ドイツ教養市民層の歴史
著者:野田宣雄
文庫本(岩波教養文庫)ではあるが、内容的にはなかなか重厚な作品である。18、19世紀ドイツで階層として誕生した所謂「ドイツ教養市民」の成立の背景、宗教社会学的位相、そしてこの階層が近代ドイツの労働連動やナチズムにもたらした影響を、主としてウェ−バ−的アプロ−チにより跡付けた本格的な研究である。著者が、英国の近代市民・宗教意識と比較しながらドイツの状況を説明している点も、両国の比較という私自身の主要関心と重なっており、おおいに参考になった。
「教養主義」という表現は、私が青春期を迎えていた時期にはやや否定的な響きを持っていた。「岩波教養主義」なる呼称は、古典や原典に当たることなく、岩波新書に代表される解説書で、幅広いが表面的な知識を得ることで満足しているような俗物主義を意味していた。行動主義がもてはやされた時代、そこでは原典に遡ることにより、自ら拠って立つ確固たる信条を打ち立てることがもてはやされ、「教養主義」的態度はそうした拠点を持たない、思想的一貫性のない日和見主義と見なされたのである。
そうした時代の雰囲気に流されながらも、同時に私は少なくとも主知主義的な行動主義の対極にある、こうした全体的な人間形成の賛美に対する愛着を禁じえなかった。少なくとも未知の世界があり、その未知の世界を探訪することは、解説書であろうが、原典にあたろうが大きな相違はない。あとはそれを如何に自分の中で的確に位置付け、全体化することができるかどうかという問題である。しかしそれさえもできない、即ち世界及び他者に対する関心が極度に低く、蛸壺的世界に籠り、その結果、例えぱ世俗的に言えば受験勉強はできるが、対人関係は築けないようなエゴ丸出しの偏屈な人間が増加しているのを見るにつけ、こうした教養主義的アプロ−チはやはり現代の日本で依然意味を持っていると確信するに至ったのである。自分が、こうした形で世界と人生に対するアプロ−チを取ることに何ら抵抗はない。そして、その階層が、今度はドイツの近代史で果たしてきた逆説的な役割を甘受することもやぷさかではない。
18世紀末から19世紀始めにかけて「排他的階層」として成立してきた「ドイツ教養市民層」の特徴を著者の整理により簡単にまとめると以下のとおりとなる。即ち、大学教育を受けたプロテスタントであり、大学教授、ギムナジウム教師、裁判官、聖職者を含めた高級官僚及び医師、弁護士、著作家、芸術家、ジャ−ナリスト、編集者等の自由人ら、出身階層や学歴を同じくし、社会的威信が経済的裕福さよりも重視される等の特有のメンタリティ−を有し、交流の「集団内的志向」と階層再生産という傾向を有する、「きわめて排他的な、一個の身分としての性格の強い社会階層」である。特に興味深いのは「ギムナジウムから大学へという教養市民の補給機構が樹立されていくに伴って、教養市民の世界と商工業の世界とが分離されていった」ことである。
教養市民と所有市民の分裂をもたらしたこの階層の特徴は、19世紀末までには完璧なまでに発展を遂げるが、しかしそれが同時にこの階層の没落の始まりであった、と言う。特に19世紀末のドイツ統一の前後で、この階層を震源に、民族統一に向けてのキ−ワ−ドとしての「文化」概念が強調され、ひいては第一次大戦の黙示録的解釈をも生み出していく。ナチの思想的背景となるロマン主義的感性も、この階層の思考様式の一つの結果であった。こうして著者は、この排他的階層が、ドイツ近代史で果たした、どちらかというとネガティブな役割を分析の焦点に当てていく。この際著者が方法論として使用するのは、M.ウェ−バ−の宗教社会学的観点からの英独比較である。
ウェ−バ−の英独比較のポイントは、「イギリス人が近代資本主義的経済組織を発展させたように、ドイツ人は、工場から軍隊と国家にいたるまで、あらゆる人的支配団体の合理的・分業的・専門的な宮僚制機構をみごとに発展させた」という指摘である。そしてこの認識からドイツにおける官僚制の硬直化を懸念すると共に、英国におけるような指導者民主主義の導入を、悲観的ではあったが待望したのである。官僚制への対抗物としてのカリスマ的指導者という構図がウェ−バ−のある種の英国コンプレックスの産物であったとの見方も披露されているが、実際の歴史は、官僚制の硬直化がナチズムの熱狂を生んだドイツに対し、この危機の時代にも議会制を維持しえた英国という相違をもたらしたのであり、その意味でウェ−バ−の見方を肯定、否定することとは別にしても、政治体制としての優劣は明確に示されたと言えるのである。それでは、こうした体制の相違をもたらした社会経済的要因はどこにあるのか。それこそがウェ−バ−が彼のジェントリ−論の中で示したものであった。
英国が官僚制化を阻止しえた要因としてウェ−バ−が指摘したのは、地方におけるジェントリ−層による名望家支配がある程度貫徹できたという点であった。「中央から派遣される専門教育をうけた裁判官は、地方のレベルで、大土地所有者であるとともに人文主義的教養も積んだ名望家=ジェントリ−の強力な権威に出会い、これに大きな妥協を強いられることになった。」そしてこのジェントリ−の貴族主義的生活態度が、逆説的ではあるが「『貴族的』であるがゆえに、全国民にむかって『民主化』されうる−つまり、国民の広範な層によって模倣されうる」ものになっていった。これに対し、「ドイツの官僚に代表されるエリ−ト層の習慣や作法はあくまでも『平民的』『成り上り者的』であり、それゆえにかえって国民の他の階層から遊離してしまった」と分析されるのである。あえて理解を容易にすると、英国の地方支配層が地域民衆の信頼を得ていたために、知識人層の独善化が起こらず、また中央集権的官僚制が貫徹されなかったのに対し、ドイツでは官僚制が堅固に構成されたために、中央から派遣された官僚が地域民衆から遊離しその結果、教養市民層と非支配層との分離が進捗した、ということである。
ウェ−バ−は更に、英国において、このエリ−ト層と非エリ−ト層の同化・融合を可能にした伝統的な宗教性にも言及していく。一方で英国の非エリ−ト層の間にピュ−リタニズムのような大衆知性主義の展開が見られたことに加え、ジェントリ−の側でもその刺激を受け宗教性をある程度保持できたことで、これを介しての両層の距離が離れなかった。それに対し、ドイツ教養市民層のエ−トスは当初から宗教を蔑視する発想から抜け切れず、これが大衆遊離の最大の要因になった、という。ここには宗教に寛容であることから、合理的官僚制を築き上げたプロイセンが、そこから形成された支配層の非宗教的文化により硬直化していく、という逆説が存在する。エリ−ト層のこうした特性に加え、同時に大衆の側での知性主義もドイツではむしろ社会主義という反宗教的運動として現れたことも両者の溝を深めることになった。この「反宗教的な平民的知性主義」の起動力となった「零落した知識人層」が支配層と大衆の双方から遊離していった構造は、まさに日本の転向論で「土着性への回帰」と表現された現象に重ね合わせることができる。もちろん基底にある宗教性は、キリスト教文化と日本型神道/儒教文化とは相違があるが、それでも宗教性の否定によるエリ−トの大衆からの遊離という現象でもドイツの状況は英国よりも日本に近いと言える。
著者は第三章において、ウェ−バ−の解釈から離れ、自らの言葉で、こうした近代ドイツの宗教状況を英国のそれとの比較においてより詳細に分析しているが、ここではそれを追うことはしない。しかし再度ここで著者の分析のポイントをなしている一節を確認しておこう。
「少なくともイギリスなどと比較して、ドイツは、宗教の影響力がいちはやく衰え、文化や学問が独立した価値の領域をとくに大胆に主張するようになった国であった。(中略)そこでは、一般大衆を農民的な、非知性主義的なルタ−派信仰の中に放置したまま、文化や学問の追求を通じて現世内的自己完成をとげようとする『教養人』の身分が、きわめて鮮やかな仕方で形成されていた。」そしてこうしたドイツでは「文化や学問の発達はめざましかったが、それだけ(中略)現世や人生の意味喪失の過程も急速に進行したわけで、したがってまた、人々が政治の世界や性愛の領域にその代替物をもとめてのめりこんでいく危険も大きかったのである。」
こうしてドイツ教養主義の歴史的機能を否定的に見てきたが、理念としての「教養主義」自体は、ドイツ哲学や文学の中で、「各個人がそれぞれのかけがえのない個性を真善美の各面にわたって多面的かつ調和的に発展させ、自己完成の域に到達することをめざすところに人生の意義がある」とする人生観をもたらしたのも事実である。そして、この階層の果たした歴史的役割とは別に、人間の自己発展の指針としてこの教養主義の持つ人生哲学は引き続き個人的には大きな魅力でありうる。しかし言うまでもなくこの書物での分析はこうした人生観の持ち主が往々にして陥り易い、エリ−ト主義と大衆蔑視の発想が、歴史的には「大衆の反逆」をもたらしてきたこと物語っている。自己完成を目指す個人の人生観が、ある特定の階層の中で自己完結した場合に発生するエリ−ト主義の歴史的限界を常に意識していくことが、同時に必要とされるのである。現在の日本で官僚や銀行員といった、従来からエリ−トと呼ぱれていた層が、その倫理観の欠如を含めて批判の矢面に立たされている状況を考慮すると、自分を含め、現在の日本社会自体が、この近代ドイツの辿ってきた道を形を変えて歩みつつあるような気がしてならない。しかも、現代日本の問題は個人領域でも自己完成を目指す意欲を欠いたエリ−トによる大衆遊離という、個人レベルと社会機能のレベル双方での崩壊の契機を内包しているのである。社会的レベルでの崩壊は、その中での小さな歯車の一つとして、日々の仕事の中で細々と小さな機能を果たすことにより立ち向かっていくしかないが、個人レベルでは意識的にドイツ教養主義の良き伝統に立ち帰っていくことはできる。英国における知識人のプラグマティックな対応と、ドイツ知識人の原理的な対応との差が、個人レベルと社会性のレベルでもたらす位相の差を認識しつつも、私個人の選択としては、あくまでドイツ的なこだわりを持たざるを得ないことを痛感する。
読了:1996年3月24日