アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第二節 ドイツ統一とその後
ドイツ統一
著者:アンドレアス・レダー 
 やはり帰国直後に購入した、本年9月の新刊書である。何で今「ドイツ統一」なのか、と思いながら懐かしさのあまり購入したが、考えてみれば、まさに明日(10月3日)が、ドイツ統一30周年記念日である。私自身の本格的な書評活動は、その翌年1991年、統一直後のドイツでの勤務から始まったこともあり、これはその後の私の主要な課題となり、多くの関連本に接してきた。その後、ドイツ、あるいは欧州から物理的に遠ざかり、関心はアジアに移っていたものの、この関連本にも時々接してきた。もちろん、今や欧州への主要関心は、かつての滞在時のような、ドイツ統一の余韻の中での欧州統合の進化ではなく、むしろ欧州統合の求心力低下とナショナリズムの再興に移っている。ただそうした中でも、当然ながら現在の欧州を見る上での一つの原点でもあるこのドイツ統一という歴史を、もう一回このタイミングで眺めてみるのも良いだろう。尚、本書の訳者である板橋拓己については、2014年に、アデナウアーについての新書を読んでいる(別掲)。

 原著は、2011年に初版が刊行され、その後何回か版が重ねられ、補筆改定が行われているということであるが、本書は2010年の最新刊を基にした訳書である。当然ながら、ドイツ統一後以降30年間で新たに公開された資料や研究、見解も参考にした最新の見方ということであろうが、私の印象としては、それほど大きく以前からの見方を変えるものではない。ソ連での経済危機とゴルバチョフによる改革が、東ドイツを含めたコメコン衛星諸国の市民革命を呼び覚ますが、東ドイツの場合は、国としての存続根拠が、「社会主義体制」のみであったことから、二つのドイツを隔てていた壁の崩壊へと連なり、その市民革命が二つのドイツの統合という動きに連なっていく。その際、当初は、東西方法の政治指導者は、漸進的な統合を模索していたが、東独市民の西独移住といった社会の大きな流れの中で、不可避的にいっきの統合まで突き進んでいったこと、またその際にソ連(ゴルバチョフ)や米英仏などの西側諸国の指導者も、統合への加速を認めざるを得なかったこと。しかし、そうした性急な統合は、特に統合後の経済問題を過小評価しており、特に統合後東ドイツ地域の経済社会に厳しい試練を与えることになったこと等々。あえて、この本で、従来の見方と異なる解釈を挙げるとすれば、@統一ドイツのNATO残留については、1990年7月の、コーカサスでのコールとゴルバチョフの会談で解決したとされている(「コーカサスの神話」)が、実際はそれ以前、同年5月のブッシュとゴルバチョフ対談で「突破」が成し遂げられていた=ドイツ統一は米国ブッシュ政権の全面支援が最も大きな要因であった、という見方と、Aコールが、ドイツ統一を認めてもらうために、欧州通貨同盟(ユーロ)を承認した=マルクの放棄を行った、という見解につき、これは「すでに再統一前から始動していた枠組みの中で生じた」譲歩である、といった程度である。しかし、@については、歴史的事件が常にそうであるように、それが大きな要因の一つであったとはいえ、それが全てではなく、本書でも書かれている多くの複合的要因の帰結であるのは当然であり、またAについては、欧州諸国、特にフランスにドイツ統一を認めさせる代償として「マルク放棄」があったという私の従来からの見方を変えるほどの説得力はない。その意味では、この本は、私がかつて追いかけた歴史的事件をノスタルジックに復習する素材に過ぎなかったとも言える。それにも関わらず、明日の30周年記念日は、感傷的に迎えたいというのが今の気持ちである。

 巻末の訳者による関連参考図書を見ると、一冊を除き、私が読んだ作品は挙げられていない。またここでも挙げられているゴルバチョフ関係の著作は、今まで何度か読もうと思いながら、あえて「過去の人」に時間を割く必要はない、と考えていたが、やはり幾つかは目を通した方が良さそうである。昨日からまさに始まったばかりの「引退」生活をどのように送るかを考える中で、「どの本から手を付けていくか」も大きな課題になりそうである。

読了:2020年10月2日