アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第四節 ナチス
ナチス狩り
著者:H.プラム 
 ブックオフで何気なく見つけた小説である。確かに聞いたことのない作家による、おどろおどろしいタイトルの本で、いったいどんな観点からユダヤ対ナチスを描くのか、とやや心配しながら読み出したが、思ったよりはまともな作品であった。

 フィクションの形を取っているが、著者によると、これは彼が3人の主人公である実在のユダヤ人と長時間に渡るインタビュ−を繰り返し、それに基づいて書き上げた実話であるという。その3人とは、第二次世界大戦末期に、パレスチナで招集され欧州でナチス・ドイツと戦ったユダヤ旅団の兵士であるI.カルミ、J.ベルツ、そしてA.ビンチュクである。また、ビンチュクの妹であるレアの回想も、ナチスに迫害されたユダヤ人の遍歴の描写に使われている。その意味で、この作品は、やや主観的な回想を基にしているとは言え、大戦末期から戦後に至る、欧州ユダヤ人の姿についての証言である。

 連合軍のノルマンジ−上陸から3ヶ月余りたった1944年9月から、物語は始まる。第二次大戦勃発までは敵対関係にあったパレスチナの支配者イギリスに対し、反ナチの戦いへの参戦を申し入れていたものの、言を左右され遠ざけられていたユダヤ兵士が、ついに参戦することが認められたのである。非合法軍事組織ハガナ−を中核に組織された後、北アフリカで退屈な訓練に明け暮れていたユダヤ軍団は、英国軍の指揮下に入り、エジプトからイタリアを目指して出発する。
 3人の主人公は、この軍団の中にいた。7年前ウクライナのレフロフカという街から、共産党シンパに対する迫害を逃れるため、家族を残したままパレスチナへ移ってきたビンチュク。10年前、17歳の時にダンチヒからパレスチナに移住し、表向きはパレスチナ警察でアラブの暴動を取り締まりながら、裏ではハガナ−のメンバ−として英国に抵抗する非合法活動に従事してきたカルミ。そしてやはりポ−ランド出身で、迫害の強まる故郷から一時的な避難のつもりでパレスチナの大学に逃れ、そのままパレスチナ警察で働かざるを得なくなったベルツ。この3人に加え、故郷のレフロフカに残ったビンチェクの妹、レアがもう一つの物語に主人公になる。その物語は、1942年、レア17歳の秋、ナチによる村のユダヤ人全員の移送と、親の計らいでそれを逃れ、一人ぼっちになるところから始まる。
 ユダヤ軍団は、ドイツ軍の敗戦が決定的となった1945年のイタリア戦線からドイツ軍との戦闘に参加する。主人公達の戦闘での様子が記されていく。一方、一人残されたレアは、農夫に助けられたり裏切られたりしながら生き延びていく。双方共、殺すか殺されるか、という限界的な状況の中で生きることを余儀なくされていく。英国軍は、ユダヤ旅団をドイツに入れることを躊躇していたため、3人はリスクを犯して自らの判断でドイツに入り、マウントハウゼン収容所で、自らの民族の大量虐殺の跡を目撃することになる。
 戦争の帰趨が明らかになると、カルミは、米国の諜報部隊と協力し、「ナチス狩り」を始める。ドイツ人への尋問を通じ、一般民衆にまぎれている、より厳しく罰せられるべきナチス幹部や協力者を発見し、裁く仕事である。その裁きは、次第に連合軍の正式な裁判を経ないで、あるいはむしろ連合軍の目を逃れての私刑の形で行われていた様子が描かれている。ユダヤ人の名前で殺される者たちの最後の表情を心に刻むことで、民族の復讐心を満足させていたのである。しかし、ポ−ランドのとある教会に、そこに隠れているナチス残党の死刑執行に赴いた時に、そこで祈るユダヤ人の子供達の姿を眺め、復讐心に燃えた心に変化が起こる。ナチス狩りよりも、ユダヤ難民の救済こそが緊急の任務なのだと。

 ユダヤ難民をパレスチナに移送しようというユダヤ政庁の希望は、連合軍の煮え切らない態度で遅々として進んでいなかった。カルミとベルツは、死刑執行の時と同じように、連合軍の目を盗みながらの難民の大量輸送を組織し始める。そしてその頃、ベンチュクは妹がポ−ランドで生存しているという情報を受け、単身、これも非合法でポ−ランドへ乗り込んでいく。カルミたちは、イタリアの港で拘束されたユダヤ難民達を救うため、ハンガ−ストライキを含めた交渉で勝利する(交渉相手は英国労働党中央委員会のH.ラスキであったと言う)という大団円を迎え、ビンチェクはすれ違いを繰返したあげく、ついにオ−ストリアの収容所でレアとの再会を果たす。パレスチナでは、再びユダヤ人と英国支配者の公然たる抗争が始まっていた。
 そして1948年、イスラエルが建国される。彼らは独立戦争に参加し、パレスチナに移住したレアは看護婦としてその戦争の銃後を支えることになる。そして、それから50年後のイタリアは、ラベンナでの終戦記念式典へ参加する70代になった3人の回想でこの小説は終る。ユダヤ旅団が存在しなくとも、イスラエルは建国されただろう、しかし、それはまた違った国家になっていただろう。今存在するイスラエルの形成にそれなりの貢献ができた。それが彼らの人生の価値であったと考えるのである。

 確かに、連合軍、なかんずくパレスチナ支配者であった英国にとって、ユダヤ旅団の存在は両義的なものであった。その憎しみは、ナチとの戦争で大きな力を発揮する。しかし、他方でシオニズムを推進する彼らに借りを作ることはできないし、その暴走も抑制しなければならなかった。そしてユダヤ旅団の側では、そうした英国の意図を認識し、裏をかきながら、時として残虐なリンチを、また時として非合法の移住の組織などを繰返していたのである。中心人物による回想をまとめたものであるために、彼らへの思い入れが強いというバイアスはあるものの、戦中から戦後に至る、勝利者と協力者による相克、そしてナチスによるホロコ−ストに対するユダヤ側からの回答という歴史の裏面を示してくれた作品である。

読了:2005年10月15日