ヒトラーの側近たち
著者:大澤 武男
この著者のドイツ本を読むのは何冊目であろうか。フランクフルトから戻り、既に約15年が過ぎている訳であるが、そこの日本人学校の職員として名前を知ることになったこの著者は、その後コンスタントに新書でのドイツ関連本を出版してきている。それらは、まさに自分のドイツ時代に勉強したドイツの歴史についての間欠的な「復習」として、気楽に流し読めることもあり、どうしても直ぐ手が出てしまう。今回のナチス本も、前作の「青年ヒトラー」に続くものであるが、やはり内容的には、既にいろいろなところで紹介されてきたヒトラー側近の主要人物を、著者なりに整理しただけのものである。従って、それは現在のドイツ、ユーロ圏の混乱と危機の中で、その恩恵を最大に受けながらも、周辺諸国から経済的負担の圧力を受け苦しんでいる最近のドイツとは無縁の世界である。しかし、偶にこうしたドイツの歴史世界に帰ると、ある種の懐かしさを感じてしまうのである。ここでは、そうしたドイツ現代史へのノスタルジーに浸りながら、ヒトラーを支えた人々の内、私があまり認知していなかった人々を中心に見ていこう。
ナチス結成直後の側近として何人かが紹介されているが、その中では、まず党員番号2というヘルマン・エッサーという青年が今まで聞いたことのない人物である。ただその後の消息が語られていないところを見ると、早くして死ぬか、闘争から脱落したのであろう。
初期のヒトラーに強い影響を与えたD.エッカルト等は、今までも多くの本で紹介されているところであるが、ミュンヘンの富裕な美術商の息子でハーバード帰りのハンフシュテングルというのも、初めて聞く名前であった。彼はミュンヘンの社交界にヒトラーを紹介したり、機関紙の印刷・出版費用をサポートしたりとヒトラーの初期の政治的影響力拡大に貢献するが、いわばこうしたインテリがヒトラーの演説を聞いて、熱狂的な支持者になっていったというのが、この時代の不思議である。初期に彼を支えた女たちーベッヒシュタイン、ホフマン、ブリュックマン、あるいはワグナー家のヴィニフレットについては、以前に読んだ「ヒトラーをめぐる女たち」(別掲)に詳しく紹介されている。ミュンヘン一揆の際に、自らが傷つきながらヒトラーを救ったグラーフや、自分が警察の銃弾で即死したことで結果的にヒトラーを救ったショイブナーの存在は、政治家にとっての少数ではあるが、盲従する崇拝者の存在の重要性を物語る挿話である。
ミュンヘン一揆で逮捕・服役していたヒトラーが再び釈放され、党の再建を始めると、続々と一旦は一揆後に離散した同士が、彼の下に戻ることになる。ここで登場するのは、ゲッペルスのように、最後まで彼に従った者から、ゲーリングやヘスのように、ある時点で彼を見限った者、そしてシュトラッサーやレームのように粛清された者と様々である。しかし、彼らは皆、当初はヒトラーの忠実な側近であったのである。
政権獲得後に彼を支えた側近で、私があまり認識していなかったのは、ヒトラー内閣の法務大臣となった法律家のW.フリックである。国会放火事件後の「緊急令」や「全権委任法」の制定の中心となり「首相ヒトラーの独裁支配が正統な法手続きを通して実現・達成されるよう、そのとりつくろいと演出を一手に引き受けた」ということから、まさに合法的独裁への道を準備した張本人、ということになる。ただ彼は、その後ヒムラーらの主導で「違法な政治警察権力の行使による非合法的な逮捕や拘束・虐待行為」が頻繁になると、それに対し抵抗を試みたという。しかし、それは最早「テロ国家化」した流れを止めることは出来なかった。フリックが警告を発した直後に、レームやシュトラッサーらのナチ関係者や、元首相のシュライヒャー将軍ら非ナチ政治家の粛清が行われ、フリックが自ら主導的に創り上げた合法的独裁国家は、今や合法性の枠を越えてブレーキが利かなくなるのである。
ヒトラーによる軍の掌握に大きく貢献したのは、ブロンベルグである。ナチ党員でもなく、教養のある生粋の軍人であった彼は、突然ヒトラー内閣の国防大臣に任命されるが、彼は直ちにヒトラーの信奉者となり、その後の領土侵略の軍事的実行者となると共に、ヒトラーも、彼の政権での最初の元帥として彼を処遇することになる。しかし。彼は余りにヒトラーに盲従したことから、他の将軍の嫉妬も買い、最後は1938年、若い妻のセックス・スキャンダルもあり、後任のカイテルに将軍の座を譲り引退したという。
これ以降は、お馴染みの取り巻きたちが詳細されていく。シャハト、エバ・ブラウン、ゲーリング、ゲッペルス、リッペントロップ、そして大戦開始以降、大きな役割を果たしていく側近たちー安楽死政策を遂行したボウラー、国防軍最高司令部長官カイテル、ユダヤ人大量虐殺を開始したハイドリッヒとカルテンブルナー、英雄ロンメル、軍需大臣シュペー等々。彼らの多くが、個別の著作の対象になっているようなお馴染みの連中である。前の章で、ヒトラーの政権掌握に抵抗した国防軍陸軍参謀総長のベックや、安楽死に反対したガーレン司教が紹介されているが、ここでは大戦末期の抵抗者としてシュタウフェンベルグに言及されている。「ヒトラーの側近たち」というタイトルではあるが、著者はどうしてもこうした反ヒトラー抵抗運動も書きたかったのだろう。もちろん反ヒトラー抵抗運動については、今まで何冊も読んできたが、その一部の復習である。ただ、フランクフルトの北、タウヌス山麓のふもとから北東へ15キロほど行ったツイーゲンベルグという寂しい森の中に、ベルリンに移る前の最後の総統大本営があり、そこから戦局を打開しようという最後の大規模な軍事作戦であるアルデンヌ作戦が指示された、というのは初めて聞く話であった。大本営跡がまだ残っているのであれば、この先いつかフランクフルトを訪れる機会があれば、ぜひ見てみたいところである。
破局直前のヒトラーを取り巻く人々も、以前、映画「ヒトラー最期の12日間」に関連する一連の本で接したとおりである。そこであまり認識していなかったのは、若い護衛官テナツエクの地下壕でのピストル自殺の話。直接の自殺の原因は妻の不倫であるが、その妻が夫の「事故死」で多額の遺族補償金を受け取ったというのは皮肉である。またヒトラーに最後まで残るように命じられ、彼の自殺を見届ける証人になった電話番ミッシュという人物も、位階が低いせいか、あまり今までは認識していなかった。その他、ヒムラーやゲーリングの逃亡やデーニッツの最後の終戦努力等は、既によく知られた話である。ただ最終章で触れられている、連合軍のノルマンジー上陸後、終戦の訴えをヒトラーに拒絶されて自殺したクルーゲという陸軍元帥は、初めて知ることになった。
こうして、著者は、ある者は途中で離脱していったとは言え、ここで紹介された人々が盲目的にヒトラーに従ったことが、彼の独裁からドイツの破滅に至る最大の要因であった、という、ありふれた結論でこの小著を閉じている。
実際、この著者の一連の作品は、常に特段の新しい視点や分析が提示されている訳ではなく、むしろ先人の専門研究を基に、フランクフルトに長く居住していることから得られる若干の現地情報を加えて整理しただけのものが多い。それでも、そうした整理は、しばらく接していなかったドイツ関係のテーマを自分の代わりに行ってくれているということからくる親近感と読みやすさから、ついつい新作が出ると読んでしまうのである。冒頭に記したように、今やナチス問題はそもそも現在のドイツ問題を語る上では不要である。しかしそれでも、これに関連する新たな素材や分析は途絶えることなく世の中に現われている。この本は、そうした専門書とは異なる入門書で、あえて著者の一連のドイツ問題の自分なりの整理を行っているものである。その意味で、この著者の作品に対していつも感じる、自分でもこの程度の物は書けるな、という自信と、他方でそれを実際に行っている著者に対する羨望の双方を、この作品でもまた抱くことになったのであった。
読了:2013年2月21日