アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第三章 経済
第三節 産業 
ドイツビジネス死なず
著者:P.グロウチェビッチ 
アメリカ人の経済評論家によるドイツ経済論である。非ドイツ人によるドイツ論ということで、例えばマ−シュのドイツ論と重なる見方が随所に見られるが、他方で悪く言えばやや週刊誌的俗っぽさがあり、軽い読み物として読み流せる本である。そして、ここもマ−シュのドイツ論との類似性であるが、丁度アメリカ人の同種の日本人論がそうであるように、ドイツに対する思い入れが至る所に表れ、ドイツ的な特徴についても少々の誇張とエキセントリックな部分を強調する傾向が見られるものになっている。

それでも多くのインタビュ−を基礎にしたレポ−トは理解しやすいものである。戦後第一世代の企業家である、通信販売会社、オット−・フェルザントの創立者の談話から始まり、BMWジャパンの支社長の談話に終わる本書は、アメリカ人の経営者と違って、陰に隠れて目立たないことを好むこの国の経営者の生の声を伝えてくれる。以下にはいくつかのドイツ経営の特徴として著者が伝えようとしている項目をピックアップし、それに関する私の個人的感想を加えておこう(一部は経済・産業構造が激変した後の1999年に加筆)。

「遊びのない生真面目な勤務態度−『連中には休暇が必要だ。(中略)一仕事終えたらいったん職場から逃げ出さずにはいられないのだ。』(ドイツIBMの管理職)」

確かにドイツ人の性格とまじめな勤務態度は特記すべきである。ブラッセル中心に広まった「完全なる欧州人」という皮肉の中でも、「ドイツ人のようにユ−モアを解し」と言われる程、この国民の遊びのない性格は長所でも短所でもある。かつてロンドンに勤務し、多くのシティ−で働く英国人と接していた際、彼らの発言には多くの場合隠れた真意があり、そのまま単純に理解すると後でバカにされるという経験を積んだが、ことドイツ人に関する限り、言葉はそのまま理解すればよく、その裏に皮肉や諧謔が含まれていることはほとんどない、と言ってよかった。従って業務上の議論も真面目であり、狡猾な論争テクニックを労することもない。

そうした性格は、かつてのギルド社会の伝統となり、職人気質の重用と、そうしたタイプの人間の個人的な誇りにもなっている。企業の中堅クラスの業務時間内での仕事への集中力とその完璧な仕上げを求める傾向はそうした職人的伝統の現代における現れであり、また勤務時間が過ぎた場合は、不必要な残業はいっさい行わない文化を作っている。こうした業務への集中力が、欧州一短い就業時間やオランダに次いで多い病欠日数にもかかわらずドイツ製造業の欧州域内での比較優位に立つ競争力の源泉になっていることは間違いない。

「閉店法の厳格な運営一『カント哲学とヒトラ−の狂気の両方を生みだしたこの国の文化は、今だに理性の名のもとに理性に背を向けている。』」

閉店法自体は1995年11月に改正され、閉店時間でいうと月曜日から金曜日が従来の午後6時から8時に、土曜日が午後1時から4時に延長されたが、それでも日曜日終日は、一部の例外を除き、一般店舗の営業が禁止されている状態は変わりない(その後1999年になり、ベルリンのデパ−ト中心に土産物屋の例外規定を利用した尻抜け営業が実施されている、との話も聞こえているが)。

欧州全域において店舗の開店時間が、例えば日本を含むアジア型慣行よりも大きく制限されているのは確かであり、そこには特に家庭での静謐の時間を尊重するキリスト教の伝統があった。しかし、例えば英国における閉店法が、宗教的理由から地域的に定められている(そのため例えば移民街にあるアジア、インド、アラブ人の経営する商店は休日も開店している)のに対し、ドイツではプロイセン型法治主義の残滓とも言えるが、法律レベルでこの規制が厳格に導入され、特に週末の都市全体の活力を奪うことになっている。

閉店法改正の政治力学は、賛成勢力の経営者側と、反対勢力の教会並びに労働組合の力関係次第であるが、現在までのところ、消費者が、その緩和を推進する強い意向をもっていないこともあり、後者の主張が優先し、この法律が維持されることになっている。

こうした規制に縛られたドイツの産業界の慣行が、「理性の名のもとに理性に背を向けている」と断言できるかというと、議論のあるところであろうが、少なくともドイツ統一後のリセッションが長期化する中、消費の活性化という一つのカンフル剤を政策当局から奪っていることは確かである。

「ドイツ企業の『隠し資産』−経費、資産の操作、加速償却等の柔軟性により、課税所得と配当金対象の所得を過小申告。『ドイッチェバンクのビルの資産価値は1マルク!』」

内部留保重視の経営と原価主義の会計基準は、日本企業と共通する特性であった。しかし、日本企業がバブル時代の不動産投機とその破綻後の損失先送りで、結果的にこの経営手法が行き詰まり、アングロ・サクソン型株主重視型経営と時価会計への転換を余儀なくされたのに対し、ドイツ企業の場合は、統一直後の旧東独復興特需というバブルはあったものの、そのリスク回避を徹底する傾向から、日本のようにむやみにバランス・シ−トを拡大する愚を犯さなかった。

ダイムラ−のクライスラ−合併やドイツ銀行のバンカ−ズ・トラスト買収のように、世界規模での企業競争激化から、ドイツ企業もこうした内部留保重視、原価主義による資産評価といった伝統的経営手法からの脱却を余儀なくされているが、ドイツ企業が少なくとも日本企業よりも余裕を持ってこの戦いに参戦していることは間違いない。

「中小企業の伝統と倫理独創性、慎重な経営、従業員への思いやり、地域社会への貢献(ロベルト・ポッシュのケ−ス)。従業員500人未満、売上げ1億マルク未満の企業が、国民総生産の半分を生み出し、全労働人口の2/3を雇用し、総輸出の2/3を占める。」

「ユ−ロプルナ−」でも紹介されていたドイツ産業構造の特徴である。ドイツの株価指数であるDAX指数が僅か30社で構成されていることからも、ドイツにおける大企業の数の少なさと、中小企業の基盤の強さが伺われる。

世界的産業構造の変動の中で、こうした非上場企業が資本の論理に対抗していけるのか、あるいは日本の店頭市場にあたる「ノイエ・マルクト」を利用し、新たなベンチャ−企業の裾野を広げられるかが、このドイツ的産業構造の将来を規定することになるのであろう。

「ドイツ労働者の質の高さ−徒弟制の伝統、見習従業員の採用と企業内教育(ヘキストの、新人教育センタ−のルポ)。他方労働コストの増加という問題。」

日本と同様、ドイツ産業界でも労働の流動性は低く、実質的に終身雇用型の雇用体系が維持されていた。特にここで指摘されているような、早期における職業教育コ−スの設定とそこへの企業協賛を踏まえた実質的青田刈りと従業員側での忠誠心の確保が、その後の労働生産性の向上に寄与することになった。

こうした慣行も、もちろん外資系企業の進出と産業のグロ−バリゼ−ションで、変化の兆しを昆せている。また高い生活水準の確保からくる、賃金の下方硬直性が、産業立地上のドイツの優位性を低下させていることは疑いなく、今後は89年以降開放された東欧地域での産業支配力が、ドイツ資本そのものの生存権を確保することになっていくのであろう。

「監査役会への労働者参加の功罪−他国への本部移転(オペル、メトロのケ−ス)」

コンセンサス重視のドイツ型経営の象徴といえるのが、共同決定法に基づく、監査役会への労働者参加である。

そもそも監査役会制度そのものが、株主による経営コントロ−ルという機能を持っていたが、それは実質的には大株主の銀行による産業支配の機関となっていた。しかしそれ以上に、この監査役会に労働者代表が出席し、経営参加させるという点にドイツ的特徴があった。中小企業であっても、従業員組合は設置せねばならず、且つその代表を監査役会に出席させ、決議の承認を取らねばならないという制度。私の勤務していた従業員約60名の会社でさえ組合があり、監査役会には大株主代表と合わせ従業員代表が参加し、決算承認を含めた経営の重要経営事項への承認を行っていた。

その会社では、実質的にそれが経営の非効率化につながるということはなかったとしても、経営判断は常にこの組合代表の感触を踏まえて行わざるを得ず、一般的に言えば意思決定過程を複雑化していることは否定できない。特に長期化するリセッションと競争の激化により、従来の超過利潤を前提にしたドイツ型労使協調路線に変化の兆しが現れるのは当然と言える。

「控えめな経営者達一SEL前CEOのロ−ルの脱税・背任事件。報酬の相対的低さと社会的プレステ−ジの高さ。能力重視。学閥、人脈の効果の低さ。」

大西洋をまたがるダイムラ−の合併やドイツ銀行による買収の中で、米国企業との経営者との報酬格差が議論になっている。資本蓄積に対する、また個人の所得格差に対するドイツ型経営の伝統意識は依然存在していると考えるべきであろう。「ユ−ロプルナ−」と呼ばれる新しいタイプの経営者でも、この壁は容易には崩せるものではない。英米の企業と合併・買収したドイツ企業は今後もこの問題と格闘せざるを得ないであろう。

「金融市場の保守性−銀行借入れの高コストはいざという時の保険料。『ハウスバンク』との絆の強さ。株式公開と情報公開に消極的な中小企業。」

日本でも壊れつつあるこの「ハウスバンク」という発想も、ドイツにおいては従来から日本以上に強力な、金融機関による株式保有を通じての産業支配の手段となっていたが、資本市場の整備と共に、株式持ち合いの解消という形で弱まりつつあるのは確かである。
しかし、30%の株式保有が例えば20%に落ちたところで、銀行の企業支配力にどれほどの質的相違が発生するのだろうか。この点でも、ドイツの金融機関の産業に対する支配力は、日本と比較しても依然持続する可能性が高いのではないだろうか。

「証券市場の変化−少ない上場企業数(650社程)、活発な取引銘柄は120社程度。安い仲介料、膨大な調査能力、発達した先物、オプション取引等のインフラの不足。しかし、若年層の資金流入(フォン・ロ−ゼン)、中小企業、東欧企業の参入(ドイツ銀行から独立し、M&A会社を設立したM.D.デルテンバッハ)等の変化も。」

「ドイツ的買収劇の2幕−フリック財閥の解体とコンティネンタルを巡るドイツ銀行の失態。
@フリック財閥の解体
ドイツ銀行への売却(1986年)⇒ドイツ銀行による売却⇒フリックの甥によるF.ノベル社株の買占め⇒株主投票権の制限による対抗(1988年)⇒フリックの甥は自己所育株式をフェ−バに売却⇒フェ−バはスウェ−デンの製紙会社ベルセラックヘ売却⇒ベルセラックは製紙部門以外を売却⇒フリックの企業グル−プの解体ヘ。
Aコンティネンタルの買収劇
ピレリ−によるコンティネンタル株の買占め(1990年)⇒ドイツ銀行(バイス)の仲介⇒コンティネンタルの拒否⇒ベンツ、BMW、VW、ドイツ銀行等による反ピレリ連合の結成⇒投票権制限論争(A.ビカリ/N.バイカルト)⇒コンティネンタルの収益悪化⇒ドイツ銀行によるピレリ−との再交渉⇒ピレリ−の資金繰り悪化による断念。
構造的にM&Aを阻む要因としての、投機を忌み嫌うドイツ人気質と買収後の含み資産の処分への不安。」

ドイツ銀行を筆頭に、ドイツの銀行も資本市場での投資銀行業務への参入・勢力拡大に奔走している。しかし、ここで触れられている買収劇や、ドイツ銀行による英国マ−チャントバンク、モルガン・グレンフェル経営の稚拙さから見て、彼らがこの分野で米国投資銀行と互角に戦って行けるかどうかは疑問である。

しかし、国内の証券・資本市場のインフラの整備が進み、またそれを利用しようという企業側の意欲が高まっているのは確かである。今後のドイツの変化が、こうした金融秩序の変革を契機に、政治的・社会的なより広い範囲に拡大していく可能性は十分にあり、またそうした環境変化の中で、従来からの企業支配力を相当程度維持しながらドイツの金融機関がそれなりの地歩を築いていく確率は決して過小評価されるべきではない。

読了:1993年9月28日