アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第四節 ナチス
独ソ戦
著者:大木 毅 
 1961年生まれの戦史著述家による独ソ戦の概説書である。言うまでもなく、この戦争は、ヒトラーが、帝国の東方拡大を図ると共に、「ユダヤ・ボルシェヴィズム国家」であるソ連の壊滅を目指した戦争であったが、同時にヒトラーの野望を打ち砕く契機ともなった。しかし、その開戦に至る意思決定や、戦争遂行過程での個々の戦略判断については、戦後の政治情勢も関連し、必ずしも実態が知られていない。単純に言えば、この戦争は、軍部は慎重であったが、独裁的な権力を確立していたヒトラーの堅固な意思に抵抗できず進められたという、この時期のその他の政策を含め、ヒトラーやナチ党幹部にすべての責任を押し付ける言説が支配的であった。それは、戦後ドイツが、特に欧米諸国に対し、国としての戦争責任を懺悔する際も、根源的にはその責任をヒトラーやナチ党幹部に押し付けたのと同様の歴史観であった。著者によると、そうした議論の多くが、現在に至るまでの多くの新資料等により覆えされてきたという。そして、現在の視点から改めてこの大戦争の意味合いを確認するというのが本書の意図である。

 結論的に言えば、この戦争はヒトラーにとっては、「戦争目的を達成したのちに講和で終結するような19世紀的戦争ではなく、人種主義にもとづく社会秩序の改編と収奪による植民地帝国の建設をめざす世界観戦争であり、かつ『敵』と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争でもあるという、複合的な戦争」であった。そして、当初は「通常戦争、収奪戦争、世界観戦争(絶滅戦争)の三つが並行する形で進められた」が、戦況の推移に従い、次第に収奪戦争、絶滅戦争の比重が大きくなり、それが「史上空前の殺戮と惨禍をもたらす」ことになったとされるのである。

 こうした大局観に基づき、著者は、戦争開始から終結に至るまでのドイツ、ソ連其々の政治判断から、個々の戦闘の軍事的分析を含めた考察を行っていく。前者については、英国制圧が難航する中で、その潜在的同盟国であるソ連を叩くことで、英国の戦意も奪うというヒトラーの政略的意図はあったものの、それ以上にドイツの「生存圏」確保のためにソ連を植民地化し、その国土と資源を奪うという究極の目的があった。同時に、国防軍はルーマニア産の石油に依存していたことから、ソ連の影響力がこの地域に及ぶ前に、そして軍幹部の粛清でソ連軍の力が殺がれている間にこの国を叩く必要があるという判断を強めていたことも指摘される。その意味で、独ソ戦の開戦は、ヒトラーの意向に国防軍が屈服したのではなく、双方の意向が合致したからであるという認識が示されている。

 こうして「バルバロッサ作戦」が開始される。著者は、ここから軍事戦略家として、1941年6月22日に開始されたこの作戦の進行状況―特に当初の赤軍の敗北・後退―を、スターリンがドイツの侵攻についての多くの情報を無視することで、準備が遅れたという通説に従い描いていく。但し、通説とは異なり、既に開戦直後からソ連軍が、ドイツが想定した以上の抵抗を示し、ドイツ側の損害も予想を超えて大きかったーその例としてまず6月末のミンスク包囲戦が挙げられているーという指摘もあるという。そして、ドイツ軍が勝利したとされる7月初めのスモレンスク攻略にあたっても、既に長く伸びていた進撃部隊への補給路に不足が生じており、ソ連軍部隊の脱出を阻止できなかったとされる。これをもって、この街を巡る攻防を、後のモスクワ会戦やスターリングラード戦、クルスク戦車戦に並ぶほどの重要性を持つ「隠されたターニング・ポイント」とする論者もいるという。いずれにしろ、その後の冬将軍の到来、そして米国の参戦も加わり、ドイツの劣勢は強まっていくことになる。そして、ドイツが当初想定していた「短期決戦構想」が挫折する中で、この戦争の「通常戦争」の側面が後景に退き、「世界観戦争」、「収奪戦争」という色彩が強まることになる。伝説的なスターリングラード戦も、本来、この街を無力化すれば十分であったにも拘らず、ヒトラーがあえてこの街の住民を含めた絶滅を指示したために困難極まりない市街戦となり、それがこの攻防の帰趨を決手的なものにしたという。そして、その後ドイツ軍の劣勢が明らかになる中で、ヒトラーは、軍事戦略上は撤収もやむなしとする国防軍指導者の説得をことごとく切り捨て「死守、死守、死守」と叫び続けることになる。まさにそれがこの戦争が「世界観戦争」であった由縁であり、その意味ではヒトラーの政策は、1920年代から一貫していたということになる。ただ、その後の、日本もその一部に関与した、講和を含めた妥協という可能性も、英米ソ連の対応を考えると、そもそも困難であったことは言うまでもない。

 その後も個々の戦闘では、ドイツ・ソ連其々一進一退があったことが説明されるが、周知のとおり全体としてはソ連が圧倒的な兵力でドイツ軍を駆逐し、英米軍との競争しながらベルリンに突入することになる。その過程で、ドイツ軍が撤収地域の「焦土化」や、住民の強制移送等を行ったとされるが、その反動もあり、今度はソ連軍の進軍に伴う略奪も激しくなっていったことも知られている。著者は最後に、ドイツ軍が「絶滅・収奪戦争を行ったことへの贖罪意識と戦争末期におけるソ連軍の蛮行対する憤りは、まお、ドイツの政治や社会意識の通奏低音になっている」と指摘しているが、それはこれほどの「絶滅戦争」となっていなかったとしても戦争それ自体が常にもたらす後遺症であることは間違いない。それがこの独ソ戦については、ある水準を越えたことは確かであるが、それは戦争という歴史の中では避けることのできない結末であると思われる。

 いずれにしろ、この戦争は世界が経験した戦争の中でも、特に悲惨な結果をもたらしたことは言うまでもない。著者が詳論している、それぞれの局面での軍事的分析については、正直私はあまり深く理解することはなかったが、そうした軍事的合理性を越えた世界観が支配的となることも恐怖は十分に示された著作であると思われる。私はまだ見る機会がない映画「スターリングラード」等も見てみようと考えている。

読了:2021年2月2日