青年ヒトラー
著者:大澤武男
メイデイの三連休をゆったり過ごす中で読み始め、休暇中に略読了した。前の同じ名字の著者の作品が、内容解読にたいへん難儀したこともあり、こうした単純な歴史・伝記作品は気楽に読み進めることができる。
数あるヒトラー伝記本に、この作品がどれ程新しい事実や分析を加えているかは、私には判断することができない。しかし以前の同じ作者の作品評で書いたとおり、ドイツに生活し、ドイツ現代史に関心を持っている者として、自分の理解をまとめる場があるというのは羨ましい限りである。そしてそれを読む方は、あくまで自分でも出来そうであるが、結局は出来なかったことを、消費者としてあえて享受するのである。そうしたある種の等身大の作品である。
著者の記述は、いたって冷静である。この前に読んだ「ホロコースト」の気色悪い世界の根源に位置した一人の指導者の、「人生で最も楽しかった」時代を中心に、自分なりに検証していく。その時に、一番の武器になっているのは、青年時代のヒトラーの唯一の友人であり、1904年から1908年の間、生まれ故郷であるリンツからウィーン時代を共に過ごしたアウグスト・クビチェクが、ヒトラーとの交友を綴った「わが友ヒトラー」である。レームとシュトラッサーの粛清を素材にした三島の戯曲と同様のタイトルを持つこの本は、画学生として将来の希望に燃えながら、それが挫折し、失意の中、別れも告げず彼のもとを去っていった若きヒトラーの原点を映し出す。むしろこの本を読むほうが面白いのではないかと思えるような作品である。それを除けば、おそらくは、この作品は、それまでに出版された数多のヒトラー物を、縁の地を自ら訪ねながら自分なりに整理しただけのものなのであろう。
それにしても、この現代史の中でも最大の天才であり且つ狂人でもあるヒトラーの少年、青年時代は、それ程一般の人間と変っている訳ではない。あるいは著者も意図的に、そうした普通の少年、青年として彼を描こうとしているように思える。11歳の時、父に絵描きになると言い、官吏にさせたかった父親を愕然とさせるが、その後、父の説得を一切受け付けなかった頑固さや、実科学校(日本の中学・高校レベル)時代に、自分の興味あることしか勉強せず、その結果「堅実な勉学を必要とする」学校では次第に落ちこぼれていったことなどに、その偏った興味と激情的な性格が散見される程度に過ぎない。リンツの学校を放校された彼は、そこからやや離れたシュタイルという田舎の実科学校に移るが、そこも続けることは出来ず、折からリンツ郊外に母親が借りた新しい家で、父親の遺産を食い潰す気ままな青春時代が始まるのである。
シュタイルの実科学校時代に知り合ったのが、前述のクビチェクである。そして彼は、実科学校を中退し、リンツからウィーンへと移るヒトラーのよき友人として共に青春を生きることになる。
しかし、何事にも自分本位のヒトラーは、ウィーンの美術学校の受験も、体系的な試験勉強をやる気がなかったことから失敗し、そして18歳のクリスマス直前、愛する母クララが病死すると、年が離れた妹を親戚に預け、再びウィーンでの生活に帰っていくが、結局、自分の熱意と興味を持ったことに対する集中力はあるものの、既成の枠の中で認められることはなく、次第に失望していくことになる。ただ、クビチェクによると、青年時代のヒトラーは酒も煙草も、ましてや女遊びもしない、質素な堅実な生活態度を崩すことがなかったという。1908年11月、2回目の美術学校受験に失敗したヒトラーは、リンツに帰っていたクビチェクが彼らの部屋に戻る直前、行方も告げず居なくなるのである。
その後、ウィーンの浮浪者施設や公共の福祉施設を転々としながら、絵を描き細々と売る生活を続けるが、24歳の時にミュンヘンに移動する。自称「建築画家」として、毛嫌いしていた他民族国家ハブスブルグの都から、敬愛するドイツ民族の都に移った彼は、それなりに生き生きとしていたらしい。しかし、1914年1月にミュンヘンで兵役逃れの嫌疑で逮捕されると、一転哀れな生活を装い嘆願書を書く、といったこともしたという。
そうした中で同年6月、サライエボでの皇太子暗殺事件に続き、8月第一次大戦が開始されると、あれ程兵役を忌避していたヒトラーも熱狂して志願し、その後、ベルギー戦線で激戦の修羅場を生き残り、そして第一次大戦後の本格的な政治活動の開始に連なっていくことになるのである。1920年3月、彼が正式に国防軍を退役し、本格的な政治活動に飛び込んでいくところで、この青年ヒトラーの伝記は終わる。彼が30歳の時である。
追加的に、政権を掌握したヒトラーの、クビチェクとの30年振りの再会の話しが紹介されているが、これはクビチェクの回想録からの受け売りである。
著者は、至る所で歴史の「もし」を連発させている。もしヒトラーが堅実に実科学校で勉強していたら、美術学校に受かって建築家になっていたら、後年のナチスの悲劇は避けられたのではないか?まあ、これは質素な一般人向けの感想であろう。また素材として多く用いているヒトラーの「我が闘争」は、後年の作り話が多い、と繰り返し書かれているが、これも常識的な指摘である。その意味で、この本は、著者が、既往のよく知られている素材を使い自分なりに青年ヒトラーを整理したものに過ぎないのは明らかである。ただ、この著者のものが常にそうであるように、一般向けの平易な叙述で、疲れた頭を休めるには格好の作品であることは確かである。同じナチス物でも、「ホロコースト」と違い、ほのぼのと読める作品であることが、この作者の成果物に私が常に手をつけてしまう理由であろう。
読了:2009年5月3日