序文
社会というカテゴリ−が適当かどうかは議論の余地もあろうが、ここでは近代ドイツに特有の社会意識が、ある特定の領域に示された実例を示している2冊の書物を取り上げげたい。それは冒頭で取り上げた阿部謹也の世界でも触れられたドイツ的社会意識の源泉を探る試みであるが、ここで取り上げる時代は18、19世紀が中心となる。
まず紹介する野田の著作は、ちょうど日本の大正デモクラシ−論や転向論、そして戦後知識人論てもよく用いられた手法によるドイツ教養層の社会学的分析である。ここでは日本の転向論の中でも指摘された、一般民衆から遊離した知識人の土着性への回帰という命題がドイツ的土壌の下で検証されるが、特に所謂地方教養層の一般民衆との距離が、ドイツと英国で異なっていた、という指摘が、私にとっては非常に印象的であった。
これに対し、後者の作品は、むしろドイツ教養層のエネルギ−が道具的理性に向かう際の生産性が、その徹底性によりいかに高くなるかを物語る事例である。日本が明治維新直後にドイツがら吸収したものは、憲法、刑法、軍隊組織等々枚挙にいとまがないが、ここで示されているようなプロイセン的教育組織とアカデミズムもその−つであったことは疑いない。第二次大戦後、ドイツの一般教育自体は戦前の反省からより自立的思考と批判精神を育成するようなスタイルを強め、また基礎科学研究も戦後は国内ユダヤ人の滅少もあり、この時代のような生彩を放ってはいないが、他方第三章で紹介したように、産業面では引き続きマイスタ−シャフト(職人制〉の維持といった形でこうした専門性への配慮がはらわれ、またそれが国民意識にも適合しているのである。この著作中の主人公である文部官僚は、まさにこうした変わることのないドイツ的社会意識をうまく操作し、先進産業国家へキャッチアップするための基礎を築いていったと考えられるのである。