国内外の右翼勢力からの批判が拡大する。これに対しメルケルは、ただ手をこまねいていた訳ではなく、難民を、少子化で不足しつつある労働力として、ドイツ語習得義務等を付して社会に統合させることを意図した「難民統合法」(2016年5月、大連立政権内で合意)等、それなりの対応を行っているが、結果的にはメルケルの求心力の低下に繋がっているとされる。
著者は、「移民国家」としてのドイツの歴史について説明しているが、これはかつて私が90年代にこの国に滞在していた時に実感したものである。当時はトルコ系移民が人口的に最大で、特に私が住んでいたフランクフルトではトルコ人が目立ったものだった。そして、東西統合のバブルがはじけ、景気が急速に後退していた時期であったこともあり、そうしたトルコ人や、旧東独に残っていたベトナム人へのテロや嫌がらせ事件が頻繁に報道されていた。その後のドイツ経済の安定と共に、こうした動きはいったん沈静化したものの、シリアやアフリカ難民の急増により、今度は、その問題がEU全体を巻き込む形で表面化することになった訳である。その分析については、先に読んだ「欧州ポピュリズム」で、より説得力ある形で提示されている。
ここでの著者の記載は、言わば一般的な移民問題の解説であるので、細部には入らないが、3つのタイプの移民(@EU拡大過程で、UE他国から受入れた移民、A高度の技術や技能を持つ移民、B難民。それに、著者は触れていないが、C従来からのトルコや地中海諸国からの移民が加わることになろう)に対する基本政策が、「定住・永住と国籍付与が前提となるように」大きく変わったのは2000年であったという点は確認しておこう。
1991年に読んだD.マーシュのドイツ本に記載されている1980年代末の移民数は、トルコ系150万人をトップに、計430万人。今回著者が引用している2014年末の移民数は、旧東欧諸国(ポーランド、ルーマニア等)からの移民計367万人に、トルコ、シリア等EU外からの移民448万人を加え、総数815万人となっている。内容的には、トルコ人が相変わらず150万人であるのに対し、旧東欧諸国、そしてシリア(11万人。前年の6万人から粗倍増)からの移民が増え続けていることが分かる。こうした中で、「移民の住む都市部で、地域的な連帯や民族的な社会同一性が損なわれる」状況が益々先鋭化していることは容易に想像される。また移民問題とは別に、好調なドイツ経済の下でも格差問題は深刻化しており、貧困層の増加も止まっていないという状況も注目すべきであろう。
EU内外の近隣諸国との関係やメルケルの人となりについての記載は省略し、「戦後ドイツと戦争責任」について、少しコメントしておこう。著者は、日本でよく言われる、「ドイツが戦後補償をきちんと行ったのに対し、日本は不十分である」という議論が妥当ではない、としている。著者によれば、「ユダヤ人に対するホロコースト(大量虐殺)に対しては、かなりの補償」を行い(1956年9月制定の「ナチ被害者のための連邦補償法」)、「ユダヤ人、ロマ(いわゆるジプシー)等の大量虐殺の責任は確かに認めている」が、「ドイツに侵攻された国への補償は、(中略)事実上棚上げにされたままであり、平和条約の締結もなされていない」(1952年の西ドイツ独立の取り決め(ボン協定)の中で、占領地や併合して自国とした地からの民間人の強制連行・徴用、強制労働についてのドイツ交戦諸国からの賠償要求は、最終決定に至らず延期される)という。そしてドイツに占領された国からの補償要求がなくなったわけではないとして、ユーロ通貨危機の最中、ギリシャの外相が提起した第二次大戦時の残虐行為(ディストモ村の悲劇)の補償要求とギリシャのゲーテ・インスティテュートの建物の差し押さえや、ギリシャの裁判所による約33億円の支払い判決に触れている。これに対してはドイツ側は支払いを拒否しているが、これはまさに最近の韓国による、戦時中の日本企業の韓国人強制徴用についての裁判所の判決と韓国内資産の差し押さえの事例とまったく同様のケースである。同様にドイツは、ポーランドやウクライナ、ベラルーシなどの東欧諸国との火種も抱えているが、とりあえずはこれらの国も「ドイツの圧倒的な経済力の前に、この問題の解決を引き延ばしている」だけであるという。
こうした事例に触れると、結局のところこうした「過去の遺産」は決して「最終解決」されることはなく、何らかの政治要因が発生すると、「被害国」はそれをいつでも持ち出してくることになる。従って、それが表面化するかどうかは、一般的な政治関係による、としか言いようがない。ドイツは、強大な経済力で、それらの国に恩恵を与えているために、そうした主張が表面化しないが、ギリシャの場合は、ドイツからの財政健全化要求への対抗措置としてこれを持ちだした。そして韓国の場合は、日本との関係を軽視する文政権であるが故に、そうした主張が声高に繰り返されるのである。それを止める決定的な手段はない、というのが残念な結論である。
最後に著者は、今後の日本―ドイツ関係を論じている。もちろん、明治の近代化の過程で、日本はドイツから多くを学び(私の現在の勤務先が、ドイツの機関を真似て設立されたことにも触れられている)、また第二次大戦後は同じ敗戦国として再建に励み、高度経済成長を成し遂げたという共通点があることは言うまでもない。
しかし、現在両国は、まさに経済面でライバルとして凌ぎを削る関係にあり、決して最良の状態にある訳ではない。特に中国市場を巡っては熾烈な競争関係にあり、それが外交面でのドイツによる中国接近の理由になっている。またドイツでの「官民一体で自国製造業の競争力を維持発展させる政策」(インダストリー4.0)もそれなりに機能しているというのは、日本にとっては要注意である。ただ反面、受注競争の一商品である高速鉄道(ICE)の国内でのサービス事情はお粗末で、またルフトハンザやドイツ銀行のような名門企業の凋落も著しい。そうした中で、ドイツにおいても、不公正貿易取引(例えば、鉄鋼の過剰生産とダンピング輸出)や知的所有権の窃取など、中国との関係に懐疑的な姿勢も強まっている。こうした両面を如何に調整しながら、今後の日独関係を作っていくかは重要な課題である。著者は米国トランプ政権による中国に対する厳しい政策を受け、「ドイツと中国の蜜月は終わりつつある」と結んでいるが、それがそのまま日独関係の強化に繋がるかは全く分からない。かつてこの国の哲学や文学に傾倒し、7年弱の滞在時には、それを育んだ空気を実感したこの国は、私の帰国後20年経過し、また大きく変わろうとしている。その過渡期を改めて実感させる最新のドイツ論であった。
読了:2019年3月21日