ナチスの財宝
著者:篠田 航一
遅い夏休みで一時帰国した日本で、まず飛び込んだ近所の書店で目に入り購入した新書である。2011年から4年間、毎日新聞ベルリン特派員として勤務した著者が、自ら「固い仕事からの息抜きもあり、半分『趣味』として取材した」素材をまとめたものである。時として、そうした素材のほうが面白いものであるが、この本も「宝探しの冒険談と、その世界に蠢く魑魅魍魎たちの物語」として、能天気にいっきに読了した。
戦争に略奪はつき物で、日本も大陸侵略時に朝鮮半島から持ち帰った仏像などの返還問題などが時折話題になるが、ナチスの略奪は、その規模に加え、ヒトラーを始めとするナチス幹部が、なまじっか「美術好み」であったこともあり、空前のものとなったことは言うまでもない。そしてドイツ南部の岩塩坑からファン・アイクやフェルメールが発見されたこともあり、まだ多くの略奪美術品やその他の財宝がいたるところに眠っているのではないか、という伝説が現在まで残ることになる。エジプト・ピラミッドの採掘などの「考古学」的な好奇心も、これに類するものではないかと思うが、地味な考古学(それでも、時折「神の手」がとんでもないものを発見したり、それが「虚偽」であったりして話題になることもあるが)それが「宝探し」になると、突然エンターテイメント性を帯びてくる。ナチスの財宝は、現代に残された数少ないこうしたロマンなのであろう。
こうして著者の、「ナチスの財宝」を巡る旅が始まる。まずは、サンクトペルルブルグ郊外のエカチェリーナ宮殿にあった「琥珀の間」の捜索。18世紀始め、プロイセンからロシアに贈られた賢覧豪華な琥珀の装飾で埋め尽くされた部屋は、1941年6月のナチスの侵入で略奪され、解体された上で、ドイツ領ケーニヒスベルグに移送された。しかし、大戦終盤、それが保管されていたケーニヒスベルグ城にソ連軍が突入したときには、既にそれは姿を消していたという。戦後逮捕されて尋問された関係者は、これは連合軍の爆撃で消失したと証言するばかりであったが、その他の証言から、それがどこかに運び込まれた可能性もある。チェコ国境に近いエルツ山脈沿いのドイチュノイドルフという村の廃坑や、チューリンゲン州のヨンス谷等がその場所であるということで、冷戦期には旧ソ連のKGBや、またドイツ統一後も連邦議会議員などが私財を投げ打って探索を続けたが、現在までのところそれ以上の手がかりは見つかっていない。またこの捜索を進めたジャーナリストが、1987年8月に、バイエルンの山中で変死体となって見つかった、というのも、こうした「財宝探し」に伴う怪奇談である。またコッホというナチス幹部が、自分の管轄地域であったウクライナなどのユダヤ人から略奪した「コッホ・コレクション」も、一時ケーニヒスベルグに集められた後、行方不明になっているという。
著者は、こうした「ナチスの財宝」が消失した背後に、ナチス関係者の逃亡を助けた闇シンジケートがあり、「財宝伝説は、こうしたナチス残党の逃亡劇の副産物であった」として、追う者と追われる者の戦後史を簡単に振り返っている。ヒトラー生存説から、Fフォーサイス作の「オデッサ・ファイル」の世界(これまで多くのフォーサイスの作品を読んできた私だが、この初期の作品は読んでいないことに気がついた。機会があったら、これも読んでおこう)、アイヒマン拘束(及びナチス関係ではないが、西独に潜伏していたスパイ、G.ギョーム逮捕)のきっかけとなった、ドイツ人の誕生日好き、逃亡者の多くがそこを経由した(同時に、映画にもなった「ヒトラーの偽札が大量に保管されていた」)南チロル等、相当量のドイツ近代史を読みまくった私にとっても新しい発見の幾つかが語られている。
財宝に戻ると、次は「ロンメルの財宝」である。ロンメル自身は高潔な軍人であったという「ロンメル伝説」の陰で、その配下の親衛隊が北アフリカから多くの財宝を略奪し、それをコルシカ島の沖合いに沈めたという伝説で、I.フレミングの「007」シリーズにもその逸話が登場するという。そしてその捜索の過程では、コルシカ・マフィアの影が垣間見られるハンターの変死事件がある、というのも、他の財宝探しと同じである。またチュニジアでの略奪を指揮したワルター・ラウフという男が、戦後逃亡から西独のスパイとして生き延びていく過程も、戦後ドイツ史の闇の部分である。そして財宝探しの最後の舞台であるザルツカンマーグートの湖(「カルテンブルンナーの財宝」)。ヒトラーが、自分の生まれ故郷であるオーストリアのリンツでの建設を夢見た美術館のための美術品と原資。一部は、冒頭で述べたザルツカンマーグートの岩塩坑のあるアルトアウスゼーの坑道で発見されたファン・アイク、ミケランジェロ、フェルメールらの作品である。これらは、すんでのところで、「焦土作戦」の中で破壊されることを免れたということで、それが2014年公開の米国映画「ミケランジェル・プロジェクト」で描かれているという。この映画も、今後見る必要がある。
こうして「ヒトラーの財宝伝説」の取材は終わるが、読み物の面白さという点では特筆すべき作品であった。もちろんそれは冒頭にも書いたとおり、「財宝ハンターの冒険談」というロマンティシズムと、その背後にある深い闇を感じさせる「ミステリー」としての要素を持っているためである。その意味で、確かに、こうした話は真剣に取材するというよりも、余暇の趣味として進めるほうが、心地よい生活の刺激となる。そうした「遊び」を基底に持ちながら、関連する小説や映画なども絡めながらの展開は、最近ドイツを巡る情報にやや疎くなっていた私に、改めてこの世界への関心を蘇らせてくれた。まだまだ人生の楽しみはいろいろ残っていることを感じさせてくれた作品である。
読了:2016年9月18日