アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第四節 ナチス
ヒトラーに抵抗した人々
著者:對馬 達夫  
 2015年11月出版の著作で、著者は、1945年生まれの秋田大学名誉教授(出版時点)。今まで、ヒトラーに対する抵抗運動についての著作は、「白バラの祈り」等、いくつか読んできたが、この新書はそれまで読んだどれよりも、読了後、暗い気持ちにさせられる。それは、何よりも、それらの反ヒトラー活動で、実行した者たちのみならず、その連帯責任によりナチスに処刑された人々の運命を克明に記載していることによる。また刑の執行は免れたものの、戦後を含めて、周囲から蔑まれた家族や親戚のその後も詳細に追いかけている。もちろん、処刑された者の死に際や、残された家族の生き方には見事なものも多いが、それ以上に、ナチスが関係者を洗いざらい検挙し、処刑、投獄していった様子は、今まで読んだどの著作よりも凄惨な印象を与える。そして、こうした反ヒトラー運動の多くが、冷戦下の英米などの思惑により、戦後のある時期まで、ほとんど知られることもなく握り潰されていた実態なども批判的に考察されている。改めて、この時代を振り返ると、たいへん暗い思いが蘇るのである。

 取り上げられている反ヒトラーの活動は、プロテスタント告白協会や「ロート・カペレ(赤い楽団)」、あるいは市民による「エミールおじさん」活動等によるユダヤ人救援活動に始まり、続けて「大モルトケ一族の末裔」ヘルムート・モルトケら国防軍将校に率いられた「クライザウ・サークル」、ライプチッヒ市長ゲルデラーらに率いられた「ゲルデラー・サークル」、ミュンヘンのビアホールでの爆弾テロ(1939年9月)を実行した「孤独な暗殺者」ゲオルク・エルダー、「7月20日事件」(1944年)のシュタウフェンベルグ、そして「白バラ」(1943年2月)のショル兄妹らに移っていくが、まずは、こうした人々も、当初はヒトラーとナチス政権による経済再建を評価して、ナチス台頭を支えたことが説明されている。こうした人々は、ナチス本来の人種政策が先鋭化するに従い確信的な反ナチス抵抗者となっていくが、その際も、国民の多くはナチスを支持していたことから、事件の多くは秘密裡に処理されたとは言え、国民の多くはこうした反ヒトラーの動きを「国家への裏切り」と捉えられていたとされる。その結果、迫害されるユダヤ人らの支援を行った人々を含めた密告が常態化し、それが上記のような関係者の徹底的な処刑となっていったのである。

 その上で、著者は、夫々の活動とその顛末、そして関わった人々への弾圧と処刑を説明していくことになるが、ここでは細部には立ち入らない。ただ、中には例えば、国防軍が計画した「9月陰謀」について、チェコスロバキア・ズデーテン割譲をヒトラーが要求した際に、対英仏戦が不可避となった際に、ヒトラーを排除するクーデター計画であったが、英国チェンバレンがヒトラーに譲歩し、ズデーテンを割譲したことで実行されず、尚且つこの経験がその後の国防軍内部での反ヒトラー・クーデター実行を躊躇させるトラウマになったといった興味深い指摘もある。また「7月20日事件」では、ゲシュタポの「特別委員会」が、7000人に上る逮捕を行ったことで、ナチ幹部からも「かえって人心の動揺を招く」という声が出され、以後事件の報道が抑えられた他、大半の逮捕者も2−4週間で釈放された、という裏話もある。しかし、この暗殺未遂により、「広範な層にヒトラーへの同情と謀反人への憤激が巻き上がった」というのは、ほぼドイツの大戦での敗北が明白となっていた時期であったにも関わらず、ナチスが国民感情を支配していた、ということを物語っている。もちろん、著者がそう指摘する理由は、必ずしも明確ではないが・・。また、この事件の民族法廷を指揮したフライスラーが1945年2月の空襲で死亡したことで、この事件に関り起訴されていたシュラープレンドルフが助かった、とあるが、この男の息子は、私が1990年代に勤務していたドイツの会社の一方の株主から派遣されてきた役員であったが、個人的には貴族趣味の嫌な奴であった記憶が残っている。

 最後の部分では、ナチスに処刑された人々の関係者で生き残った者たちの戦後の苦労と、それにも関わらず死者たちを復権させるために懸命に生きた姿を描いているが、これはこの本の中では少し救われる部分ではある。ただ戦後の占領政策の中で、こうした反ヒトラー運動は、占領軍の中で意識的に伏せられたという。「あくまでヒトラードイツが内部の敵対勢力の助力なしに無条件降伏したという事実が必要とされた」のがその理由であったとされる。そんなこともあり、こうしたドイツ人による抵抗運動を伝える著作は、占領政策が続いた1947年頃まではドイツでの出版は許可されず、海外で出版されたというのも、今回学んだ事実であった。

 こうして、反ヒトラーの抵抗運動が戦後日の目を見るのには、時間を要することになる。「7月20日事件」については、1951年、戦後復活してきた右翼指導者が、シュタウフェンブルグらを「謀反人」とする演説行ったことにつき名誉棄損裁判が行われ、それがヘッセン州検事長のフリッツ・バウアーらの努力により有罪とされたことで評価が固まることになる。しかし、その際も関連する「ロート・カペレ」については、東西冷戦期の「共産主義」対応で切り離され、それが復権するには1970年代、ブラント政権の東方政策を待たねばならなかった。そして単独犯であるエルザーが復権するのは、1980年代のコール政権下までかかったという。

 ということで、ナチス政権下での反ヒトラー運動の悲惨な姿を改めて確認させられた著作であった。それは関係者が厳しい弾圧にあったということだけでなく、戦後もこうした活動が復権されるまでには、夫々の時代の中での政治的な思惑も絡み時間を要することになったという二重の意味での苦難であった。もちろんそうした過程を経たことで、現在はこうした活動が広く知られることになり、そこで命を落とした者たちも歴史に名を残すことになった訳であるが、それがたいへん悲しい歴史であることは間違いない。我々は、そうした時代を生きる必要がなかったことの恩寵を十分に噛みしめながら、日本や周辺諸国の状況を見て行く必要がある。そこでは引続き、権威主義的傾向が残ったり、また強まったりしている国が多いし、また日本でもそうした状況がまた発生する可能性がない訳ではないことも肝に銘じるべきであろう。

 尚、著作中で、ユダヤ支援運動の一つとして紹介されていたアンジェ・ワイダ制作の映画「コルチャック」(1990年)は観ておかなければならないだろう。

読了:2021年12月23日