アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第四節 ナチス
もう一つの〈夜と霧〉
著者:X.E.フランクル 
 昨年(2021年)11月、「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」等のフランクルの著作に触発された元朝日新聞女性記者の随想を読み、かつてアウシュヴィッツを訪問した際の感慨を思い出していたところだったが、同じような著作を図書館で見つけた。前に読んだ著作で語られていたのは、「遅れてきた世代」である著者が、フランクルの関係者に接しながら、生身のフランクルを感じる試みを行うと共に、そこから導かれたフランクルの思考―というよりも人生への向かい方―が、現代の我々を取り巻く多くの事象にも多くの有意な示唆を与えていることであった。それは秋葉原での無差別殺傷事件等の被害者であったり、あるいは、まさにこの論考が朝日新聞に連載され完結した直後に発生した東北大震災・津波・原発事故の被害者であったりする。人生に絶望する事態に見舞われた人々に、「それでも人生にイエスと言う」というフランクルの想いは多くの救いをもたらしてくれる。そうした思いを込めながらのフランクル紀行であった。ただそうした想いは、私がこの本に期待したものではないことから、その期待を込めて、もう一冊図書館にあったこの関連本を手にすることになった。

 改めてフランクル自身の年譜を確認しておくと、既にウィーンで神経科医として活躍していた彼が家族ともども捕らえられ、チェコのテレージエンシュタットに送られたのが1942年。そしてその後1944年、妻と共にアウシュヴィッツに移送されるが、そこからダッハウを経て、1945年4月テュルクハイム強制収容所で解放された時は40歳であった。その後は1946年に「夜と霧」を出版するなど、1997年に92歳で逝去するまで多くの著作や講演活動を行うことになるのである。

 今回の関連本は、このフランクルが収容所時代に構想し、解放後の1948年に、別の名前で発表した「ビルゲンヴァルドの共時空間―ある哲学者会議」という戯曲を収録し、それに関わる日本人関係者の各種解説や対談等を収録した、ややマニアックな著作である。解説によると、この戯曲は、発表時はあまり話題にならなかったが、1977年に彼の「夜と霧」の再版本に加えられたことで注目され、その後欧米では実際に演じられたという。そしてそれを受け、日本でも2011年に、この戯曲の邦訳も出版された。

 ただこの戯曲であるが、収容所を舞台に、ソクラテス、カント、スピノザという哲学者3人と、収容所にいる人間(囚人や、ナチの警備員等)が繰り広げる「思想劇」で、正直、理解するのは簡単ではない。本書の後半に収録されている識者の解説によると、ここには「人間の真実の生き方や在り方、宗教的・道徳的・形而上学的価値や真理あるいは広義の文明批判が含まれており、同じ過ちを繰り返してはならないというフランクルのメッセージが込められている」ということであるが、そこまで深く理解する程、フランクルに入れ込める訳ではない。もちろんフランクルの心理学は「絶望に効く心理学」であり、収容所という極限状況でも希望を失わなかった彼の姿が、戦後の彼の心理療法に説得力を持たせたのは間違いない。更に、囚人の中にも、他の囚人のパンを奪い自分だけ生きながらえようとした者、他方でナチの中にもこっそりとパンを渡す者もいた、といった観察から、「人間は(極限状況でも)個人の決断次第で天使になれる可能性を失わない」といったポジティブな発想が、時代が変わってもそれぞれの危機に立つ人々に希望を与えてくれるということになるのだろう。父母と最初の妻、そして妹夫妻を収容所で亡くし、一人生き残った壮絶な体験を、フランクルは、被害者意識の塊としてではなく、むしろ第三者的な冷静な筆致で報告したことで、逆にこの壮絶な体験を浮き上がらせ、そしてそれに立ち向かう人間のポジティブな心を際立たせることになるのである。そして前に読んだ著作の評でも書いたが、かつて学生時代にこの本を読んだ時は、そうした感情はなく読んだと思うが、著者と同様、その後の人生を重ねていく過程で、より感情を込めて彼の体験を反芻することになるのはある意味当然であろう。私も仕事を辞めた今になって、いったい自分の人生は何だったのか、と思い悩むことの多い今日この頃であるが、フランクルの人生に対する姿勢は、そうした不安を追い払ってくれる力を持っているのである。彼に比べれば、自分の置かれている環境など、全く悩むようなことはない。そしてまだまだ人生は生きるに値するのだ。思想劇は理解できなくとも、こうした気持ちは改めて確認することができる著作であり、それは前著で満たされなかった期待―それは収容所のより詳細な描写と、それを通じてのフランクルの更に踏み込んだ考察への期待であったと思うーに応えるものではないが、十分満足できるものであった。
 
読了:2022年1月10日