アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第三節 政治家たち 
メルケル
著者:カティ・マートン 
 メルケルは、2018年12月、約18年務めたCDU党首を辞任、その後2021年12月には、4期16年務めた連邦首相も退任し、現在に至っている。彼女に焦点を当てた著作は、日本人ジャーナリストの著作(別掲)があり、また彼女がドイツを率いた時代の報告なども多数読んできた。ただ、今回読むことになったハンガリー出身で、米国国籍を持つこの女性ジャーナリストの著作は、この私生活を語ることのほとんどない指導者について、多くの関係者へのインタビューも交えながら、それらを上回る―やや褒め過ぎのきらいはあるとは言えー詳細且つ生々しい姿を伝えている。原著は2021年、邦訳は2021年11月の出版で、まさにメルケルの首相退任までを略カバーしたものになっている。

 確かにメルケルは、不思議な政治指導者である。派手な言説や自己主張を表に出すことはほとんどない。しかし、多くの困難な政治課題に直面した際に、根気よく且つ疲れを知らず関係者を説得し、最終的にそれなりの成果を収め、その結果として、ドイツの戦後の首相としてはコールとほとんど並ぶ16年に渡り政権を率いることになった。しかも、コールがその最期は汚職問題で、まさにメルケルによる最後の一太刀で切捨てられたような、悲惨な状況で退任するということもなく、惜しまれながら首相を退き、そしてその後は、「元老」として裏から権力を維持しようということもなく、静かに後任の指導者たちに舵取りを任せている。こうした彼女の性格や基本的な政治姿勢が、どのように形成され、そして政策決定・遂行課程でどのように発揮されてきたのかを、著者は分かり易く説いていくのである。

 もちろん、旧東独地域での、彼女の幼年期から青春期に至る過程で培われたものが大きくその後の彼女に影響していることは間違いない。旧東独の一党独裁政権下、ブルジョアであるカトリック牧師の成績優秀な娘として迫害されながらも、自分を抑えながらそこで忍耐強く生き延びることを学んだことが、その後の政治家としての姿勢を形成し、ドイツ統一と共に、旧東独出身、理科系、そして女性という、伝統的ドイツ政界では不利益な要素をむしろ武器にして、その後の地位を獲得したことは間違いない。そして著者は、そうした彼女の、科学者として「事実」を徹底的に確認し、そのためには、意思決定までは慎重すぎるくらい時間をかける。しかし、一旦意思決定をすると、こんどはブレることなく、その実現に向けて忍耐強く動いていく姿を、様々な例を示しながら説明していくのである。そうした武器を使い彼女が首相になるまでの過程については、以前に読んだ日本人ジャーナリストの著作でも十分触れられているので、ここでは彼女が首相となって以降の事例を中心に見ていくことにしたい。

 まず首相就任に当たってメルケルが「執務室に持ち込んだ基本的価値観」として、著者は、「個人としての深い信仰心、責務と奉仕についての確固たる信念、(中略)ユダヤ人に対してドイツが行ったことへの永遠の償いの念。また元科学者としての、正確で根拠に基づいた意思決定。さらに、自国の民を投獄した独裁者への激しい憎悪。」、そして「表現と行動の自由」を挙げている。敢えてそれに付け加えるとすると、統合欧州への情熱と、ドイツの戦後を支えてくれた米国への信頼も加わるのかもしれない。これらは、その後の彼女の意思決定を理解する上で、非常に分かり易い基準となる。他方で、外見や衣服を含め、派手さを嫌い、そして私生活を公的生活に持ち込まない。そしてその私生活を晒すことは限られるものの、基本的には質素な「普通人」の生活を送ることで十分満足する。日本でもこうした「倹約生活」が話題となった財政人などもいるが、欧州の政治家としては極めて特異な例であるが、これは、汚職を含めたスキャンダルを遠ざけることに繋がったことは言うまでもない。またもともと派手な演説は得意でないとされるが、事実を踏まえた率直な演説は、多くの機会に説得力を持って聴衆に受け止められたとされる。

 その演説については、私が知らなかった事例として、首相就任直後の2008年初春に、ドイツ首相として初めてイスラエルで行ったそれが紹介されている。ドイツ首相の演説に反対するデモも繰り広げられる中、メルケルは、時折ヘブライ語も交えながら、ホロコーストを詫び、イスラエルの安全のために働くことを宣言したという。そしてその後、イランの核兵器開発を留めるような活動を続け、2015年には、そのための国際協定締結にこぎつけたという。1970年のブラント首相(当時)のワルシャワゲットーでの跪きを連想させるパフォーマンスであるが、演説自体は地味なものであったようだ。しかし、そのフォローを、時間をかけても進めたという点が彼女らしい。ただイスラエルとの関係では、その後首相となったネタニヤフとは、彼のパレスチナ人に対する強硬姿勢から距離を置くことになったようである。

 米国との関係では、就任直後からのジョージ・ブッシュ大統領との良好な関係が取り上げられている。2003年の米軍によるイラク侵攻に反対したシュレーダー首相(当時)を、メルケルは野党の立場から、米国紙への寄稿で批判したという。著者に言わせると、それは「メルケルのアメリカとの関係に対するやや行き過ぎた執着と、ドイツが再び孤立することへの不安の表われ」であったが、結果的にブッシュの信頼を得て、その後は家族ぐるみの付き合いとなり、それが政策面でも、ブッシュによる気候変動対策の「真剣な検討」というコミットを引き出すことになったという。そしてその良好な米独のトップ関係はオバマにも引き継がれた(但し、2013年にスノーデンが暴露した、オバマ政権によるメルケル携帯電話の盗聴事件は、二人の関係を一時冷え込ませた)が、その後トランプによりひっくり返されることになる。

 プーチンと習近平という二人の独裁者との付き合い方が細かく説明されている。まずプーチンとの関係では、お互いに相手を知り尽くしていることから、双方に強い警戒心と対抗心があるが、同時に認め合っているという。それ故に、メルケルは率直にプーチンに批判をぶつけ、プーチンはそれを受け流しながら嘘八百を並べ立て、ある時はメルケルが嫌いな犬を会議に連れてきて彼女を脅すが、メルケルはほとんど動じないといったところである。しかし、そのメルケルも「現実主義・実利重視」からノルドストリーム計画を中止することがなかったのは、ウクライナ侵攻前の著作ということで、著者もメルケルの「数々の信念に基づく姿勢の不一致」と言うに留めているが、今となっては彼女の汚点となったと言える。また2014年のロシアのクリミア併合に際して、彼女が欧米を代表しプーチンと40回近い交渉を続け、それが欧米―ロシア間の全面戦争になることを回避した様子も詳細に報告されているが、その後のロシアによる侵攻を考えると、これも結局は一時しのぎに過ぎなかったと批判することは出来よう。習近平との関係は、彼個人と言うよりは、経済発展著しく、ドイツ企業の重要な市場となっている中国との付き合いという議論になる。この面では、メルケルの中国訪問回数が、日本訪問回数を圧倒的に上回っているという議論があるが、ここではそれには触れられていない。しかし、これもその後のウクライナ戦争開始と、中国のロシア寄りの姿勢を受けたショルツ現首相による方向転換を考えると、やはり結果的には中国寄りに傾き過ぎた、という批判は免れないだろう。
 
 こうしたEU域外国との関係から離れ、EU内でのメルケルの動きと成果を見ると、そこでは彼女の能力、性格、体力がいかんなく発揮され、数多の危機を果敢に乗り越えて、名実共にEU盟主としての実績をーしかも夫々の機会に派手に動き回るのではなく、じっくりと問題に取組みながらー残してきたことが分かる。

 まずは、2008年のリーマン・ショックに始まる金融危機への対応。「この際に発揮されたメルケル流の危機管理は、彼女のリーダーとしての長所と短所を同時にさらした」が「結果的に彼女はユーロを救うことに成功し、保守派の支持層を納得させると同時に、
”実質的な”ヨーロッパ首相”としての地位を固める」ことになる。言うまでもなく、危機に陥ったギリシアを始めとする南欧の「放蕩国」の救済であるが、これはもちろん、こうした国々へドイツ流緊縮財政を強いると共に、EUからの追放ないしは離脱という事態は避ける、というのが最大の課題であった。ここではメルケルは「憎まれ役」を引受けるが、特に2015年、ギリシアへの3回目の緊縮策を受入れさせるために、それに反対するという公約で首相に当選したツィプラスに対し、徹夜の交渉の末、税率引上げや政府支出削減を受入れさせたことで、ユーロを救うと共にEUの分裂を回避することに成功したのである。この結果に不満を持つドイツでは、AfG(ドイツのための選択肢)が誕生し、その後彼女を苦しめることになったのではあるが。

 次の難問は2015年以降本格化した、シリアを始めとする中東、アフリカからの難民流入への対応である。ハンガリーのオルバンなどが難民の強制排除を進める中、彼女は2015年5月に突然「ダブリン規約(難民審査は、当初受入国が行い、他国はその結果に拘束される)」を無視して「ドイツは難民を受け入れる」と宣言することになったのである。そして、その結果、百万人を越える難民がドイツに殺到し、当初は彼らを歓迎し、受入れるための活動していた民間関係者も根を上げる事態を招いたのである。これはメルケルの倫理観からの決断であったが、他方でそれが、若い労働力補充といったドイツの国益に如何に繋がるか、をきちんと説明できなかったから、と著者は指摘している。

 結果的には、2018年の時点で、この時ドイツが受け入れた約80万人の難民の「優に半数は仕事を得るか、職業訓練を受けるか」しており、またドイツ語教育や就学児童の通学も進むと共に、地域ごとの配分も進んでおり、それなりに難民の社会統合は進んでいると評価されている。ただ繰り返しになるが、それは国内では、反EU、反難民のAfG(ドイツのための選択肢)を、特にメルケルの出身地域である旧東独中心に勢いつかせることになるのである。2016年には、AfGのみならず、ドイツ社会全般にメルケル退陣を求める声が高まったということであった。

 それに追い打ちをかけたのが2016年の英国のEU脱退、ブレクジットであった。この時期は、ドイツのみならず欧州全域で難民が関わるテロ事件が頻発し、そして米国ではトランプが大統領に就任する等、それ以外の逆風も吹き荒れていたが、結果的には彼女は、その「戦略的忍耐」により、翌年の第4期の首相選も勝ち抜く。そしてその後の気まぐれで傲慢なトランプによるEUへの数々の揺さぶりも、「ヨーロッパの理念と価値観を(米国の支持なく)自分自身で守らなければならない」という決意で耐え抜くことになるのである。また国内でも、2017年の総選挙で大きく議席を伸ばしたAfGも、事実に基づく議論と、その旧東独中心の支持者に対する集会などを通じて、それ以上の勢力拡大を抑え込んでいった。そして2018年12月にはCDUの党首を辞任し、首相職で外交に専念することになるが、決して彼女は「レームダック」にはならなかった、というのが著者の評価である。特に2017年、フランス大統領として颯爽と登場したマクロンとは、もちろん年齢も性格も異なり、NATO評価などで、軋轢を生じることもあったが、基本的にはトランプが脅かすEUを守るために協働して動いたことが説明されている。そして彼女の首相としての最後の大戦争となった2020年初頭からの新型コロナ対策での決然とした姿勢―特に、コロナ救済を主目的とした、贈与が基本のEU復興基金の設立―を示したことが彼女の指導者としての最後の大仕事となったことが語られている。もちろん、デジタル革命への対応や台頭する中国との関係再構築等々、彼女がやりたかった分野は多かったが、2021年12月、「権力の絶頂」で、首相を引退することになる。その時点では、あのプーチンがウクライナ本土へ侵略するなどとは全く考えられていなかったのではあるが。

 首相退任後、現在に至るまで、メルケルの動静はほとんど聞こえてこない。ウクライナ戦争を巡り、かつてあれほど議論を重ねたプーチンとメルケルが接触したという話も聞こえてこない。これも彼女の美学なのだろうか?確かに、この政治家としては稀なほど地味な性格と、それにも関わらずドイツという大国を16年に渡り率いて、数々の実績を残したメルケルという人物の秘密を、この著者は説得力ある言葉で示してくれた。訳文も読み易く、いっきに読み終えることができるのも特筆される。そして今は、首相として彼女を継いだSPDのショルツの力量が、彼女に劣らないことを祈るのみである。

読了:2023年8月15日