アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第二章 政治
第四節 ナチス
ヒトラーに傾倒した男  A級戦犯・大島浩の告白
著者:増田 剛 
 大島浩は、第二次大戦時のドイツ大使として、ヒトラーと親密な関係を構築、日本が枢軸国との連携を進める過程で重要な役割を果たした上、欧州での戦況がドイツに厳しくなってきた際にも、それに反する「ドイツ優勢」という情報を本国に送り続けたことで、日本の戦況判断を誤らせたというのが大方の評価である。彼は、戦後行われた極東裁判でA級戦犯として有罪、一票差で死刑は免れ無期懲役となるが、その後恩赦で釈放され、以降は、自身の責任を感じながら茅ケ崎の自宅で、ほとんど世間とは接触しない蟄居生活に入り、1975年6月、89歳の生涯を静かに閉じることになる。

 この大島と、1973年頃、日独関係史を専門とする若き研究者、三宅正樹が親しくなり、多くの大島のインタビューをテープに残していた。そのテープについて大島の死後の2020年、大島未亡人から公開することについての了解が得られたことから、それを元にNHKが2021年8月、衛星放送の特別番組が制作・放映された。この時、私は既に日本に帰国していたが、この番組を観た記憶がない。おそらく情報を得ていれば間違いなく観ていたと思うのだが、不思議である。いずれにしろ、その番組を基に、番組のディレクターが書籍の形でまとめたのが本書である。

 インタビュー当時86歳の彼の回想自体は、歴史研究上は、それほど新鮮なものはない。東京裁判では、ヒトラーやリッペントロップとの個人的な親密さを否定、あくまでも外交官としての公式関係だけであったと主張し、死刑を免れた男であるが、このインタビューでは、それらについて結構饒舌に語っている、あるいはそこから垣間見られる、彼が主導した日独伊三国同盟の舞台裏といった点が特記される程度である。ただこの関連取材でインタビューしている人々はそれなりに興味深い。例えば、取材当時88歳であったリッペントロップの娘による、父と大島夫妻との交流の思い出、あるいはドイツ外交史研究者、田嶋信雄による、大島の「スターリン暗殺計画」への関与の話、そして大島の「ドイツ優勢」という情報に日本政府が傾倒する中、他方で「ドイツの国力を客観的に分析した」陸軍省戦争経済研究班(通所「秋丸機関」)を率いた秋丸中佐の手記と、彼の息子による情報発信等。そして最後は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった大島に異を唱え、結果的に冷遇されることになった当時のハンガリー大使大久保利隆のメモを保管・公表している彼の孫娘。こうした取材から見えてくるのは、日本全体が破滅的な戦争に突き進んでいく中、それを冷静かつ批判的に見ていた人々もいたが、彼らも結局その大きな波に押し流されていったという寂しい事実である。そしてその流れを作った一人も、結局は戦勝国から断罪を受け、悔恨を抱きながら無為な老後を過ごすことになったのである。戦争は、多くの戦死者に加え、支配層にも多くの哀れな人々を生み出す。現在のウクライナを巡る戦争でも、いつかこうした断罪が行われるのだろうか?その時プーチンはどんな運命をたどることになるのだろうかと考えてしまう著作であった。

読了:2023年7月12日