アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第三節 政治家たち 
歴史の終わりか幕あけか
著者:R.v. ヴァイツゼッカ− 
 本書はドイツの良識ヴァイツゼッカ−が、大統領職にあった1992年、インタビュ−形式で自身の見識を披露したものである。政治的には何らの権限も有しないことから、ドイツの大統領は儀礼的な存在であり、マスコミの注目を浴びることはほとんどないが、歴代の大統領と比較すれば、彼はより多くの機会に社会的発言を行い、またデモを始めとする社会運動にも参加してきた。既にドイツに来て間もない頃読んだ前述の解説書等で、その率直な言葉に、戦後ドイツの理性を見た思いがしたことは記憶に新しい。その後、戦後50年の今日、日本とドイツの戦後の軌跡をテ−マとする書物や新聞記事を見るにつけ、その都度帰っていくのはこのヴァイツゼッカ−の演説であった。政治的な言葉による権威が余りに小さい日本と比較して、元首が言語のみにより権威を維持するドイツは、今まで何度も言及してきたように、戦後の復興で似たような経過を経た両国の現在を大きく分けてしまったように思われるが、それは欧州におけるロゴスの影響力の一般的反映というよりは、むしろこの人間の特殊な個性によっているのは間違いない。しかも、そのロゴスの中には、現代ドイツについての面白い分析がふんだんに詰め込まれている。この書物は、訳文はやや分かり難かったものの、それでも我々の見方を深めてくれる鋭い指摘に溢れている。今回も、この書物を頼りとし、自分の1995年現在のドイツの認識を整理してみよう。

 インタビュ−は3つのカテゴリ−に分かれるが、まず統一の評価と展望、次に戦後秩序の終焉とその中でのドイツ外交の試練、そして最後は「政党国家」と規定されるドイツの政体論である。それぞれを簡単に整理してみよう。

 統一の後遺症について従来から議論されているのは、束独再建の経済的負担と、それが東西ドイツの国民に異なって受け止められるという問題、それに起因する新たな精神的な東西対決あるいは全体主義国家への政治判決としてのシュタ−ジ問題等である。こうした問題に対し彼は以下のような論法で前向きの回答を出そうと試みる。即ち、ヴァイツゼッカ−自身がこれまで、東方政策に従事してきた過程でも、壁の存在は、むしろ生活感情としての「ドイツ人の一体感」を逆説的に示していたと感じており、壁が崩れた今その一体感はより強固になると共に、全欧州的な一体感に発展していかねばならない。旧東独の人々が、全体主義体制の下で私生活に逃避していたことを非難することはできないが、今や自由主義の下でドイツ人の一体感に触れることができるようになっており、これが現在広まっている東西の人々の精神的な溝を埋めることになるだろうし、そうしなければならない、と考えるのである。もちろん東側での市民社会の発展には時間がかかることは疑いない。しかし、基本法23条に基づいて性急な統一を実現したのは、懸念された移住者の群れや外交的要請を考慮すると己むを得なかったが、同時に「共に育つ、しかしはびこりはしない」ことが重要であり、「私たちが統一での連帯を本気で考えるなら、西での分配闘争は収入の増加よりも、収入の減少を防ぐことに専念しなければならない」のである。これは公共機関、労使双方、一般家庭の協力なくしては実現不可能であるが故に、新たな社会契約を必要とすることになる。

 「自分についての大量のシュタ−ジ文書を読んだあとで、前より抜け目がなくなったが、前より哀れになった。」(旧東独牧師エッペルマン)第2の戦後を迎えた旧東独でのSED体制総括問題は、依然ドイツ人全体にのしかかる問題である。SED体制は、明らかにナチと異なり戦争を引き起こした訳でもなければ、自由の抑圧の度合いも比較にならない位軽かった。またその体制は、民衆の意思で成立したものではなく、ある日突然占領軍により押しつけられたものであった。しかし「犯罪行為は特赦できるが、過去の全体とその結果の一切合財を特赦することはできない。」シュタ−ジ文書から政治的、法律的特徴を出すことは避けられないが、同時に過去の厄介な真実を知り、そこから人間相互間の安らぎを達成することも可能だ、とヴァイツゼッカ−は言う。シュタ−ジ文書の中から、旧東独で民主化過程で重要な役割を果たした者(例えば現ブランデンブルグ州首相のシュトルペ)のみならず、旧西独で東方政策を進めた有力政治家(例えばバ−ル)に対する疑惑が沸き上がる、といった事態が発生しているが、これはそもそもは、一方で「ハルシュタイン原則」で東独承認国との国交を断絶する一方で、東独との「地域間交易」、更には緊張緩和、平和政策を進めたドイツの外交の矛盾に起因するとも言えるものである。そしてこれは政治のみならず、人生にもよくあるジレンマであった。バイツゼッカ−は言う。「常に自らを道徳的批判に曝すべきだが、道徳的厳格主義に怯んではならない。」この言葉は、社会的に責任のある仕事を行う者にとって重要な示唆を含んでいるが、同時に個人的にも現在の私を大きく勇気付けてくれる言葉である。

 統一により強大になったドイツの欧州での位置付け、あるいはより広い世界情勢を踏まえたドイツの外交が次の大きなテ−マとなる。東西冷戦の終結に伴う、東側での民族対立の激化と覇者アメリカの内政的疲弊、イスラム原理主義の台頭による新たな世界的規模での宗教対立。こうした状況の変化の中でヴァイツゼッカ−がまず指摘するのは「ドイツの(ヨ−ロッパの)中央の位置からの解放」−言葉を変えれぱ「西側世界との徹底的な一体化」一である。もちろん彼は近時のドイツに対する批判一例えぱクロアチア独立問題での先走りに見られる東欧諸国への傲慢と、湾岸戦争で見られた重要な国際問題に対する消極的対応等を認識しているが、一方でこうした批判の持つ矛盾、例えば東欧諸国は一方でドイツからの投資を求め、他方でその行き過ぎには警戒的であるといった点一を指摘することもやぷさかではない。しかし、今日の問題の多く−核の安全性、遠距離通信、インフラストラクチャ−、経済とエコロジ−等−は国境の内側では解決困難でより広い国際協調を必要とするが故に、ドイツの地理的に変更不可能な「ヨ−ロッパの中央の位置」を、逆に「さまざまな問題の原因と解決策がもつ国際性を全方向にわたって同時に知るために利用していくこと」がドイツに求められているのである。インタビュア−は最近のドイツ外交の傲慢の例として、欧州議会でのドイツの議席増加要求、EC本部と欧州議会でのドイツ語の公用言語化、国連安保理での常任理事国要求、欧州中銀のフランクフルト誘致、連銀の金融政策、ユ−ゴ政策での独走等を挙げているが、確かにこうして並べてみると、大ドイツ主義が次第に出てきているかのような印象を受ける。これに対し彼は次のように答える。即ち、ここで指摘された個々の主張が自己目的にならないよう、またそう他者から受け止められないよう、具体的な問題−世界的人口過剰、経済的困難、社会的アンバランス、世界的な貧富の拡大、エコロジ−問題等に対する信念による貢献を行うことである、と。

 ECは引き続き彼にとってはドイツが依拠する一義的な枠組みである。戦前英国ウィルツシャ−での2カ月のホ−ムステイ中、あるいはフランスのグルノ−プルでの大学時代に、自分の故国が外国中から不信の念、更には憎悪の念を持って見られたという彼の個人的経験も、否応なく彼を欧州主義者にしている。しかしどこでもそうであるが、問題はこのバランスの取り方なのである。

 最後のテ−マは統一ドイツの国内政治システムの議論である。比例代表制中心のドイツの選挙システムでは、政治家は、政党の選挙リストで上位の指名を得るため政党上層部に従順になると共に、それ自体が目的化し、政党内外の競争者の撃退に多くの時間を使うことになる。そこで、国民の政治的意志はいかに体現されるのか、という議論は、統一の過程で、新憲法の制定問題も絡めて行われた。しかし、「憲法委員会」を設置し、西独型民主制を根本にまで遡って再点検しようという試みは、その政党国家を見直すという作業を当の政党に依頼するという、ドイツに限らず問題になる選挙制度改革に伴う自己矛盾に陥っている。それでもヴァイツゼッカ−は、より多くの市民が参加できるような選挙システムは可能であり、それにより、「あらゆる政治が政党政治化」している現在の状況を打破できる、と言う。もとよりドイツ戦後民主主義の模索の中で、学生運動による異議申し立てやそれに続くエコロジストらの市民運動が行われてきた。しかしベルリンの壁崩壊以降、政治と社会の間の一種の利益配分原則「権力の維持」対「祝福さの維持」の均衡がはっきりしてきたと言える。マルクス主義国家の崩壊はユ−トピアの終焉を改めて議論の俎上に乗せているが、いわゆる知識人は統一の激流に呑まれ明確の指針を示せないでいる。しかし、ヴァイツゼッカ−はチェコのハベルが求めたような「市民運動民主制」にもう一回期待をかけていく。もちろん先進西欧諸国が、この政治的民主主義と市場経済を手に入れたばかりの国の方法を簡単に取り入れる訳にはいかない。しかし、ここで彼が言っているのは、西側はまだまだ東側から学びとることを残している、という謙虚な気持ちなのである。

 議論は、自身の問題である大統領制のあり方といった論点にまで触れられており、その意味では、上述した問題を含め、個々の論点は高度に政治的なものも含んでいる。ヴァイツゼッカ−の対応は、こうしたデリケ−トな問題に、良く言えば公平に、悪く言えば当たり障りなく答えている、というのが私の正直な印象である。従って、この書物にイデオロギ−的指針を求めることは意味がない。しかし、他方で、政治的権力は持たなくとも、政治システムの中で元首として国家を代表している人間が、ある時は与党批判に近いところまで踏みこんで意見を言っているのも確かであり、こうした発言が許されるのは、ある意味ではヴァイツゼッカ−が国民の無言の権威を受けていることを物語っているのである。人格としては申し分ないドイツ前大統領がその職務を十分果たし、昨年6月任期終了により一私人に戻ったのはやや残念な感じもする。

読了:1995年2月16日