アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第三節 政治家たち 
世界最強の女帝 メルケルの謎             
著者:佐藤 伸行 
 メルケルは、確かに不思議な指導者である。演説などでカリスマ的な存在感がある訳ではないし、党内で特定の権力基盤を持っているようには思えない。しかし、それにも関わらず、まずは2005年9月、総選挙でのキリスト教民主同盟(CDU)の僅差の勝利を受けた社会民主党(SPD)との大連立政権で首相に就任すると、2009年9月(自由民主党(FDP)との連立)、2013年9月(SPDとの大連立)と2回の総選挙でも、結局首相の座を維持。その間、徐々に存在感を強め、今やこの本のタイトルのとおり、「世界最強の女帝」として欧州に君臨している。しかし、そうした異名を受ける現在も、その評価を鼻にかけるような素振りはまったくない。そして近年のリーマンショックやウクライナ危機、あるいは難民問題といった、政治・経済的な危機への実務的対応で、結局メルケルの意思が最後に通ることになり、その結果、益々実質的な存在感が高まることになっている。かつて、壁の崩壊からユーロ導入の大転換を現地で観察していた私にとっても、この時期、環境・自然保護・原子力安全相として閣僚入りしていたという彼女は、まさに眼中になかった。そのため、帰国後、統一とユーロの立役者であるコールから政権を奪った社会民主党のシュレーダーには注目していたが、彼を引き継いだメルケルは、全く未知の政治家であった。またその後、彼女の存在感が増してくる過程でも、彼女の政治判断についての情報はともかく、彼女自身についての情報はほとんど目にすることはなかった。旧東独出身の物理学者、というのが、これまでの私のメルケル個人に関する情報のほとんど全てであった。実際、著者によると、メルケル自身、あまり自分の私生活について語ることはなく、またその「伝記」も、数は限られているという。そうした情報から、改めてメルケルの私生活を含めた人となりと、その彼女が今や欧州に君臨している理由を分析した新書である。著者は、元時事通信の記者で、1990年代にハンブルグやベルリンに駐在していたとのことである。

 まず驚かされたのは、彼女に関わる私の限られた情報である「東独出身の物理学者」という点である。私は、彼女がもともと東独の出身であると考えていたが、実は、1954年7月に生まれた後、数週間の乳飲み子の時に、プロテスタントの神父である父親の「転勤」で、西独から東独に移住したということである。東から西への「大脱走」が起こる中、彼女の父親がそれとは反対に動いた、というのは驚きである。そして7年後の1961年、彼女が6−7歳の時に、壁が建設され、彼女は東独の中で成長することを運命付けられたということである。

 こうして最終的にベルリン近郊のテンプリンという小都市が彼女の故郷となるが、彼女の幼少期の生活はほとんど知られていないし、彼女も語らないようである。当然、東独で生き延びた父親や彼女自身のシュタージや当局との関係など、謎めいた部分も多く、他方で自分を表に出さず、判断を行うに際しても臆病なほどに慎重な彼女の性格は、東独での厳しい環境の中で育まれたことは想像に難くない(「真意を伝えることにあまり積極的でなく、重要な発言はいつもギリギリのタイミングを選ぶ」)。運動はからっきしダメであったが、学業成績は飛びぬけて抜群で、特に語学は、ロシア語弁論の全国大会で優勝するレベルであったという。そのロシア語で、後年プーチンと会談し、また英語もオバマなどと普通に話せるとのことである。他方、大学で物理学を専攻するが、その時代に一才年上の学生と結婚するが、それは「住宅の改善などの社会的利益を念頭に置いた」当時の東独学生の一般的な行動で、3−4年で破綻することになる。面白いのは、その後ヨヒアム・ザウアーという科学アカデミーの先輩量子化学者と再婚した彼女が、この最初の結婚相手の姓である「メルケル」を現在まで変えずに使っているという点(旧姓は「カスナー」という)。ただこれはドイツでは特段珍しいことではないようで、また再婚後、「ザウアー」を名乗るには、既に政界では「メルケル」で有名になっており、改姓する必要がなかったのではないか、とされている。

 物理学者としてエリートの道を歩んでいたメルケルが、突然政治の道に入るのは、ベルリンの壁崩壊の直後からである。壁崩壊を受けて、まず彼女は、東独に誕生した市民運動政党「民主的出発(DA)」のメンバーとなる。この小政党が、変遷を繰り返しながら、最終的に1990年、西のCDUと合併し、メルケルはCDUに籍を置くことになる。この時点でメルケルは、科学アカデミー物理化学中央研究所を退職し、プロ政治家として党の広報の仕事からそのキャリアーを始めることになる。メルケル35歳の時である。そしてそこから、彼女を引上げた政治家たちが次々に失脚していき、そのエネルギーを吸上げて彼女が上昇していくという「魔性の女」が誕生していくことになる。まずは、東独最後の首相となったデメジエールで、彼女は最初はその副報道官として、その後は彼の信頼を受け、側近として頭角を現す。そして1990年10月、ドイツ統一後は、今度は統一条約の東側首班であったギュンター・クラウゼに目をかけられ、彼の支援を受け1990年12月の統一後初の総選挙で、旧東独のメクレンブルグ=フォアポンメルン州から立候補し、当選。36歳にして統一ドイツの国会議員となる。その後、デメジエールはシュタージとの関係から、クラウゼも公費の不正使用等のスキャンダルから失脚するが、彼女は生き残り、今度は統一ドイツの宰相コールに取り入ることに成功、当選一回にしてコール内閣の女性・青年相に就任する。しかしコールとの出会いから9年後、そのコールも、メルケルの裏切り(コールの不正献金疑惑を受けて引退を迫る檄文)に会い、「泥まみれの失脚劇の中でとどめを刺される」ことになったということである。

 その後、前述のとおり、1994年の内閣改造で環境・自然保護・原子力安全相となるが、当初は「東からきた灰かぶり姫」などと陰口をたたかれ、公式の場でも多くの屈辱的な体験があった(閣議の最中に、自分の案がひっくり返され、衆目の面前で泣いたこともあったという)ようだが、「こうした苦境を経験することで、メルケルは政治家としての強靭さを養っていった。」そして私がドイツから帰国して3ヵ月後の1998年10月、シュレーダー率いる社会民主党政権が誕生し、メルケルも雌伏の時期に入る。

 この政権転換について、著者は統合のつけから、コール政権が信頼を失った結果であるとして、この時期ドイツが「欧州の病人」と言われながら、それにも関わらずユーロ導入に邁進する様子を振り返っているが、これはまさに私が滞在した時代のドイツの総括で、ある種感傷的になる記述である。ただ本書の関係では、選挙の敗北を受けて辞任したコールの後任党首としてショイブレが選任され、その彼がメルケルを幹事長に抜擢した、というのが重要である。ショイブレは、現在も財務相としてメルケルを支えているが、やはり自分が引き上げたメルケルにより、首相の芽を潰されることになる。その主因は、前述のコールの不正献金疑惑を巡るCDU内部での混乱であるが、コールは、メルケルの檄文をショイブレが裏で操っっていると考え、ショイブレを批判、それにショイブレが反論する形で両者の泥沼の論争となり、そこでショイブレも信任を失い、2002年1月党首を辞任。他方、混乱の中で世代交代を訴えたメルケルに党内若手を中心に支持が集まり、結果的に2002年4月の党首選挙で圧倒的な支持を受け党首に就任することになる(但し、その直後の総選挙では、首相候補はメルケルではなく、「紳士クラブ」に押されたバイエルン州の姉妹政党CSUのシュトイバーとなる。しかし、彼がSPDのシュレーダーに敗れたことで、またしてもメルケルは「時の恵み」を受けることになり、2005年9月の総選挙後の11月、「大連立」政権の首相に就任することになる。ドイツ初の女性宰相にして歴代最年少の51歳での就任であった)。この過程は、ドイツから帰国した私があまり追いかけていなかった部分であるが、今回この経緯を知ると、まさにこうした政治的な大混乱の中を生き延び、そしてライバルを蹴落として首相まで上り詰めたメルケルは、やはり非凡な政治的才能と幸運を持っていたと言うしかない。そしてこうした中で鍛えられた政治家としての資質が、首相就任後から現在に至る欧州規模での数々の困難な問題に対する彼女の対応になっていくのである。

 以降は、メルケル時代になってからの具体的な政策課題についての解説に入る。主要なテーマは外交、なかんずくドイツー中国関係と、ユーロ/難民問題を含む欧州統合の問題であるが、後者は多くの欧州統合論で議論されていることから、前者を中心に見ていくことにする。

 ドイツー中国関係のポイントは、就任直後は、自らの東独での経験から、中国に対し「人権」を掲げた外交を繰り広げていたが、中国との経済・貿易関係が深化する中で、それをたてに中国に揺すぶられ、その結果として「人権」の優先度がどんどん下がっていった、という点である。特に、メルケルが2007年9月、ベルリンでダライ・ラマと会談したことで中国が激昂し、最終的にドイツ側が「謝罪文」を提出、中国側がそれを受容れ、対中投資の受入れを容認するという「叩頭外交」の屈辱を受けた後、メルケルは「人権」を引っ込め、経済的な関係強化に割り切っていったとされる。言うまでもなく、ドイツー中国間には日本―中国間のような困難な外交課題はなく、経済面ではむしろ日本は、中国市場での経済競争での「敵」である。それがメルケルの就任から2015年10月までで、中国訪問数8回、そして日本は3回だけ、という外交儀礼上の差になっている。かつての「日独枢軸」関係は、いまや全くなく、むしろドイツ人が、戦争処理や原発問題で日本を冷ややかに見ていること、そしてそうしたドイツとの関係を、中国が、日本叩きのためのカードとして使っていること(但し、ドイツ側も、中国のこうした思惑には慎重に対応していることも、この本では触れられている)等は、以前に読んだ「ドイツ・リスク(別掲参照)」でも紹介されているとおりである。そしてその後のドイツー中国の経済関係強化は、昨今話題となっている中国の「一帯一路」を象徴する重慶―デュースブルグ間の戦略貨物輸送鉄道などでも顕著に示されることになっていることは言うまでもない。

 ドイツとその他欧米諸国との関係も、今や新たな時代に入っている。ここで面白いのは、「地味」が売りのメルケルは、派手なパフォーマンスを好まず、そのため、そうした傾向が強い米国のオバマやフランスのサルコジ、あるいはイタリアのベルルスコーニ等とは馬が合わない、という指摘。当然トランプもその典型であるので、先般のイタリアでのG7を受けて、メルケルが、「欧州が他国に頼れる時代は終わった」と発言した深層には、こうした彼女の感性があったと理解できる。またそもそも旧東独での生活を原体験としているメルケルにとっては、ソ連情報将校であったプーチンは警戒すべき対象であることもよく理解できる。それに対し、プーチンが、犬に噛まれた体験を持つメルケルを、公式の場で飼い犬を使って脅した、というのもひどい話である。しかし、著者によれば、「危機によって強くなる」のが「メルケルの法則」である。結局、対プーチンでも、彼女のロシア語力も含めて、彼と「切り込んだ話ができる」のは欧州の政治家の中では彼女だけ、ということで存在感を高める要因になっているという。プーチンとの相性はともかく、ロシアが引続きドイツにとって利害と愛憎が共存する隣国であることは間違いなく、ビスマルクがそうであったように、メルケルも引続き多くのファクターを上手に切り回さざるを得ない運命を抱えており、その意味での「ドイツ問題」の将来は、メルケルの手腕にかかっている。著者は、最後にこの「ドイツの欧州化」か「欧州のドイツ化」か、というこの問題を再度提示している。現在は、ユーロ問題での南欧諸国への対応も含め、メルケルのもとで「欧州のドイツ化」が進んでいると見ているが、それは歴史的には常に欧州に緊張をもたらしてきた。こうしてドイツ問題は、伝統的・地政学的に不変の問題と、欧州統合における新たな局面の中で一層複雑さを増しており、その中で「象の記憶力」と「耐え抜く」力を持つこの「リケジョのマキャベリスト」が欧州をどのような未来に導いていくのか。それを考える上で、このある意味数奇な運命を受けた指導者の内面を無視することはできないと感じさせる著作であった。

読了:2017年6月5日

(追記)

 メルケルに政治的に抹殺されたコールは、この評記載直後の6月16日、87歳で逝去した。不正献金疑惑で晩節を汚したとは言え、ドイツ統一を成し遂げた彼のレガシーは生き続けるだろう。私のドイツ滞在の7年間にわたりドイツ宰相であった彼の「過去を知らない者は、現在を理解することもできなければ、未来を形作ることも出来ない(Wer die Vergangenheit nicht kennt,kann die Gegenwart nichit verstehen und die Zukunft nicht gestalten.)」という言葉を、彼への餞として記録しておくことにする。

2017年6月17日 追記