ユ−ロプルナ− 新生欧州を率いる企業家たち
著者:H.A.ヘンツェラ−
マッキンゼ−(ドイツ)所属の研究者の著作で、訳が大前研一、出版社がダイヤモンド社ということで、この書物が実務的な使用価値の高いものであることは約束されていた。実際この書物のいくつかのネタや主張は、日本からの客に対する説明を含め、ドイツについて実務的な関心を持っている人々にとっては大変有効である。そして確かに実業界から見れば、まさに足もとで発生しつつある産業構造や経営の転換という変化を欧州、なかんずくその中でも地域的な比較優位を保ち、強い牽引力もっていたドイツの企業及びその経営者の具体的な変貌の中に確認していくことは意味のあることであろう。これまでは、このドイツ書物慫慂もやや政治や経済の理念や歴史を中心に追いかけてきたこともあるので、ここでは足を地に付け、実業界で何が起こっているのかを見ておこう。
世界経済の「ポ−ダ−レス化」が着々と進行する中で、欧州企業の側からもそれに呼応し、企業の多国籍化を推進する動きが着実に現れつつある。欧州統合は、一方でアメリカ、アジアに対抗するブロック経済創設という意図を持っていると共に、他方では伝統的な国内企業に欧州規模で経営を考えることを余儀なくさせる。欧州統合自体の政治的な問題性にもかかわらず、特に80年代以降、産業面ではこうした新進気鋭の経営者の世代が誕生してきた。90年代の不況・リストラで、現在は一時的に停滞を強いられているとは言え、こうした欧州規模、そしてひいては世界規模で思索することのできる新しいタイプの経営者を著者は「ユ−ロプルナ−」と呼ぷ。そして著者はこの「ユ−ロプルナ−」の成功のパタ−ンや経営哲学、欧州独自の経営文化、欧州中堅企業の役割、欧州型成功モデルの将来に向けての有効性等について検証していくのである。
90年代の欧州で明らかになった問題群−低迷する成長率、失業率の急騰、補助金と既得権に起因する財政赤字、生産性とイノベ−ションの立ち遅れ、公共機関におけるコスト意識の欠如、価格・品質面でのアジア企業との競争激化等−が、新たな政治的環境−東欧の崩壊と再建、環境問題の高まり、地域紛争と移民の増加等−の下で発生している。欧州企業はその伝統的な経営姿勢故にこうした問題に十分対応できていない。
しかし、こうした悲観的見方に対し、著者はユ−ロプルナ−の楽観論を以下の論理で対峙させている。即ち、@80年代に成立し、成長したのは「欧州共同体に即した経済」であること、Aその発想の基礎には欧州の過去の誤りに敢然と立ち向かう姿勢があることである。そしてこうした未来に向かう変化と過去の不安定性から脱却しようとする努力の中から、産業界においては新たな企業家のパ−ソナリティ−が誕生してきた、と言うのである。
それではこうした企業家のパ−ソナリティ−とは何か。著者はまず、現代の国際経済をリ−ドする米国、日本そして欧州の資本主義の特徴を以下の様に整理するところから始める。
@米国モデル:制約のない自由市場経済と個人の成果を基礎とする。経営者の関心は四半期の業績、株価動向、自社の企業イメ−ジ。ストック・オプションが、企業の目標を個人的目標に合致させる。ゲ−ムが公正である限り所得格差は容認される。
A日本モデル:私的利益を追求するが、それは企業や系列(企業グル−プ)であり、配当所得を受ける投資家ではない。経営者は、利益を株主や従業員に分配するのではなく、企業の再投資に回すよう期待される。中期的な企業経営を保証する市場シェアの重視。国民の同質性と中流意識。他方低い社会資本・社会保障。
B欧州モデル:独自の文化的遺産を持つ社会・民族グル−プ、国民運動、政治的諸党派、宗教的影響、歴史的反目と階級対立の全てを、政治一般、社会政策、及び産業に取り込むという社会的責任。地中海・モデル、プロテスタント・ゲルマン・モデル、イギリス・モデルで相違はあるが、基本的には社会的な個人主義と効率的な集団主義の組合せ。底流に罪の自覚。多面的社会・文化遺産と共存できる経済システムを創造・維持すると共に、貧富の格差の拡大を抑える必要。社会的一体性を保つためには、効率や利潤をある程度犠牲にしてもしょうがない、との広い合意。国、地域、コミュニティの不可分の構成部分としての企業という経営者意識。
しかし、こうした欧州モデルの戦後における発展の基礎にあった社会契約が、次第に効力を失っている現状がある。社会的間接費、福祉の見直しと「来るべき経済的・技術的変化に直面した際の適応力の欠如」が社会的亀裂を増幅させる危険を高めるのである。他方欧州モデルは未来に向けて活用しうる資産も有している。それは例えば、国際的思考の伝統、グロ−バル化している世界市場でも必要な地域適応力、環境技術や情報通信での技術ノウハウや熟練労働力、強力なOBネットワ−ク、長期的なパ−トナ−シップの伝統、統一市場形成過程での比較優位の実態についての学習効果等である。そしてそれを企業社会の中で実践していくのが、著者の言う「ユ−ロプルナ−」達なのである。
こうした新世代の経営者として著者が挙げているのはドイツ系であればドイツ銀行の故ヘルハウゼンとコッパ−、VWのハ−ンとピエヒ、シ−メンスのカスケやピエラ−、ダイムラ−のロイタ−、ベアテルスマンのベスナ−、BMWのフォン・ク−ンハイムらであるが、彼らは産業政治家として、益々重要な社会問題に関与せざるを得なくなっているのである。確かに戦争の時代には軍人が登用され、第二次大戦後のような混乱と再建といった政治の時代には政冶家や官僚が力を振う。そして現代では政治的課題は依然多いとは言え、相対的な関心は政治から経済に移りつつある。即ち、先進国においては、経済さえ安定していれば多少の政治的混乱は許容できるし、逆に途上国の混乱も、一義的には経済のパイの寡少性に起因しているとすれば、言わば経済を制する物が政治的実権を握る時代に移ろうとしているのである。時代がそうであれば、その経済界の指導者たちの社会的評価は拡大する。しかし、評価を得るための彼らの課題は簡単ではない。ヘルハウゼンの整理によると、欧州の経営者の目標は、@競争原理に基づく業績目標の達成と弱者の保護、A個人の自由と責任、B自由競争による利潤の追求と市場秩序の維持・コントロ−ル、という相矛盾する目標を同時に達成することにある。欧州企業・経営の特徴と言える、優れた製品開発力や結果志向の企業戦略、顧客や納入業者との安定した関係と結びついた長期志向の戦略は、過去においてはこうした両義的目標の追求を助けてきたといえる。更に著者はあまり知られていない欧州企業の特徴として以下の5点を挙げている。即ち@トップ経営陣のチ−ム=集団指導、A長い紐の原則=各分散ユニットに大幅な自主的活動の余地、ドイツ銀行役員の「三重責任」(機能、製品、地域)、B確固たる技術基盤、C政治から得た知識、そしてD「あれもこれも」と呼ぷ総合的経営技法であるが、こうした特徴が国際経済と産業構造の変化の中で再考を促されているという事態は今後繰り返し議論されることになる。
旧西独経済が、著名な大企業のみならず、多くの優良中堅企業に支えられている、ということがよく言われる。ドイツではこうした中堅企業(公式には従業員10〜499人の企業と定義)は、雇用主の約15%、全雇用の50%以上を占めているが、この中には、当該業界の世界市場シェアの70〜90%を占め、世界のニッチ市場でリ−ダ−となっているものが少なくない、と言う。しかも同様に力強い中堅企業文化を有する日本(全企業数の98%が中小企業で、労働人口の58%を雇用)のそれが主要納入先への依存度が高く、国内市場に集中しているのに対し、ドイツのそれはより独立し且つ国際性に富んでおり、更に大企業に劣らない賃金や福利厚生を享受しているのである。こうした企業文化は、後述するドイツ的経営の特色であるが、この分野においても変化の波が訪れてきている。
こうした変化の中で、まずポジティブな挑戦という観点からテ−マを設定すると@国際化−グロ−バル化・EU統一市場対策そして東欧市場の開発、A環境への対策、Bイノベ−ションヘの挑戦、C情報技術への挑戦ということになるが、この内、@及びAの点では欧州企業が歴史的・構造的に優位性を持っているが、B及びCでは逆に米系や日系に劣後している。その意味で、この4つの問題設定は欧州全体の競争力確保の問題であると言える。
これに対し、ドイツ人の著者は、ドイツ企業という観点からの問いも忘れない。その際興味深いのは著者が、「ドイツはその経済的強みの社会的基盤を保持できるかということではなく、それよりも、かつて体験したこともない緊張にさらされているのに、なぜドイツはこれほどまでに持ちこたえているのか」と自問していることである。この質問に対し肯定的な答えを出す場合の理由付けは次のとおりである。
@欧州モデルとしての、ドイツの社会的連帯とバランスという、19世紀後半のビスマルクの制度にまで遡る歴史的伝統
Aドイツにおける政府と民間企業の効率的な関係。政府支出はGDPの46%(1990年)にのぼる−これはフランス、イタリア、スウェ−デンに次ぐ−が、民間企業が効率的な分野は国家の関与が小さい。
Gドイツの環境保護への取り組みは、欧州の未来をリ−ド。
他方否定的回答の理屈は@ドイツの歴史的危険性、Aドイツが産業立地の魅力を欠いていること、そしてB再統一がドイツの立場を独特なものとし、またドイツ経済の回復力に厳しい試練を課していること、の3点である。
ドイツ人として、著者はこれらの懸念を共有しつつも最終的にはドイツ・モデルの有効性を弁護している。もちろん、高い税負担とそれに起因する高い労働コストの問題はあるが、こうした犠牲を払い、ドイツは訓練された労働力や高品質の製品を生産し、インフラも整備してきたのである。そして社会的合意に基づいた労働規律は少なくとも欧州の中での優位性を維持している。ドイツにおける海外直接投資が出超になっているが、これらの投資の多くが国外市場の開拓やサ−ビスの提供を目的にしており、また国内産業の川上/川下にブ−メラン効果を伴いポジティブに返ってくる可能性を考えると、決して空洞化だけを危惧する必要はない。他方、政治主導となったことから、経済的には無理を生じさせたドイツ統一という事態も、今後の取組み方によっては、規制緩和を始めとする新しい実験を通じ企業家たちに新しい事業機会を創出し、成功すれぱ欧州、特に東欧の地域開発の新しいモデルとなる可能性を持っている、と主張するのである。
ドイツ戦後復興の奇跡を支えたエ−トスの比較優位を唱えるか、あるいはその変化と客観情勢の厳しさを唱えるかは最終的には個人的判断の問題となるが、経営という観点から言えば常に過大評価されない範囲での楽観主義は必要とされる。その意味で、困難を認識しつつドイツの経営に賭ける著者の姿勢は間違いなくドイツの経営者の発想であると言える。
最終章で著者は簡単ではあるが、欧州統合に向けた問題点を整理している。ヨ−ゼフ・シュトラウスの「十戒は273語、アメリカ独立宣言は1324語で足りたが、トラクタ−のシ−トの欧州統一規格には1559語必要である。」という言葉は、統合に向けての実務面での膨大な作業を物語っているが、欧州の将来が諸国間の関係の組織的拡大による連邦型での一体化に向かわざるを得ないのは間違いない。著者はその過程でより鮮明に現れることになると思われるテ−マを以下のように整理する。@移民圏としての欧州、南北問題の最前線、A社会保障の再考、失業対策、B運輪・エネルギ−・都市開発等のインフラ整備、C国家機能の縮小、D地域間経済格差の継続、E環境問題、F防衛予算の再考、G技術分野での米国、日本への挑戦、そしてH資本市場の成長という各テ−マである。そして最後に経済コンサルタントとしての楽観主義から、欧州の将来は、「産業が道案内し、政治は不承不承であることが多いのだがそれに従うのだ」と述べる。もちろんこの指摘は、政治と歴史への余りの楽観論に依拠していると言えるが、他方政治の季節の落ち着きと共にこうした経済主導の流れが作られつつあることも確かである。ドイツないし欧州の発展が現状においては経済的安定とある程度の成長に依存せざるを得ない限りにおいては、こうした経済コンサルタントの描くピジョンを、日常業務のための実利的情報としてのみならず、より長期的な歴史展望の中に位置付けてみることも必要なのではないだろうか。
読了:1996年7月23日