アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第四章 社会
ドイツの大学
著者:潮木守一 
 大昔のドイツ滞在時(1994年)に、同じ著者の新書「ドイツ近代科学を支えた官僚―影の文部大臣アルトホーフ」(別掲)を読み、その後の私自身の仕事での自然科学との関わり合いの中でも、時々そこでの議論を口にして生きたが、同じ著者によるこの作品は、その前の1986年に出版されたドイツの大学論である。一旦再版が終わった後、1992年にこの文庫本として改めて刊行されたという。原著の出版から数えると約35年前の著作であるが、内容的にそれほど古さは感じさせない。18世紀初めから第一次大戦が始まる20世紀初頭にかけて、時の政治・社会情勢とも重ね合わせながら、ドイツの大学の学生風俗や、研究・教育の姿を考察している。そしてその最後は、上記のアルトホーフ論で詳述される、ドイツの「科学技術大国化」を牽引した彼の行政手腕とその評価についての紹介で終わることになる。

 スイスの画家ホドラーが、1906年にイエナ大学の構内に描いた、1813年のナポレオン戦争に出陣する学生を描いた壁画。19世紀初頭、ナポレオン支配からの解放に高揚したドイツの学生の姿が、20世紀初頭の自信に満ちたドイツ・ナショナリズムと重なるその絵画と共に、まずはその19世紀初頭のドイツの大学の風俗が語られることになる。

 古い伝統のあるドイツの大学は、もともと若者のエネルギーが溢れ、それが乱暴狼藉や決闘文化といった学生騒乱の巣窟であったが、それは著者によると、英国や米国の大学の「全寮制」といった管理システムがない、その点でいったん教室を離れると学生が「自由で勝手気儘な生活」を享受できたことが大きな要因であったという。いわゆる「バンカラ」気風に満ちた雰囲気は、その後いろいろな面でドイツの影響を受けた日本でも、大学での「ドイツ風バンカラ生活」やそれを支えた哲学などのドイツ的思考の人気をもたらしたのであろう。学生生活についてのある種の「清風」運動である「ブルシェンシャフト」運動が、ドイツ・ナショナリズムの高揚を担ったといった話や、その過激化を危惧した(そして実際1848年には革命運動の中で、学生運動も過激化することになる)政府が、理論的な歯止めをかけるべくヘーゲルをハイデルベルグからベルリンに招聘したが、そのヘーゲルをショーペンハウエルが徹底的に論難した(一私講師であったショーペンハウエルが、自分の講義を正教授ヘーゲルのそれに合わせた時間に行ったが、無残に敗れ、大学を去ることになる。一民間哲学者となったショーペンハウエルが一躍名声を勝ち得るのは、彼が63歳の時であった)といった逸話は、当時のドイツの政治・社会のみならず、知的社会としての大学でも多くの混沌が渦巻いていたことを物語っていて面白い。しかし、1848年革命が失敗に終わると、大学では再び決闘、乱暴、狼藉、飲酒といった「遊び文化」が高揚し、大学の「レジャーランド化」が進んだ、というのは、1960−70年代の日本や欧米の大学の雰囲気と類似しているのは、その間には100年という時間があるものの、ただの偶然とは言い切れないものがある。またこの時代、大学進学者に、貴族や富豪の子供が増加したことや、博士号を「金で買う」といった動きがあったことも紹介されている。前者も、「学生紛争(闘争)」以降の欧米日本の大学に共通する傾向であると言える。

 ただそうした中で、19世紀中葉以降、ドイツにおける「科学革命」の拠点としての大学の存在感が増すことになる。著者は、19世紀初めまで「大学自治」という名の下で野放しとなっており、その結果、コネや情実、派閥人事が横行していた教授人事に、中央政府が関与していった過程を後付けている。それは、19世紀初めのフンボルト(彼は、「大学の自由の擁護者とみなされることが多いが、こと大学教授の任命権に関しては、明確な中央集権論者であった」)から始まり、19世紀中葉の文部大臣アイヒホルンを経て、「影の文相」アルトホーフにより完成されることになる。以降は、アルトホーフの業績を中心に紹介されるが、これについては、著者のその後の著作(別掲)でより細かく触れられているので、ここでは立ち入らない。実権を握ったアルトホーフについては、毀誉褒貶も激しく、M.ウェーバーによる批判なども紹介されているが、少なくともアルトホーフが、緊密な情報網を駆使し、より客観的な業績と能力を判断し教授任命、その結果がドイツの「科学技術大国化」を促したことは間違いない。ただここでは主として彼の大学教授の任命が中心に説明され、後の著作で触れられたカイザー・ヴィルヘルム研究所の創設や、そこで「講義は下手であるが、研究に優れている」人材を充てていったことにはあまり触れられていない。

 そしてエピローグ。イエナ大学に、ドイツ学生の勇猛な姿の壁画を描いたホドラーは、第一次大戦で、そのドイツが、歴史的建造物であったフランス・ランスの教会を砲弾で破壊したことの批判声明に名を連ねた。そのホドラーの壁画は、その非難への報復として板塀で覆われることになった。しかし、その時まさに西部戦線でのドイツ軍陣営の崩壊が始まっていたという。

 著者には別に「アメリカの大学」といった著作もあるようで、そこではおそらく「管理システム」のできた大学の姿が語られているのであろう。しかし、1960年代のアメリカの大学紛争(闘争)に見られる通り、若者文化には常に「反体制」的運動に対する共感が高揚する瞬間がある。その典型例として、19世紀中葉から後半にかけてのドイツの大学の姿を、時として滑稽に映る学生風俗を含め描いたこの著作は、その日本への影響も含め、今読んでもなかなか刺激的である。先日読んだ、今年の芥川賞受賞作の一つが、ゲッチンゲン大学への留学生の作品であったというのも偶然である。もちろん現在のドイツの大学も、欧米日本のそれと同様「大人しく」なっており、ここで描かれた時代とは大きく異なっているが、これも歴史的な巡り合わせであろう。私自身の原点である1960年代の文化運動の前史として位置付けられる好著である。

読了:2021年8月24日