歴史修正主義
著者:武井 彩佳
ナチスに関わる犯罪等、歴史的に確認されている「ジェノサイド」をなかったものと主張する言論について、法的な規制を行うことが、民主主義社会においてどこまで許容されるか、そしてそれが許容される場合の条件とは何か、といった問題を、欧米での実際の豊富な事例を通じて考察した新刊(2021年10月刊)の新書。著者は1971年生まれで、現在は学習院女子大学教授。ドイツ現代史、ホロコースト研究の専門家である。
民主主義や自由主義を否定する言論は、民主主義・自由主義社会でどこまで認められるか。それについて戦後社会の中で大きな議論となったのは、言うまでもなく「ホロコーストの否定」問題である。それは、それまでの公認の歴史の否定であることから「歴史修正主義」と呼ばれるが、「ホロコースト否定」以前にも、多くの例(ドレーフュス事件、「シオン賢者の議定書=ユダヤ陰謀論」、マルクス主義の「修正」等々)があった、というところから著者は議論を始める。実証史学において、「事実」とは何か?またそこに「真実」というものはあるのか?それは端的に言えば、「歴史」は、「事実」の歴史家による「解釈」であり、同じ「事実」を使用しても、その「解釈」は多様であり、また現在の関心によっても異なってくる。そうした意味で、「歴史」とは、現在の地点から綴られた「解釈」で、現在の時点で多数の支持を得ている見方に過ぎない、というのは多くの関係者が指摘しているとおりである。そして当然ながら、歴史を、国家が政治的に書き換えることも一般的に行われていることも事実である。しかし、「歴史解釈」がそうした相対的なものであるとしたならば、例えば「ホロコースト否定」といった言論はどこまで許容されるのか?それは時代と共に変わるものではないのか?それにも関わらずそれを否定しようとすれば、そではどのような論理によってなのか?
既に第一次大戦の原因について、アメリカ人のH.E.バーンズという歴史家が、アメリカが参戦したのは「正義」の戦争ではなく、政治・経済的利害からであったとする議論を展開し、ドイツを擁護したという。その後彼は第二次大戦についても、ルーズベルトは、日本の真珠湾攻撃を知っていながら参戦するためにあえて攻撃させたという「陰謀論」を展開し、また欧州の戦争も、ヒトラーよりも連合国に問題があると主張したという。彼は結果的に米国の学界からは放逐されたが、それ故に彼は益々自分の学説への攻撃には権力の介入があったと主張し続けることになる。
同様の議論は、第二次大戦後、「ニュールンベルグ裁判」への批判としてまず顕在化する。著者は、これが「皮肉なことに歴史修正主義の『生みの親』」となったと記しているが、その通りであろう。実際、戦後も一般市民の間ではナチスが全面的に悪かった、という意識は薄く、国際社会に復帰するために「ドイツはナチスを克服し、民主主義国家に生まれ変わった」という建前を示す必要があったという「政治性」を帯びていたというのは説得力のある議論である。こうした中で、1950年代になると激化した東西冷戦もあり、社会復帰した元ナチ党員のみならず、それ以外の人々からも「ヒトラーに責任なし」といった主張が頻繁に聞かれるようになる。そこから「反ユダヤ主義」「反アウシュヴィッツ」に至るのは自然な流れであった。但し、その時点では「市民の大半はナチスの復活や礼賛を望んでいた」訳ではなく、当時の彼らの最大の関心は、むしろ「経済復興がもたらす生活の安定」であったという。
そうした歴史の書き換えの議論が、戦後史の中でまず先鋭的に表れたのは、むしろフランスで、例えば1949年、ジャーナリスト/文明評論家のM.バルデシュがホロコースト否定の著作を公表したという。ただこの時彼は「虐殺擁護」で軽い罪を負わされた程度で釈放されたという。またP.ラシュニエといった元共産主義者も、同種の議論を展開した。そしてそうした議論がより頻繁に聞かれるようになったのは1970年代に入ってからである。その背景には、同時代の若者の反乱に対する懸念やイスラエルの軍事強国化等があったとされる。そこではドイツ系アメリカ人のA.アップやイギリス人R.ヴェラルといった名前が、反ユダヤ、反アウシュヴィッツの提唱者として挙げられている。そしてそれまでは、学問的な根拠もない虚言として無視していた人々も、彼らに対する本格的な反論を開始すると共に、特にドイツではそれを取り締まる法的議論が沸き起こることになったという。面白いのは、アップ等のホロコースト否定論者のプラットフォームとなっていたカリフォルニアの「歴史修正研究所」が募集した「ユダヤ人がガス室で殺されたことを証明する」コンテストに応募したマーメルスタインというアウシュヴィッツ生存者が、彼の議論が却下された後、「契約不履行」の訴訟を起こし、それにより反アウシュヴィッツを巡る問題が社会に広がることになったという。そしてドイツやフランスでも、再びナチス残党や反ユダヤ主義者からの「ガス室などなかった」という議論が聞こえるようになる。特にR.フォリソンというフランス人の議論が、アウシュヴィッツ否定論とそれに対する反論を掲載するという企画で「ル・モンド」に掲載されたことで注目を浴びたという。彼は複数の人権団体等から民事訴訟で訴えられ、最後は1990年にフランスで成立した「ゲソ法」での有罪第一号になったという。また1985年と88年にカナダで行われたE.ツンデルというドイツ出身ネオナチの裁判(「ツンデル裁判」)、そしてその際ツンデル側の証人として「ガス室内の毒ガスの残留はない」との検証を提出したF.ロイヒターの報告も、こうした議論の広まりに対する懸念を国際社会に認識させることになる。
こうした状況下で、いくつか関連する事項が取り上げられる。まずは、1986年にノルテ対ハーバーマスの論争から始まり多くの歴史家等が参加した「歴史家論争」。これはかつて学生時代に私自身が詳細にフォローしたので、内容はよく分かっているが、現在の著者の視点からは、これは「学術論争であると同時に政治的な論争であった」ということになる。それ故に、ソ連の崩壊と冷戦の終焉という国際環境の変化により、ノルテ等の「過去に終止符を打とうとする」議論が、必ずしも「歴史修正主義」と批判されることがなくなったが、他方で、「極端な歴史の歪曲や史実の悪意ある否定を、百害あって一利なしと断言する社会的合意が形成された」というのが著者のこの論争の総括である。
後者の一例が、2000年、ロンドンで行われた「アーヴィング裁判」であるという。これは戦争著述家として成功していたイギリス人D.アーヴィングが著作で、「ヒトラーはホロコーストを知らなかった」、そしてある時期以降は「アウシュヴィッツでの虐殺はなかった」等と記したことに、米国の歴史家D.リップシュタットが批判したことで、前者が後者を名誉棄損で訴えた裁判であった。この裁判では、リップシュタット側が多くの学者の支援を受け、大部の報告書を提出。裁判結果は、名誉棄損は成立せず、アーヴィングは莫大な訴訟費用を請求され、破産に追い込まれると共に、文筆家としての生命を絶たれることになったという。そしてこの裁判は、「ホロコースト否定論が根拠のない妄言であると裁判所が断定した」という意義を持つことになる。
こうした過程で、特に欧州各国で、反アウシュヴィッツを法的に規制する動きが強まることになる。ドイツでは1994年に、刑法130条の「民衆扇動罪」に、第三項として「ホロコースト否定禁止」条項が加わった他、2005年には第四項として「集会などでナチ支配の賛美・正当化を行う」ことも禁止される。そして欧州諸国を中心に、同種の刑法規定が設けられることになっていく。ここで面白いのは、旧東欧諸国が、その関連で「共産主義の犯罪」を否定することも、その対象にしているという点で、これは冷戦終了後の新たな動きと言える。従って、こうした「ホロコースト否定」といった言説は、欧州ではもはや「言論の自由」の範囲外という共通認識はできていると言える。他方で、フランスのジャン=マリ・ルペンのように、この法律で何度も有罪判決を受け罰金を支払っているが、そうした発言を止めることはないという例もあり、こうした確信犯に対しては、法律の効果が限定されることも事実である。またこうした対象に、どこまでの範囲を含めるかという問題として、19世紀初めのオスマン・トルコによるアルメニア人「虐殺」の事例を挙げている。
こうした「言論の自由」の制限への懸念は米英では根強いとは言え、アメリカでは、「表現に暴力を誘発する明白で差し迫った危険がある場合」は規制対象となり、また日本でも2016年に施行された「ヘイトスピーチ解消法」により、「自治体による独自の規制が始まっている」という。しかし、米国では、例えば昨年の大統領選に際して、「不正があった」と主張するトランプが、「議会を選挙しろ」とアジったことがそれに該当するかが議論になったのは記憶に新しく、実際の適用は簡単ではない。刑事罰に該当するかどうかの前に、SNSでの投稿を許容するべきかどうかというのも判断は微妙である。また日本の場合には、この「解消法」が適用されたというニュースは、個人的にはあまり記憶がない。実際、戦後の日本では、ドイツの様に、戦争や戦争指導者の礼賛が大きな社会問題になったという議論もほとんど聞くことはない。日本の場合は、戦後、米軍の管理下で天皇制が維持されたこともあり、右翼軍国主義者が、あえて騒ぎ立てる必要はない、と考えたことも一因なのであろう。また最近時々話題になる、朝鮮系の人々を蔑むヘイトスピーチも、社会的にはほとんど賛同されていない。そんなこともあり、この戦争責任やその際の虐殺等の行為を巡る言説が、日本では社会問題とはならなかったのであろう。しかし、中国との間では南京大虐殺についての問題、韓国との間では慰安婦や徴用工問題が、これに関連する課題となっている。それらを否定する言説が大きな話題とならないのは、ある意味著者の言うところの「政治的」脈絡の中で、あえて歴史的な検証もきちんと行われていないということもあるのだろう。それと比較すると、明らかにナチスの行為は歴史的な検証度は大きく異なる。
とは言いつつも、こうした過去の負の遺産を否定する言説と「言論・表現の自由」との関係は、日本を含むどの国でも、何か契機があれば政治的・法的な論争となり得る。その際、日本でもSNSへの投稿を含めて、その限界について真剣な議論を行うことになるのであろう。この新書は、そうした際の参考例として十分意味のある素材を与えてくれるものであると言える。
読了:2021年12月29日