ヒトラーの秘密図書館
著者:ティモシー・ライバック
図書館で見つけた「ヒトラー物」で邦訳の出版は2010年1月。著者は、米国人のフリー・ジャーナリスト的な歴史研究者である。読書家であったヒトラーは、ベルリンの官邸やベルヒステスガーデンの山荘などに16,000冊を越える蔵書を有していたとされるが、それらは敗戦の混乱の中で散逸してしまった。しかし、それを免れた一部のコレクション、特に米国議会図書館に眠っていた1200冊を中心に、彼の思索や行動に影響を与えたと思われる著作を論じた作品である。もちろんヒトラーの良く知られている思想や行動で、彼に影響を与えた本については凡その予想はできるが、著者は、実際にヒトラーが読み、書き込みを残したり、強調の線を引いていると思われる部分を検証しつつ、夫々の時代の政治的背景や彼のその時の立ち位置等と関連付けながら論述を進めている。蔵書への注釈ということでは、最近逝去した立花隆が、たいへんな読書家で、多くの本を読むと共に、そこに多くの書き込みを加えていたことが、メディアでは伝えられている。恐らく立花の蔵書についても同じような研究が行われることになるのであろうが、現代の作家の蔵書と異なり、ヒトラーの場合は、敗戦後の混乱の中で無秩序の略奪が行われ散逸している。その結果として、それらを集め、参照するにしても、本当に彼の蔵書であったかどうかを調べる作業が加わる点で、現代の作業とは大きく手間が異なることになる。そうした「ミステリー」的要素も加わり、この本は、数多ある「ヒトラー物」の中でも結構読ませる作品になっている。
主題として取り上げる本は10冊。第一次大戦に伝令兵として参加したヒトラーが戦地でも帯同していたとされる「ベルリン」の都市案内に関する本から始まり、彼の反ユダヤ思想に強い影響を与えたディートリッヒ・エッカートの「戯曲ペール・ギュント」、そしてそのユダヤ人絶滅計画の原典となった米国人マディソン・グラントの「偉大なる人種の消滅」、ヒトラーの「思想・哲学」的な座右の書となったポール・ラ・ガルドの「ドイツ論」、ヴァチカンのナチス分断工作の書である司祭アロイス・フーダルの「国家社会主義の基礎」等々。後半になると、彼のオカルト嗜好の欲求を満たした本や軍事情報の勉強に使われたフーゴ・ロクスの「シュリーフェン」、幼少時からの冒険への夢想を満たしたスヴェン・ヘディンによる「大陸の戦争におけるアメリカ」、そしてベルリン陥落と自殺直前に奇跡を期待して読んだと思われるトマス・カーライルの「フリードリヒ大王」。そうした章毎に掲げられた著作を核に関連する作品も併せて論じることになる。唯一の例外は、第三章の「封印された」彼自身による「我が闘争」第三巻である。これらにつき、特に面白かった部分につきコメントしておこう。
まずは、ディートリッヒ・エッカートの「戯曲ペール・ギュント」。このイプセンによる原作は、私は読んだことがなく、グルーグ作曲の同名の劇音楽を子供の頃に聴いた記憶しか残っていない。その記憶では、その音楽は親しみやすい、ややコミカルな印象であった。しかしこの原作は、実は「世界の王」になることを夢見た主人公ペール・ギュントの冒険談で、彼はモロッコで大金持ちとなり成り上がった後破綻し、最後はかつて捨てた村娘の元で救済される物語であったことを今回知ることになった。そしてこの原作を戯曲化したエッカートは、原作者の承認を受け、そのドイツ歌劇版を作り商業的に成功、富豪になると共に、右翼・反ユダヤ主義の重鎮として、当時のドイツ政界にも大きな影響力を持っていたという。そしてそのエッカートが有望な政治指導者として目を付けたのがヒトラーで、エッカート版「ペール・ギュント」の豪華本に献辞を付して贈ったり(1921年10月の日付が記されている)、劇の公演に招待したのみならず、資金面を含めたヒトラーの初期の政治活動を全面的に支えたという。まさに、ヒトラーの勃興期を象徴する、彼の初期の蔵書である。
反ユダヤ主義については、ヒトラーが、ヘンリー・フォードが書いた「国際ユダヤ人」に感銘を受けたことが、第三章で記されているが、それをより体系的に記載し、ヒトラーをして「この本は私の聖書です」と言わしめたのが、米国人マディソン・グラントの「偉大なる人種の消滅」(ドイツ語版の出版は1925年)であったという。移民国家である米国で、当時既にフォードのような産業人にも反ユダヤ主義を公然と主張する傾向があったことについて改めて認識すると共に、「人種というものを地理的な観点からだけではなく、(数千年のスパンで)時間的な観点からも考えた」グラントのこの本が、再び欧州大陸のこの政治指導者に強い影響力を及ぼしたことに驚きを禁じ得ない。そしてその結果として、彼が、その影響を受けた米国との戦争に突き進み、そして破滅したという歴史の皮肉についても・・。
ヒトラーが政権を獲得した1933年以降、側近たちが「読書家」ヒトラーの関心を惹くべくいろいろな機会に贈った本の中で、著者は、残された彼の蔵書の中から、哲学・思想的な著作を選び、その背景を含め解説している。その中で特に興味深いのは、1933年6月にリーフェンシュタールが彼に贈ったフィヒテ全集初版本八巻である。
著者は、2001年、この蔵書に接した際、当時98歳であったリーフェンシュタールに、この全集を贈った経緯についてインタビューを行ったという。そこで彼女が説明したのは、その直前に彼女が官邸でのお茶に同席した際、ユダヤ人の苦境についてコメントしたところ、ヒトラーが明らかに気分を害し、気まずい雰囲気で別れたことから、帰宅後、それを修復するために友人とも相談し、ヒトラーのご機嫌を戻すプレゼントとしてこれを贈ることにしたということである。その理由は、まずは「読書家」ヒトラーの矜恃を満たすには、哲学的な本が良いと考えたこと、そしてその場合、彼が傾倒していたショーペンハウエルやニーチェも考えたが、やはりドイツ民族至上主義の偉大な先駆者であるフィヒテが最適と判断したことであったという。もちろん、リーフェンシュタールの「ユダヤ抑圧への懸念」コメントは、戦後の彼女の立場を考えると、やや眉唾ではあるが、そこでフィヒテを選んだことは、彼女の強い生存本能を示していると言える。著者が言うように、「フィヒテこそ、文体といい精神といい原動力といい、ヒトラーと彼の国家社会主義運動に最も近い思想家である」からである。「ヒトラーの現存する蔵書の中で唯一の本格的な哲学書」であるこの全集には、彼が書き込んだと思われるページもあるというが、「最も多くのことを解明してくれたはずの、『ドイツ国民に告ぐ』と雄弁術に関するエッセーを収めた巻は失われてしまった」のは残念であった。
政権を掌握したヒトラーと(ヴァチカンを含めた)カトリック教会との関係が緊張に満ちたものであったことは言うまでもないが、教会側から、ナチスを分断しようという意図を含んだ本が彼に贈られ、その計画が「成功の間際まで行き着いたように見えた」というのは、「歴史裏話」的な面白さがある。それは基本的には、ナチスの最右翼過激派の聖典となったアルフレート・ローゼンベルグによる「二十世紀の神話」を巡る思惑であった。この本は、その過激なカトリック批判により教会の禁書目録に加えられたが、それ故にまた話題となり印刷部数を増やすことになったという。そしてローゼンベルグは、政権の「イデオロギー及び精神」教育の「代理人」に任命されていたが、教会はこれに不満で、またヒトラー自身も、ローゼンベルグとこの著作については、やや距離を置いていたという。それを受けて、こうしたナチス内の過激派を分断し、「ローマ・カトリックと国家社会主義を融合させるための神学的青写真」として司祭アロイス・フーダルの「国家社会主義の基礎」が書かれ、ケルン大司教とヒトラーの会談時に、彼に贈られたという。実際、この本はナチス有力者の中でも賛否両論の議論を引き起こし、ヒトラーの書き込みも残されているが、結局大きな流れにはならず、またヴェチカン自身も最終的にこの著作と距離を置いたため、フーダルは、カトリック側からも「ナチスの御用神学者」のレッテルを張られ、失意の下、辺鄙な場所の修道院に左遷されることになったという。ヒトラーの蔵書に秘められた、双方の側から疎んじられた中間派の悲哀を感じさせる逸話である。
彼のオカルト嗜好の欲求を満たした本や軍事情報の勉強に使われたフーゴ・ロクスの「シュリーフェン」は省略し、幼少時からの冒険への夢想を満たしたスヴェン・ヘディンによる「大陸の戦争におけるアメリカ」に触れておこう。
ヒトラーが持っていたこの本自体は、敗戦の混乱で失われてしまったが、著者からヒトラーに贈られ、彼も内容に満足したことが1942年に交わされた両者の手紙で明らかにされているという。そもそもこのスウェーデンの作家は、「伝説的な」ゴビ砂漠探検等の冒険で、「ヒトラーの生涯における数少ない本物の英雄」であり、政権獲得後首相官邸に招待したりしていたというが、その彼の著作が、戦争が大きな転機に差し掛かり、ヒトラーがその軍事戦略につき将軍たち、なかんずくフランツ・ハルダーとの間で大きく対立していた時期に出版され、贈られたのである。そもそも大の親米家であったヘディンは、1920年代から30年代にかけて三度米国で講演を行っていたが、同時に終生ドイツ贔屓であった彼は、第二次大戦前には「ヒトラーは平和主義者で戦争を望んでいない」ので、米国は大陸での戦争に参戦すべきではないと力説していたという。そうした論旨のこの著作は、既に米国が参戦し、且つドイツが劣勢に立たされているこの時期に目にしたヒトラーにとって大きな慰めであったことは疑いない。この本を読み、「戦争の真犯人はルーズベルト」であると演説したヒトラーであったが、それが戦況を変えることにはならなかったことは言うまでもない。
そしてここで取り上げられる最後のヒトラーの蔵書は、ベルリン陥落と自殺直前に奇跡を期待して読んだと思われるトマス・カーライルの「フリードリヒ大王」である。1761年後半、敵対するオーストリア、フランス、ロシアの圧倒的な力の前に滅亡の」瀬戸際まで追い込まれていたフリードリヒが、不倶戴天の敵であったロシアの女帝エリザヴェータが急死し、後を甥で大のドイツ贔屓であったピョートルが継いだことで「奇跡的」にこの苦境を克服した故事に慰めを見出していたという。ルーズベルトの死去という知らせを喜ぶヒトラーであったが、もちろんこの奇跡は起こることがなかった。ヒトラーがその最後の時間を過ごした総統地下壕を視察する米への写真が掲載されているが、そこに移っている何冊かの大部の本が、この本であったかどうかは確認されていない。
一人の人物の読書経験を、彼の蔵書とそれに本人が加えた書き込み等を基に読み解くという試みは、確かに説得力のある議論である。特にその人物が歴史的な重要性を持っている「読書家」である場合は猶更である。もちろん、日経新聞の「私の読書日記」等で、多くの人物が自分の読書経験について書いたりしているが、ヒトラーの場合は、彼が並外れた読書家であったことから、こうした外部からの分析が価値を持つことになる。そして実際この作品を読んでみると、彼の生涯をこうした読書経験から読み解くことは、確かに意味のある作業であると感じさせる。既に何度も同じようなヒトラーとその時代の歴史を見てきた私であるが、こうした観点から同じものを見ると改めてその時代が生き生きと蘇ってくるのを感じたのである。そして歴史的な重要性は全く比較にならないが、既に高齢者の域に入った自分自身の読書経験を、自分が過ごしてきたそれぞれの時代の記憶と併せまとめてみることも面白いかな、と思い始めているのである。
読了:2021年6月29日