愛国とナチの間
著者:高野 弦
1966年生まれで、2016年から2019年まで朝日新聞ベルリン支局長を務めた記者によるドイツ報告で、出版は2010年10月。新しいところでは、コロナへの対応も含め、その年の夏頃までの状況も一部挿入されているが、やはり主要なテーマは、著者のドイツ滞在時の課題であり、それを@台頭する右翼政党AfD、Aメルケル時代の総括、Bポスト・メルケルの候補者たち、そしてCドイツに滞在する難民たちの4つにまとめている。しかし、最近の状況を見ると、この本の出版後わずか1年で、特にポスト・メルケルの候補者たちを巡る評価は大きく変わっている。かくもコロナ以降、ドイツ国内の雰囲気は変化したということなのだろうか?個人的には、ここ数年、ドイツについてはメディアの情報に断片的に接することしかなかったが、この本である程度まとまった姿に触れることが出来た。しかしミクロの動きはもっと目まぐるしく動いているということであろう。
まず右翼政党AfDであるが、「戦後のドイツが否定し続けてきたナショナリズムの再興を掲げる政党で、シリアの内戦激化をきっかけに多くの難民が押し寄せた5年ほど前(2015年頃)から急速に支持を集めてきた」。確かに、欧米諸国での「自国第一主義」の拡大傾向が強まる中、ドイツにおいても、難民排斥を掲げる右翼政党の台頭はいろいろなメディアで報道されていた。これは、私がこの国に滞在していた1990年代にも発生した、壁の崩壊に伴う外人労働者の流入拡大を受けたネオナチの台頭を想起させる、この国では間欠的に起こる右傾化と考えることが出来る。しかし、ネオナチ運動などに比較すると、AfDはより洗練された政治勢力で、2020年2月、チューリンゲン州の総選挙では第二党に躍進。連邦政府を担うCDUの地方支部が、このAfDと組み首相を任命するに至る。この動きはメルケル率いるCDU本部を激怒させ、その連立は崩壊することになったというが、AfDの力を見せつけることになる。著者は、2013年、この政党がハンブルグ大学の経済学者であったルッケらにより、「反ユーロ」を旗印に立ち上がったが、その後2015年以降、シリア難民の流入を受けて指導者が変わり、「反難民」問題に軸足を移し、その後の難民による犯罪やテロを受け、支持を拡大していったことを報告している。著者は、このAfDを支持する一般市民や党の指導者たちを取材しているが、前者は、必ずしも難民の脅威を感じている人々ではなく、むしろ現政権の支援が届いていない人々による既存政党からの支持替えであり、また後者も普通のインテリが多いという。そして後者の基本的な姿勢は、「愛国」あるいは「ドイツ的価値」の保持、そしてドイツが戦後一貫して抱いてきた「自虐史観」への批判であり、民主主義的な制度を否定するものではないという。しかし、こうした愛国主義、自国文化、共同体への愛着が、排外主義やファシズム(全体主義)に転じることがないとは断言することが出来ない、と著者は指摘することになる。
続いて、約16年に渡ったメルケル政権の総括である。彼女を引き上げたコールに並ぶ長期政権となったメルケル時代は、まさにドイツが控えめながら欧州の盟主の地位を確立していった時代であると言っても過言ではない。他方で、CDUという保守政党を率いながら、具体的な政策では、徴兵制の廃止、脱原発、ドイツの財政力を担保にしたユーロの救済、そして極めつけは2015年9月以降、シリアなどからやってきた大量の移民の受入れといったリベラル左派的な方向を打ち出していった。著者は、これらはSPDや緑の党との連立を巡る妥協というリアリストとしてのメルケルの政治力を示すことになり長期政権を可能にしたが、同時にそれにより有権者の選択肢を狭めてしまったと評価している。
こうしたメルケルのリベラル方向への傾斜の要因につき、「牧師だった父親の影響や、自由な生活に憧れて育った旧東独時代の経験」とみるか、「風見鶏的な狡猾さや権力欲」とみるかで見解は分かれるが、著者は、恐らくこの中間にあるとしてメルケルの生い立ちから、CDU党員となり、そこでのし上がっていく過程を含め、現在までの彼女の動きをまとめている。この辺りは良く知られている話が多いので、詳細は省くが、「日和見的」とも言える政策転換はあるものの、難民受入れに見られる「人間の尊厳」の重視と、トランプとの軋轢に見られる「国際連携」への信頼は、彼女のぶれることのないよりどころであったことは間違いない。しかし、そのメルケルは、2018年10月、党首の辞任と3年後(2021年)の首相任期終了以降は政治活動から引退することを表明し、後継を巡る動きがにわかに注目されることになる。
この辺りの動きは、私は新聞で断片的に目にしていただけだったので、今回この本で詳しい経緯を知ることになった。まずは2017年9月の総選挙でCDU・CSU(同盟)は第一党となった(AfDが第三党に躍進)ものの、連立交渉が二転三転し、6か月の政治空白ができたこと、続いて2018年夏、難民の受入れを巡っての慎重派バイエルン州CSU党首ゼーホーファーとメルケルの間での内紛が生じたことで同盟に対する有権者の支持が離れたこと。そしてその結果として2018年9月のヘッセン州とバイエルン州での州議会選挙で大きな後退を余儀なくされたことがメルケルの辞意に繋がったとされている。どこの国でもあるように、CDU党内では、かつて党首も務めたが首相の座をメルケルに奪われた重鎮ショイブレ連邦議会議長らの「メルケルおろし」もあったという。
しかし、メルケルの辞任表明後も、後継者選びは迷走することになる。まず2018年12月に行われた(1971年以来の)党首選挙で、メルケルの信認が熱い、A.クランプカレンバアーが、保守派ショイブレらが推すF.メルツに薄氷の差で勝利するものの、敬虔なカトリック教徒でもある彼女は、同性愛者やネットでの批判を巡り失言を繰り返し、そして最後は、冒頭にも紹介された2020年2月のチューリンゲン州での、CDUとAfDの連立を阻止できなかった責任を問われて、僅か1年ちょっとで辞任表明に追い込まれることになる。このニュースを新聞で読んだ当時、私も何が起こっているのか全く把握できなかったが、今回その経緯を知ることになった。そしてクランプカレンバアーは党首を務めているが、次期首相レースからは脱落する。そしてこの時点で残ったのは、CDUでは保守派のメルツ、国内最大州であるノルトライン・ウェストファーレン州首相で「メルケルに忠実」と言われるラシェット、やや遅れて第二次メルケル内閣の環境相で「フクシマ後の脱原発に尽力した」レットゲン、そしてラシェットと共闘しているが彼とは異なる党内右派のシュバーン(同性愛者でイスラーム嫌い)。更にCSU党首でバイエルン州首相のゼーダー(イスラム教や難民に対してはタカ派)といった面々である。またこの本の時点では、AfDと並び伝統的な二大政党の票を奪っている緑の党の共同党首であり、党内では現実派のハーベックとベーアボックの名前も挙がっている。ハーベックは、カミュを愛読し、ハーバーマスの「憲法愛国主義」を信奉しているという。他方SPDは、「2017年から3年の間に暫定を含めて5度も党首が変わり」、また労働組合の弱体化やシュレーダー政権時代の労働市場改革が労働者の反発を受け、一部の党員が旧東独の流れをくむ左派党を結成するなどの動きの中で弱体化しているという。2005年から3度にわたる同盟との連立を組んだことも、この党の存在感を弱めることになったという。
しかし、まさに今月末(9月26日)に迫った連邦議会選挙を前に、足元の新聞に寄せられた寄稿によると、この雰囲気は大きく変わっているという。これまでは、上記の通りCDUとの大連立で存在感を失ったSPDは確実に敗戦し、CDUに対抗できるのは緑の党のベーアボックと言われていた。しかし最新の世論調査によると、むしろSPDが他党を大きくリードしているという。メルケルが後継として支援するラチェットは、多くの失策を犯し、CDUの支持率は過去最低に落ち込んでいる。CSUのゼーダーを擁立するには時間がなく、緑の党のベーアボックも精力的に動いたが経験不足を露呈し失速。代わりに評価を上げているのが、現在の連立政権の財務相を務めているSPD党首のショルツだという。「有能で手堅く、適度に退屈」なショルツは、むしろ「メルケル路線を継承する安全第一の候補」として売り込むのに成功しているというのである。またAfDに関しては全く触れられていない。いやいや政治の世界は「一寸先は闇」。これまた間近に迫っている日本の自民党総裁選と同様に、ドイツの今月末の結果も、事前の予想を覆すものになるのかもしれない。それはそれとして、少なくともこのドイツ国内の雰囲気は、この本で十分認識することができた。
この本の最後は、移民問題で締めくくられるが、これについては、私がこの国に滞在していた1990年代と基本的に大きな変化はない。戦後の労働力不足から受け入れた難民が定着するが、彼らの文化的差異を毛嫌いする人々はどうしても残る。そして憲法で庇護権を明記するドイツは、その後もレバノン内戦等による難民を積極的に受け入れ、その労働機会も提供するべく尽力するが、彼らが作る「平行社会」に対する懸念はなくなることがなく、彼らが関わる事件が発生する度に、タカ派の議論が勢いを増す、という繰り返しが続くのである。介護業務を含めた労働力不足と、それを埋める移民労働者の社会への同化という課題は、日本もこれから直面する課題であるが、ドイツではこの問題が益々先鋭化していることは確かである。
ということで、ドイツの最近の動向、就中メルケル後継を巡る混沌とした状況とその背景を知ることができた点で、有難い報告であった。今月末に向けたこの国の動向に注目していきたい。
読了:2021年9月16日