アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第五章 都市
序文
 
ここではドイツの二つの都市の歴史を扱った作品を紹介する。プロイセンの首都として発展し、ヒトラ−が千年王国の実現を夢見たドイツ最大の都市ベルリンの戦後史と、そして私自身が7年間生活したフランクフルトの通史である。

言うまでもなく、ベルリンの戦後史は分断された都市の歴史であり、また廃墟からの復活の歴史でもある。その意味で、永井清彦のこの書物は、カテゴリ−としては第二章第一節の戦後史でもあり、またこの多くの部分が市長ブラントと共に語られることから同第三節の政治家という括りもできるのであろう。しかし、ベルリンは、やはり歴史上初めて、発展した一都市の人的・物的交通が強制的に分断された(そして再び統一ドイツの首都として復活した)類い稀な事例として、都市自体に焦点を当てて語られねばならないだろう。

これに対し、我が生活の拠点であったフランクフルトの歴史はより郷土史の色彩が強い。中世ハプスブルグ帝国の支配下にあった南部・中部ドイツであるが、実際には帝国の権力は行き届かず、400近くに及ぶ領邦君主が分断して支配する状態であった。しかし交易の発達、なかんずく地中梅貿易で欧州にもたらされた胡椒や香料等とフランドル等北ヨ−ロッパからの毛皮といった製品の交易の必要性が高まると、交易路の安全を確保するための保障が要求される。日本人観光客が好んで訪れる所謂ロマンチック街道の諸都市、アウグスブルグ、ネルドリンゲン、ディンケルスピュ−ル、ロ−テンブルグ、ビュルツプルグ等は、ほとんどがこうした中世交易のための宿場として発展した帝国直轄都市であったが、フランクフルトは、言わぱこうした交易路の最終地点として位置付けられ、ドイツでは一般的ではあるものの、その中でも最大級の見本市が開催される等交易の中心地として発展するのである。

地方分権が進み、都市機能にもそれぞれ異なった特徴があるドイツでは、このフランクフルトの事例はあくまで請都市の郷土史の一つの例にすぎない。しかし、1997年欧州中央銀行がこの町に設立されたように、国際金融面におけるこの町の注目度は高まっており、その意味で、個人的な思いは別にしてもここで紹介する価値があると考えるのである。この新書の出版は1994年であるが、たまたま手に入れる機会がなく、結局日本への帰国後に目を通すことになった。

尚、ベルリンについては幾つかの歴史・観光案内として重宝する新書版に接した(留学生時代から企業の通訳としてベルリンに長く在住している三宅悟の「私のベルリン巡り−権力者どもの夢の跡」はその一つである)が、それらは省略する。