入門 現代ドイツ経済
著者:W.R.スマイサ−
「入門」と名うってはいるが、本格的なドイツ経済論であり、個人的な興味と職務上の必要の双方につき有益な情報を与えてくれる書物である。以下、ドイツ経済を理解する上で重要と思われる事項を中心に簡単に整理しておきたい。
まずドイツ政治史の転換点となった日付。Stunde Null(零時間)と呼ばれる1945年5月8日。続いて1949年5月23日の西ドイツ建国の日、ソ連の戦車がベルリンの反ソ暴動を鎮圧した1953年6月17日、ベルリンの壁の建設が始まった1961年8月13日、そして再統一が行われた1990年10月3日。経済史ではそれに旧通貨であるライヒスマルクに代わりドイツマルクが導入された1948年6月20日。
次に、政治指導者。初代首相で復興の指導者となったアデナウア−(1949〜63年)、経済相としては西独の高度成長の旗振り人になりながら、首相としてはその経済の滅速故に退陣したエアハルト(1963〜66年)、経済相シラ−の「総合的な誘導政策」が奏効し、安定経済成長路線に転換した第3代首相キ−ジンガ−、福祉国家への転換を図りつつも、その結果財政硬直化を招いたブラント(1969〜74年)、2回の石油危機の時代に国際協調路線を推し進めた「仕事師」シュミット(1974〜82年)、そして経済省の二人の次官シュレヒトとティ−トマイヤ−の協力を得た経済相ラムズドルフが仕組んだWende(転換)により誕生した第6代のコ−ル政権(1982〜)。以上が政治的背景である(1993年現在。もちろん、1998年以降は第7代シュレ−ダ−が就任している−後記)。
「ドイツは株式会社か」と題したドイツ経済の奇跡を担ったメインプレ−ヤ−の紹介が行われるなかで、当然最大の関心を引くのはドイツ連銀である。1957年の連銀法で「ドイツ通貨の価値の保護者」であることを義務付けられた連銀は、もう一つの役割である「連邦政府の一般的な経済政策を支援する」義務を、「連銀は運邦政府の指導から独立している」という規定により有名無実化する。理事会メンバ−の過半数が、州政府の任命によることで、人事的にも連邦政府からの独立が保障されている。
こうした連銀の独立性が、我々の仕事の中で、常時数々の憶測を呼んできた。シュミットの回想録で、如何に連銀対策に苦労したかが度々語られているが、こうした政府と、連銀の緊張関係は、ドイツ金融システムの健全性の証左である。1978年と79年にERM創設問題で、また1990年には東独マルクの交換比率問題で、連銀は政府に押し切られた形になったが、それさえも、経済政策の観点からの批判を明確にした点で、決してなしくずしに行われたものではない。他方、1992年7月の利上げのように、連銀の政策が、欧州経済、金融の混乱をもたらすことさえもある。本年10月以降、ティ−トマイヤ−が総裁を引き継いだ後、この政府との緊張関係が維持されるかどうか、興味津々である。
「ドイツ流はあるか」:ドイツ企業は価格競争を嫌い、製品やサ−ビスの優劣を問う競争に従事する、という。ドイツ人はアメリカの経営者が、工場や機械よりも財務諸表や収益に関心を払うのに驚愕する。行政府との協力、協調、労使一体の経営哲学は、日本的経営との共通性である。加速償却や各種引当金による内部留保の税制面での優遇は、ドイツ企業の長期的観点からの経営を可能にする。こうした特徴を著者は「ドイツ経営の10の特徴」として整理しているが、これは我々の仕事を遂行する上で常に意識すべき事項である。
またドイツ産業の主流が、決して名の知れた大手企業にあるのでなく、ドイツ人が「中産階級(Mittelstand)」と呼ぷ中小企業にある、という指摘も興味深い。この種の企業は法人数でドイツ企業全体の98%を占め、80%の労働者を雇用し、輸出のかなりのシェアを握っているという。これも表面には出ないドイツの競争力であると共に、この国の企業との取引開拓を難しくしていると言える。
「質の高い労働時間」という観点は、80年代終わりの各国の年間労働時間に示される。ドイツ:1708時間に対し、フランス:1763時間、英国1778:時間、米国1912:時間、日本2168:時間。
その一方で、国際貿易に占める技術面で高度なものの比率はこれらの国よりも高い。著者はその労働効率を、ドイツ特有の職業訓練システムに求めている。
「証券市場が弱いのはなぜか」という項は、まさに私が日常的に感じでいることを簡潔に要約している。1990年末で、619社のみの上場会社数、大部分の企業はエクイティ・ファイナンスに手を出さず、また投資家も株より債券を好む。ドイツの銀行にとっては資本市場は、資金の供給源としての補完的市場にすぎない。結局、ドイツの銀行による産業支配にもかかわらず、「金融システムは工業、商業、銀行経営の『しもべ』であり、『あるじ』ではない」ということになる。
こうしたドイツの経済システムにも根本的な問題は存在する。著者は以下の5項目に要約している。即ち、@近代化の失敗、A研究開発やニュ−・ベンチャ−の不足、B工業立地上の欠点、C過大な政府の助成そしてD国家の負担の増大、である。これらの要素は、今まで見てきたように強力で安定したドイツ経済が、一方で活性化を欠き、我々日本人の目から見ると停滞しているように見える原因なのであろう。ドイツ人自身がこうした問題をどう考えているか、という点は、今後いろいろな機会に調べてみる価値があろう。
こうしてドイツ経済を理解する重要な視点という観点から気付いた点を抽出した。著者は更に、ドイツ経済を運営してきた理論の変遷、統一問題、国際通貨、金融、貿易戦略、そしてEC政治、経済、通貨統合におけるドイツの役割を概観しているが、これらは金融業務に従事するものにとっては日常的関心事であることから、ここでは詳細の紹介は割愛するが、これらの議論においても著者の全体的な整理と問題提起は、多くの刺激に満ちている。既に第二章で取り上げたD.マ−シュのドイツ論は政治、文化を中心としたドイツの良き解説書であったが、それにこの書物によるドイツ経済の分析を加えれば、包括的なドイツ像が現れる。その意味で確かにこの書物は「入門書」であると共にそれ以上の含蓄を有している。今後何度も帰っていくことになるであろうドイツ経済についての良き案内である。
読了:1993年6月19日